013 英雄になりたくて
他に訊きたいことはないかという夜夢さんの問いに、僕は素直に「君の知恵を借りたい」と申し出た。
「火の起こし方、か。私は理系じゃないからあまり役に立てないかもしれないけど」
そう謙遜しながらも、すでに何通りかの方法を思いついているようだった。
能力を使わずに火を起こすことが可能かどうか。いまだ僕にはその方法が思い浮かばないのだった。
「ライターとかマッチはこの施設にないし、食堂にコンロもない。やりようによって火を起こせそうなのはそこの石油ストーブとか電子レンジくらいだけど、事件の十分前くらいまでずっと僕はこの食堂にいたからな」
天照さんの『念動力』ならばストーブを持ち運ぶことも容易だろうが、それで僕が気付かないわけがない。
「ふむ。可能性として考えられるのは、道具を用いて科学反応を起こす方法か」
それは僕も考えたが、虫眼鏡で太陽光を収束させる方法くらいしか思いつかなかった。言うまでもなく、太陽光の届かないこの建物内では不可能だ。
「乾いた木材があれば原始的な火起こしも可能だけど、時間がかかり過ぎるね。それよりもっといいやり方がある」
「本当か?」
思わず身を乗り出す。
「私もやったことはないのだが……そうだな、次に言う物があったら持ってきてくれるかい」
それから五分後。テーブルには、アルミホイルとティッシュ、セロハンテープ、それに単三乾電池が置かれていた。
「これだけで火がつくのか?」
「まあ見ててごらん」
言われるままに見ていると、あっという間にそれは完成した。乾電池の両極に、先を細く尖らせたアルミホイルの切れ端を貼りつけただけの装置だ。
「これを、このようにくっつけると——」
アルミホイルの先の尖った部分を、剣先を合わせるように接触させる。すると、接触部分がオレンジ色の光を放った。それをティッシュに移すと、一瞬にしてティッシュは炎に包まれた。
おおっ、と感嘆の声が漏れる。科学の実験を見ているようだった。
ティッシュが燃えカスになると、夜夢さんはそれをひとつまみ手の平に乗せ、演技がかった仕草で「ふっ」と吹いて見せた。
「乾電池の電力を一点に集中させて高熱を発生させるという、ごくごくシンプルな方法だ。知識と道具さえあれば誰にでもできる。手間も時間もかからずにね」
「確かに、めちゃくちゃ簡単だな……」
この方法なら、天照さんや上井出にも犯行が可能だったことになる。
『念動力』でこんなに精密な作業が可能なのかはさておき、またどこまで火力が出せるかもさておき、とにかく華雅以外には火をつけることはできないという可能性はこれで否定された。
「ありがとう。助かったよ」
「美味しい食事を振舞ってくれたお礼だよ。さて、暇も潰せたことだし、我々はまた部屋に戻るとしようかな」
そう言って夜夢さんが席を立ち、カズも続く。
「あっ、ちょっと待ってくれ」
僕の呼びかけに、夜夢さんが意外そうにこちらを見る。
「ちょっとカズを貸してくれないか?」
***
食堂を出て角を曲がったところで、上井出くんと玖恩さんの姿が目に入った。
「やっぱりダメだよ、危ないよう」
「そうは言ってもこれ以外に方法はないだろう」
連絡通路の扉の前で、真剣な表情で何かを話し合っているようだった。
「二人とも、どうした?」
「HYMG!」
声をかけると、玖恩さんが言葉にならない悲鳴をあげて飛び上がった。
「び、びっくりしたあ。各務くん、それに夜夢さんたちも」
「お前たち、一緒に行動してるのか?」
「ああ、さっき偶然食堂で一緒になってね」
上井出は少し考えるような仕草をし、次に玖恩さんの方を見る。
「ちょうど良かった。千里、俺が戻ってくるまで各務たちと一緒にいろ」
「え、へええ!?」
上井出と僕を交互に見て慌てふためく玖恩さん。
「ちょっと待て、勝手に話を進めてんじゃねえ。おい上井出、『戻ってくるまで』ってのはどういう意味だ?」
カズの質問に、上井出は少し躊躇う様子を見せたが、やがてはっきりと言った。
「外に助けを求めに行く。俺の『瞬間移動』でな」
これには僕も驚いた。
外に出る? 本気で言っているのか?
