005 両手に火花

 僕には血を分けた弟がいた。

 生きていたら僕より二つ下の十五歳になっていたはずの弟は、五年前の大災厄、『愛の命日』に命を落とした。

 全身から血を噴き出して死んだ父と母の傍らで、炎に包まれて焼け死んだ。僕の代わりに両親を殺し、僕の代わりに家に火を放った。

 どうして兄でなく弟だったのか。二人とも助かる道はなかったのか。

 いくら考えてもわからないので、いつからか考えるのをやめた。

 僕にはもう失うものは何もない——失うくらいなら何も望まない。そう思うと楽になった。

 でも、そんなのはやっぱり不自然だったのだ。

 失うことは決して慣れない。受け入れることも容易じゃない。

 僕は最初、あまりにも突然に訪れた別れを受け入れることができなかった。

 受け入れたら二度と立ち上がれないという確信があった。それならそれでいいと、今までの僕なら考えてもおかしくなかったのだけど、目を覚ました時に隣にいたもう一人の友人の顔を見た時、それじゃいけないような気がした。

 もう終わりだと、その友人は僕に言った。

 だけど僕は、まだすべてを失ったわけじゃない。

 あの時とは違う。

 真実がこれ以上の絶望を運んでくるのであれば、その時は潔く倒れよう。でもわずかでもマシな未来に繋げられたなら。

 その時こそ、胸を張って彼女の死と向き合おう。

 失い続けるばかりだった甲斐性無しな僕の人生に、僕は初めて誓いを立てた。


***


「散々大口たたいて駆け回った挙句に殺されかけた甲斐性なしが、俺に何の用だ?」

 部屋を訪ねてきた僕に、僕の友人は見透かしたような罵倒を浴びせてきた。

「口の悪い軽薄男を一発ぶん殴ってやろうと思ってね」

「喧嘩なら受けて立つが、二対一は卑怯だぜ。もうツーマンセルは解除したんじゃなかったのか?」

 と、僕の脇に立つ伴動さんに目を配る。

「ツーマンセルじゃない、彼女はもうれっきとした僕の相棒だよ。な?」

「いえ、聞き捨てならないわね。いつから私と対等になったつもりでいたの?」

 ズコー。

「それこそ聞き捨てならねえよ。いつから僕を見下してたんだよ!」

「あなたが着替え中の私に襲い掛かってきた時から、かしら」

「僕を陥れるような恣意的な偽証をするな!」

 というか、背後から刺してくるのをいい加減やめてほしい。そもそも〝私は従うだけ〟とか言っていたくせに、あの殊勝な女の子はどこに行ったんだよ。

 今のやり取りのどこが面白かったのか知らないが、カズは「くはは」と笑い、僕たちを部屋に招き入れる仕草をした。

「とりあえず入れよ。聞かれちゃまずい話なんだろ」

「あ、ああ。悪いな」

「はっ。どうせ暇だしな。お前の与太話を聞いてる方がまだ退屈しのぎになる」


 久しぶりに入ったカズの部屋は以前と変わりなく、壁一面に絵が飾られていた。

 人物画や風景画、静物画と、モチーフは様々だ。キャンパスや絵の具といった画材はここにはないので、スケッチブックに描かれた鉛筆画のみだが、どれもカズらしい繊細なタッチで描かれている。

「恥ずいからあんま見んなよ」

 それは僕ではなく、伴動さんに向けられた台詞だった。彼女は一人、壁の前で微動だにせず立ち尽くしていた。気持ちはわかる。初めてこの部屋に入った時は僕も圧倒されたものだ。

 その時、ふと――机の上に無造作に散らばった絵の一枚に、僕は目を奪われた。

 それは美來の肖像画だった。

 真ん中から半分に破られた紙の中に美來が収まっている。見たことがある、なんて婉曲な言い方をするまでもなく、構図といい破られ方といい、それは明らかに美來の部屋にあったあの破られた絵の片割れだった。細やかなタッチで実に魅力的に描かれているが、解せないのは、なぜこれが二枚あるのか……いや正確には、なぜ一枚に美來を二人も描いて破るようなことをしたのかということだ。

 それだけではない。先ほどの絵とこの絵には、ひとつだけ決定的な違いがあった。

 髪の長さ。先ほどの絵の美來は見慣れた長髪だったが、こちらの美來は今朝と同じ、肩までの長さのショートヘアなのだった。

 昨日までの美來と、今朝の美來。どういう意図で描いた絵なのだろう。

 ……ん?

