002 空っぽの部屋で

 部屋を出ると、連絡通路の扉の前にカズと夜夢さん、玖恩さんの三人が立っていた。

「よお寝坊助」

 カズが笑いながら皮肉を言ってくる。

「玖恩さん、夜夢さん。と、そっちの変な前髪の人はどなたでしたっけ?」

「ご挨拶だな。この前髪、よく見たらアシンメトリーがいい感じにエッジ効いててお茶目じゃね? 気に入ったぜ」

 どうやらそう思い込むことにしたらしい。

「各務くん、華雅くんが……」

 玖恩さんは目を潤ませていた。美來の時ほどの衝撃ではないにしろ、知り合いが死んだ事実に慣れるということはないだろう。

「ああ、伴動さんから聞いたよ」

「ひどいよね……なんで私たちこんな目に遭わないといけないんだろう」

 悲しみに満ちた声でそう呟く。

「上井出、まだ戻ってないのか。けっこう時間経ってるけど」

「そうなんだよ。戻ってこない可能性もあるし、部屋で待っていようと言ったのだけどね」

「鞍馬くんは戻ってくるよ!」

 玖恩さんは両手を握り込んでぶんぶんと振り回す。

「この一点張りでね。見た目より強情な性格みたいだよ、彼女」

「夜夢さんほどじゃないよ!」

 その様子を見るに、どうやら二人のわだかまりは解けたようだった。

 カズの顔を見て、僕はふと気を失う前のことを思い出す。

「そういえばカズ、さっき、すぐ近くにいたよな?」

 ほんの一瞬だが、確かに華雅の傍らに立つカズの姿を見た。

「あー。騒がしいと思って行ってみたら、華雅が暴れてるのが見えてよ。なにしろ熱くて近付けねえし、どうしたもんかと考えてるうちにお前が捨て身のタックルを決めたってわけだ。お前、マジで頭のネジが飛んでんじゃねえのか」

「整備不良で悪かったな」

「いや、感心したんだよ。あの炎をくぐり抜けて『金縛り』の射程距離まで近づくなんて思いついても実行できるもんじゃねえ。実際、ギリギリで『金縛り』がかかったおかげで華雅の最後の攻撃を防げたようだが、まともに食らってたら間違いなくお前はここに立ってないはずだぜ」

 それはまあ、その通りなのだろう。僕が消し炭にならずに済んだのはただの幸運だ。

「本当に無事で何よりだよ。それで、カガミン?」

 夜夢さんが改まった様子で僕を呼ぶ。

「犯人当てクイズの方はこれにて決着、ということになるのかな?」

「いや、どうだろうな」

 僕は曖昧に返事を濁す。

「おや、煮え切らないね。犯人が追い詰められて最後は自ら命を絶った。呆気のない幕切れではあるけれど、これ以上の展開はないだろう?」

「結果が出たことは間違いないよ。ただ、ひどく締まりが悪いというか……収まるべきところに収まっていない。そんな感じがするんだ」

「締まりが悪い? ふふ、面白いことを言うね。まあ好きにするといい。もうツーマンセルも必要ないと思うが、私たちは責任を持ってここで待機していよう。君と伴動さんははずいぶん馬が合うみたいだしね」

「そうするよ。じゃあ伴動さん、行こう」

 踵を返した僕と伴動さんの背中に、夜夢さんがもう一度だけ声をかけてきた。

「ああ、華雅くんの部屋に行くのなら、によろしくね」


***


 華雅の部屋に入ると、天照さんが一人、ベッドの傍らで佇んでいた。

「よう各務、起きたか。それに伴動ちゃんも」

 こちらに気付いて声をかけてくる。

「ああ。君も無事でよかったよ」

「夜夢っちがな、助けてくれたんだ」

「夜夢さんが?」

 あの人も誰かを助けたりするのか、と意外に思う。あの場面で天照さんを助けるためには、死地に足を踏み入れる覚悟が必要だったはずだ。

「お前らが突っ込んでいった直後にな、廊下の角まで引きずって行ってくれたんだよ。あたしはもう自力じゃ動けなかったからな。でけー借りを作っちまったぜ」

 そういえば、猛烈な勢いで壁に叩きつけられたはずの車椅子はずいぶん頑丈にできているようで、目立った損傷もなく天照さんの半身として機能しているようだった。

「参っちまうよなあ」と。

 天照さんは、独り言を呟くように言った。

「助けてもらってマジで感謝してるし、結果的に夜夢っちのおかげで犯人がハッキリしたってのも、わかってんだ。わかってんだけど、なんでだろうな。アタシ、夜夢っちのこと恨んじまってる。あんな風に追い詰めなければ、こいつが死んじまうことはなかったんじゃねーかって」

