第四章 斜陽に血煙る徒花

001 アイシー・ベイビートーク

 目を覚ました僕にもたらされたのは、耳を疑うような凶報だった。


 今日だけで二度目の気絶からの覚醒だったが、前回と違う点は上半身が裸であることと、脇の椅子に座っているのがカズではなく伴動さんだったことだ。

 伴動さんは氷の入った袋を僕の右肩に当ててくれていた。

「気分はどう?」

「……生きてることに驚いてるよ」

 能力使用による副作用がまだ残っているのか、視界が歪んで揺れ動いている。

「そ。私も同じよ。まさか自分が死なずに済むとは思わなかったわ。軽い火傷くらいで済んで御の字よね」

 そう言う伴動さんだったが、見た目がかなり変わっていた。艶やかな黒髪のロングが肩のあたりでばっさりと切り揃えられている。

「気分を変えてみようとイメチェンしてみたのだけど、どうかしら?」

「すげー似合うよ」

 恐らく華雅の炎で燃えてしまったのだろう。

 美來が言っていたように髪が乙女の命なのだとすれば、僕は彼女を巻き込んで死なせてしまったことになる。

「僕が気絶した後、どうなったんだ?」

「華雅梨音が死んだわ」

 抑揚のない、感情のないロボットのような声で伴動さんは告げた。

「死……んだ?」

 あまりにも事務的な口調で言われたので、その意味を理解するのに時間がかかってしまった。

「どうして。何で死んだんだ」

「自殺よ。少し目を離した隙に、自分で自分の身体に火をつけて焼け死んだわ」


 詳しい説明を聞いたところでは——

 僕の体当たりで頭を強く打って気絶した華雅を、カズと夜夢さんで拘束した。

 その際に調べたところ、華雅の持っていた注射器は二本とも空になっていた。事に及ぶ前に二本まとめて薬を打っていたということらしい。

 まだ薬の効果が残っているかもしれないということで、身動きが取れないよう縛り上げた上で確実に薬が切れるまで監禁しておこうという話になり、華雅の部屋に移した。

 異変はそれから五分後に起こった。

 見張り役を買って出ていた天照さんが異臭に気付いて室内に踏み入ると、すでに華雅の身体は炎に包まれていたという。

 華雅は、最後の能力を自殺に使ったのだ。


「ふ、はは」

 乾いた笑い声が聞こえる。笑っているのは僕だった。

 身を起こそうとすると、伴動さんに手で押さえられた。

「まだ起きては駄目」

「大丈夫だよ。皆のところへ行かないと」

「駄目」

 有無を言わせない口調で却下され、僕は身体を横に戻した。

 異常に疲れていた。徹夜で走り通したように筋肉が痛いし、中途半端に寝てしまったためか全身がだるい。身体が睡眠を求めているが、眠れる気がしない。

 頭を空にしてみる。

 肩に当てられた氷が冷たい。視界のほとんどを占める天井は真っ白だ。

 短く切り揃えられた伴動さんの髪の毛。

 燃えた。美來。死んでしまった。破られた絵。ミサンガ。願掛け。満天の星空。四角形。滂沱の涙……

 ——四角形?


 と、その時。


「ありがとう」

 ふいにそんな言葉をかけられ、意識が現実に引き戻される。

「え?」

「まだ、お礼を言っていなかったと思って」

「お礼って……礼を言われるようなことは、たぶん生まれて一度もしたことがないけど」

「生まれてきてくれてありがとう」

「母さん……」

 元気に突っ込む元気もなかった。

 伴動さんは僕から視線を外して、少し気恥ずかしそうな顔をした。

「二度も助けてくれたじゃない」

「ああ……そのことか」

 ツーマンセルを組んでる以上はお互いを助けるのは当たり前だし、逆の立場だったらきっと彼女も同じことをしただろう。何より、上井出の件はまだしも、華雅の時は自分が彼女を巻き込んでしまったという自責を感じていたので、礼を言われるのもやや後ろめたいものがある。