「茶は出ねえぞ」

 カズはひとつしかない椅子を伴動さんに薦めると、自分はベッドに腰かけた。

「それで、俺に用ってのは?」

 絵のことに触れるのはなんとなく躊躇われ、その〝違和感〟のことは忘れることにし、単刀直入に本題に入った。

「カズの力を借してくれ」

「俺の力?」カズは露骨に眉をしかめる。

「僕はこの結果に納得してない。まだ解決してない疑問が山ほどあるんだ」

「んなこたわかってる。さっきのお前はいかにも嘘っぽかったからな。俺が訊きたいのは、何で俺がそれに協力しなくちゃならないってことだ。言ったはずだぜ、俺はお前に協力しねえと」

「それもわかってる。だから改めて、考え直してもらえるようお願いに来たんだよ」

 カズは短くなった前髪をかき上げながら「くく」と笑う。

「俺の能力を使おうって魂胆だろ? 確かに『残留思念』はお前の捜査に役立つ便利な能力だからな。でも使わせるわけにはいかねえ」

「そこをなんとか!」

 両手を合わせて頭を下げる――が。

「駄目だね。いくらお前の頼みでもこればかりは聞けねえ。お前だってそれがわかってたから『精神感応』の伴動と組んだんだろ? ここにきてもうひとつチート技を使おうなんて都合が良すぎるってもんだ」

 そう言われるだろうとは想像していたけど、やっぱり駄目か……と諦めようとした、その時だった。

「黙って聞いていれば、何様なのかしら」

 それまでマネキンのように姿勢正しく椅子に正座していた伴動さんが口を開いた。

「そこまで頑なに各務くんのお願いを無下にする理由が理解できないわね」

「ば、伴動さん?」

 これには僕の方が驚いてしまった。そんないきなり喧嘩腰で、と諫めようとするが、その視線は鋭くカズを捉えて動かない。

「別に意地悪してるわけじゃねえよ。これは俺と想介の、男同士の約束なんだ。あんたには理解できねえだろうが、理解してくれる必要もねえ。すっこんでな」

「かっちーん」

 あ、やばい。

 スイッチ入った。

「男同士の約束ですって? 何を言うかと思えばくだらない。〝女同士の友情〟くらいに中身のない言葉だわ。あなたたちがどんな約束をしていようがいまいが私には関係ない。でもあなたの怠慢は看過できないわ」

 伴動さんのあまりの剣幕に圧倒されたようで、さすがのカズも言葉を失っていた。

「すでに二人が死んでいる。しかもそのうちの一人はあなたが妹のように接してきた子でしょう? その事件がまだ解決していないとお友達が言っているのに、それでもあなたは動かないの? 傍観だか羊羹だか知らないけれど、自分の力が役に立てるというのに、それを求められているというのに、何もしないで離れたところから全部悟ったみたいな顔して眺めているだけで、本当にあなたはそれでいいの?」

 遠慮のない言葉を浴びせられて、カズが顔を険しくする。伴動さんがここまで踏み込んだ発言をするとは思わず、僕も度肝を抜かれていた。

「言ってくれるじゃねえか。何も知らない部外者が」

「部外者? 笑えるわね。各務くんの相棒の座を私に奪われて悔しいのかしら」

 相棒に格上げされた。伴動さんは続ける。

「あなたと私の何が違うというの? 私は毎日のようにプログラムで彼と顔を合わせているし、彼の生着替えだって何度も見てるわ」

「え……マジで? いつも目瞑ってたじゃん」

「薄目を開けていたわ」

「人を覗き魔呼ばわりしておいてそれかよ!」

 どんだけキャラの上書きしたら気が済むんだ、この人。

「とにかく、友人が困っている時に助けを求められてそれを無視するなんて、恥を知りなさい。あなたに各務くんの相棒を名乗る資格はないわ」

 伴動さんは僕の抗議を無視して糾弾を続ける。

「恥ならもう間に合ってんだよ。何と言われようが駄目なものは駄目だ。相棒だというなら、あんたが俺の代わりに立派に役に立ってみせりゃいい」

「ぷっちーん」

 と、おもむろに――伴動さんはポケットから注射器を取り出し、左手首に突き立てた。

 否、寸止めしていた。

「……穏やかじゃねえな。脅迫する気か?」

「役に立てと言ったのはあなたでしょう。その言葉に従っているだけよ」

「ふん。てめえの『精神感応』ごときで何ができるってんだ?」

「これは各務くんにしか伝えていないことだけど、特別にあなたにも教えてあげるわ。私の能力は相手の精神状態を読み取るだけじゃない、こちらから干渉することもできるのよ。あなたの心の奥に隠された秘密だって覗くことができる」

 完全なブラフだった。『精神感応』にそんな力はない。他人の意識に干渉できるというのはある程度正しいが、記憶やら思考を読み取ることまでは出来ない。

 しかし、カズにはそれを知る由もない。

 にわかに不穏な空気が漂う。

「想介、新しい相棒が暴走してるぜ。止めろよ」

「各務くん、止めたらチョン切るわよ」

 と、二人揃って睨んでくる。だが――

「止めないさ」と、僕は答えた。

 目的語が不明だが、どこであろうとチョン切られるのは嫌だし、それに。

「相棒の見せ場なんだ、僕は傍観させてもらうことにするさ」

「よく言ったわ。それでこそ我が従僕よ」

「どっちなの!?」

 カズはしばらく呆れたような表情を浮かべていたが、やがて苦笑いを浮かべ、

「参った。降参だ」とハンズアップした。

「ったく、二対一は卑怯だぜ」

 伴動さんが注射器を握った右手を下ろし、ようやく一触即発の空気が弛緩する。

 こうして、期せずして始まった新旧相棒対決は、傍観者をステージに引っ張り上げることに成功した伴動さんの勝利で幕を閉じた。

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