012 神の名は
その後も当たり障りのない会話をしていると、食堂の扉が開いた。
「これはこれは。久しぶりだね、お二人とも」
つい先ほど別れたばかりの二人、夜夢さんとカズだった。
来るかもしれないとは思っていた。伴動さんと同じく、夜夢さんも朝から食事を取っていなかったはずだから。
「空腹は苦じゃないのだけど、時間を持て余してしまってね。吾棟くんは没交渉だし、事件の推理でもしようかと思ったのだけど、脳に糖分が不足してどうにもダメだ。しかし君たちがいたのならば来てよかったな。ふむ、食欲をそそる香りだ。これは……私の好きなブイヤベースかな?」
「いや、しょうゆラーメンだけど」
「惜しいね」
夜夢さんが伴動さんの隣に、カズは僕の隣に着席した。
カズが没交渉というのは本当らしく、対面に座っても夜夢さんと目を合わせない。こうなると目つきの悪さも相まって怒っているようにしか見えない。
夜夢さんはよく平気なものだ、と顔を向けると、目が合った。
何かを期待しているような、物欲しそうな顔。
「……何かな?」
「いや、美味しそうなものを食べているなと思ってね」
「君も食べたらいい。在庫は山ほどあるから」
「薄情だなあ。私はここの勝手を知らないんだよ」
「勝手も何も、お湯を入れて三分待つだけだよ。ケトルに水を入れて沸かして、それからカップ麺はあっちの棚に」
「おなかがペコリ」
「………………」
なんで僕が君の分まで作らなければならないんだ、という不満を四つ折りにして胸にしまって作ったカップラーメンを渡すと、夜夢さんは満足そうに手を叩いた。
「感謝するよ。私は箸より重たいものが持てなくてね。それで、捜査状況はどうなんだい?」
あっという間にスープまで飲み干した夜夢さんが、そう切り出してきた。
「まずまずだけど、まだまだって感じだよ。どうにもモヤモヤするというか」
「ふむ。話してみたまえ」
と、右手の甲に頬杖をして足を組む。
こうして彼女のペースに知らぬうちに巻き込まれていくのがパターンになっている。彼女の頭脳は助けになるかもしれないが、どこまで話したのものか……と悩んでいると、
「容疑者を二人にまで絞ればいい、と考えているんだろう?」
そう言ってニヤリと笑う。
素直に驚いた。そこまで見透かされていたとは。
「あえて言わなかったけれど、最初に伴動さんの能力を聞いた時から私も同じことを考えていたよ。君が伴動さんと組んだのはそういう目的もあったんだろう? 『精神感応』は人間の心理を読む能力だ。すなわち、犯人の嘘を見破ることができる」
「……その通りだよ」
「あは、やっぱり君は面白いね。実に子供らしくない考え方をする。昔から同年代で私に合わせられる人は少なかったんだけど、君は話し相手として申し分ないよ」
感心したように言う。
子供らしくないのは自覚しているが、彼女に言われると褒められている気がしない。
「伴動さんの薬は残り二本だから、二人にまで容疑者を絞れれば犯人がわかるってわけだ。しかし犯人がそのことに気付いたら彼女の始末を企むかもしれない。そこで君の『金縛り』の出番というわけだ。君の能力なら、よほど不意をつかれるようなことがない限り敵の攻撃を無力化できる。私が犯人なら君たちのコンビはとても厄介に感じただろうね」
「君が犯人だったらその方が厄介だよ」
しかしさすが、鮮やかなものだ。それこそ探偵に暴かれる犯人の気分になる。
「しかしカガミン、ひとつ訊きたいのだけどね。君の注射器を伴動さんに渡せば、もっと確認可能な人数は増えるんじゃないかい? もっと言えば、皆の薬を借りて全員を調べればいい。彼女の能力ならばそれが可能だろう」
夜夢さんがちらりと目を配るが、伴動さんはじっと目を閉じていた。
「それも考えたけど、一日に三回以上力を使うのは危険だし、犯人を見つけた時に僕らに自衛の手段が残っていなければ意味がない。それに薬を借りるとなると別のリスクが生まれて余計にややこしくなる。だから犯人探しに使うのは二本まで、それが僕たちの決めたルールだ」
「では、先に華雅くんだけ調べるというのは? どうせ二人のうちの一人は彼で決まりだろう。それで事が済む可能性だって高いと思うけれど」
「それは……正直言うと、僕は華雅が一番怪しいとは思ってないんだ」
「それは何故だい?」
「ただの勘だよ」
僕ははぐらかすように答える。実際、確固たる根拠があるわけでもないのだ。
「だからまだ切り札を切るわけにはいかない。切るにしてももう少しいい作戦が思いついてからだ」
「ふうん。まあいい、君に任せるよ」
完全に彼女のペースになってしまっている上、一方的に話をさせられているような気がして面白くないので、逆に彼女から情報を引き出すことにした。
「夜夢さん、せっかくだから僕からも質問があるんだけど」
「上から86・58・85だ」
ごくり。
「違う! スリーサイズを訊こうとしたわけじゃない!」
「下着の色かい?」
「それは知ってるよ! 白だろ!」
「…………」
「…………」
静寂。
「いや待て、勘違いしないでくれ。だって下着は支給されてるだろ。少なくとも男は白だから……」
助けを求めるようにカズを見ると、わざとらしく溜息をつかれた。
「毎度簡単に遊ばれやがって、学ぶってことを知らねえのかお前は。事件のことで聞きたいことがあんだろ。夜夢、真面目に聞いてやれ」
「ふふ」と夜夢さんが笑う。
「すまないね。歳の近い人間と歓談するのは久しぶりだし、カガミンがいい反応をするものだから。それで、質問てのはなんだい?」