「あれは別に、そんなんじゃない」

「そう。やはり私を押し倒しただけだったのね。この変態。死ねばよかったのに」

「僕が生まれてきてよかったんじゃないのかよ! ツンとデレの順番が逆だ!」

 元気に突っ込んでしまった。

 話すほどに面妖なキャラクター性を露呈させていくなこの人……ある意味夜夢さん以上だ。

「実際、本能的にというか、身体が勝手に動いただけだよ。君が隣にいたから、たまたまだ」

「本能に従って身体が勝手に私を押し倒したと。このケダモノ、汚らわしい」

「二度も押し倒してすみませんでした!」

 誰かに聞かれたらとんでもない誤解を生みそうな謝罪だった。

「お礼を言った相手から謝罪を受けるなんて不思議な気分ね。そこまで言うなら許してあげてもいいわよ」

「そうかい」

「元気が出てきたわね」

 伴動さんが微笑む。

 それを見て僕は、思い出してしまった。


 ——やっと笑った、想介。


 …………。


「でもね各務くん」と、伴動さんはまっすぐに僕の目を見た。

「それでもやはり、私はあなたに感謝してる。たまたまあなたの隣にいられてよかった。だから、ありがとう」

 そんな不意打ちのような優しい言葉に。

 不甲斐ないことに、僕は——

「これくらいで泣いちゃうなんて、ちょろいわね」

「おかげで引っ込んだよ」

 いいシーンを台無しにしないと死ぬ呪いにでもかかってるのか?

 はあ、と溜息が出る。

「伴動さん、僕は本当に、お礼を言われるようなことも、君に誇れることも、何ひとつできてないんだよ。もう誰も死なせたくなかった。もう罪を認めさせることも贖わせることもできない。これじゃ僕は最初から何もしていないのと変わらない……いや、犯人を追い詰めて、ただ殺しただけだ」

 ただの愚痴だ。いよいよ惨めな気分になってくる。

「聞き捨てならないわね」

 と、伴動さんは氷が溶けてしまった袋を僕の肩から持ち上げると、自分の手の平を、同じ場所にぴたりと置いた。ひんやりとした柔らかい感触が気持ちいい。

「貴方は、自分一人に責任があるとでも言いたいのかしら」

 先ほどまでの柔らかい雰囲気はいつの間にか消えていて——あくまで無感情に、けれど確かに怒りを滲ませて、伴動さんは言った。

「私たちを疑心暗鬼の檻に閉じ込めた施設の人たち。自分本位な考えで木花さんを殺した犯人。冗談半分に皆を混乱させかき回す夜夢瑠々。協調性の欠片も見せなかった華雅梨音。怯えるばかりの玖恩千里と、彼女を守ることしか頭にない上井出鞍馬。緊張感を欠かせて華雅に単独行動を許した天照彩子。傍観者を気取って何も行動しようとしない吾棟一希。そしてただあなたに従うことしかできない私。責任というのなら全員に等しくあるわ。あなた一人が頑張ってどうにかなったとは思えないし、思うのもおこがましい。それなのに自分が自分がって、小説の主人公にでもなったつもりなのかしら。思い上がりも甚だしいわね」

 厳しい言葉、鋭い口調。まるでやすりのように心を削り取ってくる。散々な言われようだったが……言い返せない。

 この感じは覚えがある。

 以前にも、同じようなことを言われたことがあった。


『ダメだよ、そんなこの世のすべての不幸を背負ってるみたいな顔しちゃ』


 あれは、そう。忘れることのできない出逢いの言葉だ。

 あの時僕は、君に何がわかると抵抗したのだった。

 ずっと一人で生きてきた。誰にも期待してはいけないし、誰からも嫌われてはならない。

 だから遠ざけた。求めないようにした。欲しいものなどないと自分に言い聞かせて。

 それが当たり前だったのに、あの日、いとも簡単にその噓は見破られた。

 それから僕の日常は少しずつ、でも劇的に変わっていった。

 戸惑いもあったけど、自分の居場所があるというあの安心感はとても心地のいいもので、自分自身の変化を感じていた。

 だけど、そんな日々も今日で終わった。

 本質的に僕は何も変わっていない。それを今、また違う女の子に指摘されて思い知ったのだった。

「……君だって、いつも一人じゃないか」

「私は人間が嫌いなのよ。あなたと違って」

「知ったようなことを言うね。さすが『精神感応』の能力者ってところか」

「茶化さないで」

 僕は目を閉じて、しばらく呼吸を整えることに意識を集中した。気分は大分マシになっていた。

「伴動さん」

「膝枕はしないわよ」

「違う……ありがとう」

「お礼を言われるような覚えは前世から数えて一度もないわね」

「やかましいわ」

 前世の覚えがあるのかよ。

 よいしょ、と身を起こす。今度は止められなかった。

「ずいぶん顔色がよくなったじゃない」

 そう言って、伴動さんは微笑んだ。

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