確かに、外に出られないという制約をただ一人受けないのが上井出だが……それはあくまで「物理的には可能」というだけの話だ。
夜夢さんも僕と同じ感想を抱いたようで、
「本気かい? 貴重な薬を消費する価値のある行為とはとても思えないが」
と目を丸くする。
「そんなことはない。人が死んだ以上、実験の中止を求めに行くのが正しい行動だろう。それができるのは俺しかいない」
「落ち着きたまえよ。前にも言ったよね、あちら側は私たちの状況を把握しているはずだと。それでも助けが来ないのだから、彼らにその気がないということだ。君が何を言おうと彼らが従うとは思えないし、この建物から勝手に出た時点でどんなペナルティを食らうかわかったものじゃないよ」
「それでもだ。ここで何もしないでいるくらいなら喜んで失格になってやる。だが失敗しに行くつもりもない。脅してでも言うことを聞かせてやるさ」
「玖恩さんはどうするんだい?」
その質問で上井出が言葉に詰まった。
「君一人がヒロイックな自己犠牲精神を発揮して独断専行に走るのは自由だけれど、我々がどうしてツーマンセルで動くことにしたのかを忘れたのかい? 君がいない間の彼女の安全は私たちには保障できないし、それに君が無事に戻ってこられたとして、その時君はもう能力を使えない、ただの無力な人間だ。彼女の反対をおしてまで無理を通すのは身勝手がすぎるんじゃないのかな」
「それは……」
痛いところを突かれたようで、上井出は口をつぐんだ。
角の立つ言い方ではあるが、夜夢さんの言っていることは正しかった。上井出の説得が施設の動向を左右できるとは到底思えない。その場で捕縛されて戻ってこられない目算が大きいし、その場合は玖恩さんをどこかのグループに合流させるしかなくなる。ここで足並みを乱すのは褒められた行為とはいえない。
だが、僕は自分のスタンスを決めかねていた。
先ほどの夜夢さんの話が頭に残っていたからだ。あの話を信じているわけではないにしろ、完全に無視していいとも思えなくなってしまっていた。
これが本当にこの施設の思惑によるものなのか、あるいはそうでないのか、もし外の様子を見てくることができるならその真偽が確認できる。そしてそれは上井出にしかできないことだ。彼が自らそれを望むというなら、むしろ好機ともいえる。
「夜夢さ——」
呼びかけようとした瞬間、彼女と目が合う。
片目をぱちくり。
……なんでウィンク? ここは自分に任せろと言いたいのか。
「付け加えると、君たち二人が共謀している可能性もある」
「なんだと?」
上井出が眉間にしわを寄せた。
「ここで揉めているフリをして、こうして誰かが来るのを待ち構えていたのかもしれないってことさ」
「なんだそれは。俺たちがそんな真似をする必要がどこにある?」
「大いにあるあるなのだよ。君が我々の注目を引いて瞬間移動をする。しかし跳ぶ先は外ではない、私たちの背後だ。音もなく……シャッ、とね」
と、首を掻き切るようなジェスチャーをする。
そのシーンを想像してしまい、首筋がぞわりとした。
「お前は何を言って——」
「そんなことするわけないよ!」
言われた意味をわかっていない様子の上井出を遮って玖恩さんが否定したが、対する夜夢さんは一切怯まない。
「訳はちゃんとあるんだよ、玖恩さん。警戒している相手に対して『瞬間移動』の特性を最大限に活かそうとするなら、その方法が最善だからだ。そうだな、この中だったら最初に狙うのはカガミンだろう。『金縛り』さえ封じてしまえばこの中に上井出くんの攻撃を止められる者はいないからね」
「そんな……そんなこと」
「我々が体勢を立て直す前にもう一人、吾棟くんを仕留めることくらいは余裕でできるだろう。そうなればこちらは戦闘力のない女二人だ、どうにでもなる……ふむ。あながち悪くない作戦じゃないか。そしてこの場合、君たちのリーダーは玖恩さん、君だね」
「わ、私?」
「なにっ。千里がリーダーだったのか?」
「上井出くん、君はちょっと黙っていてくれたまえ」
どうでもいいが、弁の立つ夜夢さんの天敵は上井出みたいな弁の通じないタイプなんじゃないかと思う。
「玖恩さん、君のような庇護欲を誘うタイプが一番厄介なんだよ。自分の弱さを武器にして誰かに保護してもらうというのは最も効率の良い生存戦略だ。弱者の皮を被り、自分は無害だと思わせておいて、自分の手を汚すことなく目的を達する。容姿もおあつらえ向きのベビーシェマだしね」
「ちが……そんなこと……」
それは仮定の話のはずだった。だが夜夢さんは、彼女が黒幕と断ずるような口調で続ける。
「実際、君と上井出くんが共犯だったと考えると辻褄が合うのさ。最初の事件、あれは華雅くんに罪を着せるために仕組んだものだ。共犯ならば互いのアリバイも証言できるしね」
「ちがう、私たちそんな……そんな……うう……」
あ。泣いた。
泣かせやがった。
「ひっく……ちがうのに……鞍馬くんも、わだしも、ぞんなごどじでないのに……ひっく」
自分に考えがあるとばかりにウィンクしてきたから横槍を入れないようにしていたけど、これじゃ四人がかりで苛めてるみたいじゃないか。
お前のパートナーを何とかしろ、という視線をカズに送るが、今度はこいつがウィンクを返してきた。
おい。少しは仕事しろ。
「すぐに泣くのもいい証拠だよ。泣くことが敵が攻撃の手を緩めること、自分の味方を増やすことだと理解しているのさ。ある意味一番タチが悪い、手に負えないタイプだよ。自身が助かるためには平気で他者を害する。それが君の本当の姿だ」
さすがに行き過ぎていた。これではただの人格攻撃だ。
「夜夢さん、その辺に——」
遮ろうとした僕の言葉は、中断を余儀なくされた。
理由は二つ。
ひとつは、扉と反対側のコンクリート打ちっ放しの壁に、「ぴしっ」と音を立てて亀裂が走ったこと。
もうひとつは、全身を貫いた悪寒だった。
その正体が何なのか、すぐにはわからなかった。何しろ初めての感覚だったし、僕はすでに冷静な判断力を失っていたから。
「ぐ、ぐぐ」
「君? どうした」
夜夢さんが上井出に近づこうとするのを、僕はとっさに手で制する。
「ぐぐぅ、うぐ、ぐる」
獣のような唸り声が上井出の口から発せられていた。口の端から涎が垂れている。
上井出が僕の方を向く——目が合う。
狂人の目。完全に正気を失っている。その瞳に宿るものを確認して、僕はようやく気付いた。
先ほど感じた悪寒の正体が、殺気であることに。
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