散々おちょくられてもう半ばどうでもよくなっていたが、ここで引いたら遊ばれた甲斐もない。
「夜夢さんが朝に言っていたことだよ。『何者かの意思』がどうとかって、あれはどういう意味だったんだ?」
どうせ場をかき回すための放談だろうと聞き流したものの、気にはなっていた。
この状況が第三者により仕組まれたものだとしたら……たとえば反ヘテロ・チャイルドを標榜する過激派集団が僕たちを狙って襲撃を仕掛けてきたとか。もしそうなら犯人探しもへったくれもない。
「ああ、あれはまあ、ただの妄想だよ」
「でも根拠はあるんだろ?」
「ううん……」
と、珍しく煮え切らない反応を見せる。
「まあ、妄想だと割り切って聞いてもらえるなら話してもいいか。君たちは、『愛の命日』についてどの程度のことを知っているかな?」
「えっ——」
いきなり飛び出してきたその単語に、思わず怯んでしまった。
僕たちの運命の引き金を引いた、終わりの始まりの事件。この施設においても暗黙のうちにタブーとされていた話題である。
「その反応を見るに、どうやら詳しく知ろうとしたことはないようだね。ではその説明から入ろう。——五年前の五月三十日、世界中で何十万もの人間が命を落とした、事件というのも憚られる大いなる災厄、『愛の命日』。この事件のもっとも特異な点は、被害者がいずれも大人で、加害者がいずれも十代以下の子供だったということだ。子供たちは事前に示し合わせたわけでもなく、何の前触れもなく冷酷な殺人鬼へと変貌した。もちろん失敗した子供もいたし、中には親に撃ち殺されたなんて惨いケースもあったけれどね。さらに、被害者の中には“異常な殺され方”をしている者が少なからずいて、加害者の子供には脳に共通の異常が発見された——これがヘテロ・チャイルドの第一世代とされる子供たちだ。ここまではいいかい?」
「ああ。それくらいは知ってる」
知っているが、違和感も感じる。彼女の言い方は、あの出来事を肯定的に捉えているようにも聞こえた。
「その日を境に、同じ症例が次々と報告されるようになった。危険極まりない能力を持つ子供たちだ。『愛の命日』の再来を恐れた大人たちは本格的にその対策に乗り出し、法整備がなされ、研究や収監を目的とした施設が次々に建った。知ってるかい? 逸脱症候群の患者がその能力でもって他者に危害を加えようとした場合、加害意志があると判断された時点で正当防衛が成立するんだよ。平たく言えば、我々が大人に敵意を見せた時点で殺されても文句は言えないんだ。明らかに過剰防衛だけれど、これも大人たちのトラウマの表れなんだろう。とまあ、かように我々は忌避の対象になっているわけだが——しかし一方で、それとは別の思惑を持つ者たちもいる。『愛の命日』の真相を知る者たちだ」
含みのある言い方をして一度話を切り、僕の反応を窺うように目を覗き込んでくる。
「……真相って?」
先を促すと、夜夢さんはここからが本題とばかりに不気味に笑い、一段声のトーンを落として話を再開した。
「どのようにしてその真相へとたどり着いたのかは知らないけれど、大人たちも無能ばかりじゃないということだ。彼らは知った——『愛の命日が、一人の子供により作為的に起こされた人災だった』ということを」
「なんだって!?」
あの世界規模の災厄の原因が、たった一人の子供だったと?
あまりにも常軌を逸した、耳を疑うような話だ。
「妄想だと言っただろう。根も葉もない街談巷説の類だよ。話半分で聞いてくれ。その子供はヘテロ・チャイルドの最初の一人とされている。いわば我々にとっての始祖。誰が名付けたか、こう呼ばれている——『ポラリス』と」
ポラリス……北極星。天体の中心、ゼロの座標。
馬鹿らしいと笑い飛ばしたい一方で、僕は、その名前に既視感を感じていた。
どこかで聞いたことがある。あれは……
「彼、と言っても性別すらわかってないが、とにかく彼が世界中の子供に号令を下したことで『愛の命日』が起こった。目的は不明だが、この世界に戦争をしかけた。そしてここからが肝要なのだが……その戦争はいまだに終わっていない。ポラリスの意志を継ぐ者たちが密やかに団結し、再び大人たちを殲滅せんと目論んでいる。どうだい、噴飯ものだろう?」
口の中がからからに乾いているのに、手の平はじっとりと濡れていた。
こんな陰謀論めいた話、誰が信じられるだろうか。
しかし実際に『愛の命日』にはわかっていないことが多いし、なにより彼女の口から語られると、いかにも真実のように聞こえてくる。
第三者の意見も聞いてみたいところだが、伴動さんは先ほどからずっと置き物状態だし、傍観者のカズからはどうせまともな意見は返ってこないだろう。
「仮にその話を信じるとして……それとこの状況と、どういう関係が?」
「たとえば、彼らが我々を仲間に加えようとこの施設を攻撃している、とかね」
自分で言いながら肩をすくめてみせる。
「ま、あれだけの被害を出したのに謎の多い事件ときている。こういう都市伝説だって生まれようものさ。根拠もなければ否定する材料もない。今は無視していいと思うけれどね」
「君は、その話を信じてないのか?」
「私が信じているかどうかは重要じゃない。君がどう思うかだよ」
はぐらかすような物言いに、僕はそれ以上追及することをやめた。
聞かなくても、その目を見ればわかったからだ。目の前に座っている都市伝説は——明らかに、その都市伝説を信じていた。
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