 天照さんは手を伸ばし、目の前に横たわっている華雅梨音の死体にそっと触れた。なぞるように指を滑らせると、その指に黒い煤が付着した。

「っと、わりい。お前にしてみたらこいつ、ダチの仇だもんな」

「いや……」

「それと、悪かったな各務。お前がリオンを犯人って決めつけてるとか言ってよ」

 僕は、ただ沈黙を返すしかできないでいた。

「お前も夜夢っちもわかってたんだな、リオンが犯人だって。まあ当然なのかもしんねーけど、あたしはそんなわけねーって思ってた。馬鹿だったよ」

 別に僕は、華雅を疑っていたわけじゃない。むしろそうでない可能性が高いと思っていた。だからこそ華雅に対して『精神感応』を使わなかったのだ。

 しかしそんなことを今さら言ったところで慰めにもならない。ただ虚しいだけだ。

「ほんとに馬鹿だよな、こいつ。せっかくの力をこんなことに使いやがって。引くに引けなくなってヤケ起こして、最後は自分を燃やしちまうなんてよ。最後の最後まで大馬鹿ヤローのクソガキだったぜ」

 声は平然としているが、それが逆に彼女らしくなくて痛々しかった。

 いたたまれなくなった僕は質問をすることにした。

「華雅とはどんな話をしたんだ?」

「話?」

「二人のやり取りを見ていて思ったんだけど、朝の時点よりも二人の距離が近いような気がしたんだよ。何かあったのかなって」

「ああ……そんな風に見えたか? まあ、そうだな。話をしたぜ。互いの身の上話みてーなことをな。面白くもねー話だけど」

「君のその両脚は、事故か?」

 今さらな質問を僕はぶつける。

「事故っちゃ事故だな。あたしは昔体操やっててな、これでもけっこう将来有望な選手だったんだぜ」

 天照さんなら充分に納得のいく話だ。

「もう三年前になるか。鉄棒で大車輪やってる時に鉄棒が倒れてな、地面に叩きつけられて下敷きになった。当たり所が悪かったんだとよ」

「そんなことがあり得るのか? 選手の命に係わるだろうに」

「どこの世界にも妬み嫉みってもんはあるんだよ。特に体操なんてのは裕福な家のガキか有名選手のジュニアくらいしかいねーからよ、そういうの多いんだわ」

「……ひどい話だな」

 つまらない嫉妬により脚を失った。夢も、日常も。

「そうか? あたしはたいして恨んじゃいねーよ。ひでーのはむしろウチの親だぜ。それまで一人娘に勝手な期待かけて好き勝手しごいてくれやがったくせに、使い物にならなくなったらゴミ扱いだからな。おもちゃに飽きた子供みてーによ。聞いた話じゃ、他の才能あるガキとっ捕まえて五輪目指してるんだと。笑っちまうよな。あたしはここに来るまでの一年間、ずっと病院で一人だったよ。リハビリも正直やる気なかったし、全部どうでもよくなっちまってな。ま、そう割り切ったら楽にはなったけど」

「でも、君は逸脱症候群にかかった」

「最初は驚いたけどな。あたしにぴったりな力だと思ったぜ。周りの物を自由に動かせるんなら、あたしはもう動かなくていいってことだろ? まあご存知の通り、期待してたような結果にはならなかったけどな」

 結果的に――彼女は身体の自由だけでなく、あらゆる選択の自由を奪われ、この更生センターに収容されることになった。

「つまんねー話だろ。お前らの方がよっぽどな経験してんじゃねーのか? ……あいつも、リオンもそうだった」

「華雅は話したのか。自分のことを」

「……ま、内緒にしろとは言われてねーしな」

 天照さんは華雅との会話の内容をかいつまんで話してくれた。

 僕は、華雅梨音はハーフかクォーターか、少なからず外国の血が入っているものだと思っていた。日本人離れした顔立ちや名前、何よりあの銀髪。僕でなくとも、多くの人がそういう印象を抱くはずだ。だが華雅は生粋の日本人だった。髪の色も元々は黒で、銀髪は能力の副作用による色素の異常だったらしい。

 華雅は一族経営で有名な某大企業の御曹司だった。といっても十人以上もの後継ぎ候補がいる中での末子で、そこでは大方の予想通り、親族間での凄惨な足の引っ張り合い、骨肉の争いが繰り広げられていた。

 華雅はそんな親兄弟たちに嫌悪感を抱いた。故に孤立していた。

 両親からは出来損ない扱いをされ、兄姉からは無視された。またそのことがどこからか漏れ伝わり、学校でも苛めを受けた。

 華雅が唯一心を通わせたのは、一番上の姉だけだったという。

「十も歳が離れてたっていうから、母親みてーなもんだったのかもな。その姉ちゃんも家族と折り合いが悪くて、同じ浮いてる者同士ってことで仲良くしてたらしい。姉ちゃんの話をしてる時のあいつは年相応っつーか、甘えたい盛りのガキって感じだったぜ」

 その歳の離れた姉が、華雅にとっての心の拠り所だったということか。

「また会いたかったでしょうね。そのお姉さんに」

 伴動さんの言葉に、天照さんは意味深に沈黙した。

「天照さん。もしかしてその人は」

「ああ。死んじまったらしい」

 それは二年前、天照さんの事故とほぼ時を同じくしてのことだったという。

 詳しい事情は不明だが、友人のために莫大な借金を背負ってしまったというその姉は、家族からの支援を受けられず、返済のため身体を売る仕事に就いていた。しかしもう少しで完済できるというところで、常連客であった男と諍いになったのを最後に行方不明となり、二週間後に絞殺死体として発見された。

 家族の中で姉と連絡を取り合っていたのは華雅だけだった。他の家族は、長女を一族の面汚しとして見放していた。

 葬儀にも誰も姿を見せなかった。

 最初からいなかったことにされたのだ。実の家族から。

 火葬場から天高く昇っていく煙をただ一人見上げながら華雅は、この世界を心の底から呪った。あらゆる善意を否定し、悪意のみを肯定すると誓った。

「話はそこで終いだったよ。それ以上のことは話そうとしなかったし、あたしも聞くつもりはなかった。けどな……こっからはあたしの想像だが、この話にはまだ続きがある」

 天照さんは眉根を寄せ、目の前の壁を睨みつけた。

「あたしはそのニュースを病室のテレビで見たからよく覚えてる。二年前の夏の夜、ある大企業の経営者一家の自宅が火事にあった。とにかくすげー勢いでよ、立派な日本家屋が丸ごと灰になっちまった。ニュースでもかなりでかく取り上げられたから、お前らも知ってんじゃねーか?」

 伴動さんは頷きを返したが、僕は初耳だった。二年前といえば、僕も死んでいるような毎日を送っていた時期だ。

「でもよ、いくらでかくても火事は火事だろ。それがそんなに話題になったのにはいくつか理由がある。まず、家にいた人間のうち実に七人が焼け死んだ。一軒の火事にしちゃ結構な数だよな。大企業のトップが死んだってのもインパクトがでかかった。でも一番大きかったのは、出火の原因が特定できなかったってことだ。まるで自然発火でもしたみてーな、不自然な燃え方だったらしい」

 天照さんはそこで言葉を切ったが、その先は明白だった。華雅は自分の家族に復讐をしたのだ。憎しみの心を炎に変えて。

「でもあたしにとっちゃ、よその火事なんてどーでもいい。その事件を覚えてたのは別の理由だよ。たった一人、末っ子のガキだけが生き残ったって事実だ。可哀想とかじゃなくてな、自分と似てるって思ったんだよ。情けねー話だけど、自分みてーな人生どん底の奴が他にもいるって思うと救われた気がしたんだ。しかし、まさかそれから二年後に同じ釜の飯を食うようになるとはな」

 そうか。つまり天照さんは、華雅が『パイロキネシス』の能力者だったことも知っていたのだ。道理で、不自然なくらいに華雅を庇うと思っていた。

「ほぼ同時期に入所して、互いに仲良くしようなんて風には全然ならなかったけど、それでもあたしはあいつのことを一方的に知ってたんだよ。あんなひねたガキだとは知らなかったけどな」

「けど、君はよく華雅に話しかけていた」

 そう指摘すると、天照さんはバツが悪そうに頭を掻いて、車椅子を回転させて僕たちに背を向けた。

「まあ、気にはなってたからな。他人とは思えねーってやつだよ。最初はな」

「今は、そうじゃない?」

 我ながら残酷な質問だと思ったが、天照さんは笑った。

「ありゃ傑作だったな。プログラム中にリオンが職員と揉めてたことがあって、仲裁に入ってやったんだよ。そしたらあいつ、興奮してて口が滑ったんだろーな。あたしのこと『姉ちゃん』って呼びやがった」

「それは……笑える話、だな」

「だろー」

 真っ赤になって、照れ隠しに大声で喚き散らす華雅の姿が思い浮かぶ。

「あたしには弟なんていねーからよくわかんねーけど、姉ちゃんが欲しいならなってやろうってガラにもなく思ったんだ。捨て犬に情が移ったみてーなもんかもな。それこそ放っとくとあいつ、捨て犬みてーに……コロッと死んじまいそうだったからよ」

 そこで話は終わりだった。

 背を向けている彼女がどんな顔をしているかは見えないが、それ以上喋ることはないだろうとわかった。

「僕たちは皆のところに戻るけど、君はどうする?」

「ああ。もう少しここにいるわ」

「わかった」

 僕と伴動さんは華雅の死体を簡単に検分した後、部屋を出た。

 彼女以外の誰にも、今ここに居座る資格はないだろうから。

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