011 塩気強めのパワーランチ

 結論から言うと、美來の部屋に特におかしな点は見受けられなかった。

 何か手がかりが見つかればいいと期待していたのだが、遺書などが見つからなくて安心している自分がいることも僕は自覚していた。


「なんで美來はあの空き部屋にいたんだろう?」

 ふと思いついた疑問を呟くと、他人の部屋に入ることを後ろめたく感じているのか、どこか所在なさそうにしていた伴動さんがこちらを振り向いた。

「なんで、とは?」

「“どうやって”と“どうして”の二つさ。そもそも鍵がかかっていて誰も入れなかったのなら、それは美來だって同じだろ。それにあの部屋にいた理由もわからない」

「誰かに呼び出された、と考えるのが自然じゃないかしら」

「……まあ、そうだよな」

 美來が一人で自らあの部屋へ侵入したというのは、ちょっと考えにくい。

 しかし呼び出されたのだとしても、その人物はどうやってあの部屋の鍵を手に入れたのか。まあ、その辺りの事情はどのみち犯人を突き止めない限りはわからないだろう。

 その時、伴動さんが机の上をじっと見ていることに気付いた。

「何を見てるんだ?」

「ん……これ」

 これ、と言いつつ微動だにしないので視線の先を追うと、そこには肖像画が飾られていた。段ボールで作られたお手製の額縁の中で、美來が優しい微笑みをたたえている。

「ああ、これはカズが去年の美來の誕生日にプレゼントした絵だよ。上手だろ」

「こっちは?」

 感想もなく、別の場所を指さす。

「それは……え?」

 横たわっているので気付かなかったが、もう一枚、別の絵が机に置かれていた。描かれているのは先ほどと同じく美來の肖像画だったが……この部屋には何度も来てるけど、こんな絵は見たことがない。

 とすると、思い当たるのはひとつだ。

「カズは今年も肖像画を贈るって言ってたから、それじゃないかな。でもいつの間に渡したんだろう。いや、それよりも」

 もっと気になる点がその絵にはあった。

「これ、破った痕だよな?」

 先ほどの絵と違い、こちらの絵は肖像画としては珍しい横向きの額縁に収められていたが、おかしなことに、中の絵は額縁の左半分しか埋められていない。絵が真ん中から半分に破られているのだ。

 失われた右半分には何が描かれていたのか。それに、誰が破いたのか。カズか。まさか美來だろうか。

「いつまで絵なんか見ているの? 用が済んだのなら早く出ましょう」

 気付くと伴動さんはいつの間にか出口の前に立って腕組みをしていた。

「いつまでって、君が気にしたんだろ……」

 まあ、後でカズに訊けばわかることだ。

 伴動さんは僕よりよほど観察力があるようだ。僕だけでは気付かないようなことに気付いてもらえるのは心強い。

「一応必要な場所は見て回ったし、いったん部屋に戻って整理するか」

「食堂へ戻るというのはどうかしら」

「食堂? どうして?」

「特に理由はないけれど、他の人の動向もわかるし、考え事もできるでしょう」

「いや、考えるのは自分の部屋の方が集中できるし」

「ぐうう」

 獣の唸り声。

「……今なんて?」

「なんでもないわ」

「ぐるるるる」

 顔を赤くしてお腹を押さえる伴動さん。

 そういえば彼女、皆が食事してる時には部屋に戻っていたのだっけ。

「えっと、食堂に行きたい理由を正直に話してくれれば考えなくもないけど」

「……ホメオスタシス効果が……」

「部屋に戻るか」

「お腹がぺこりです」


***


「たまにはジャンクフードも悪くないわね」

 食堂には誰もおらず、僕と伴動さんの二人だけでインスタントラーメンをすすっていると、彼女がそんなことを言った。

「そういえば、どうして食事の時いつも部屋に戻るんだ?」

「一人でいるのが好きなだけよ。……嘘をつくなという顔ね。心外だわ」

「いや、嘘だなんて思ってないよ」

 慌てて否定しつつも、それがすべてではないのだろうとは思う。

 行動を共にしてまだ一時間も経っていないが、それまで抱いていた印象とずいぶん違う一面が見えてきたように思う。

 私は従うだけ、なんて彼女は言っていたけど、主体性がないようには見えない。むしろ自分の頭で物事を考え判断するタイプだろう。

 ヒントになるとしたら、パーソナリティと能力の関連性だ。

 ヘテロチャイルドが獲得する能力は、その潜在的欲求——自分自身を取り巻く社会に対する欲求の現れだと言われている。

 たとえば毎日のように物を投げつけられて苛められていた子供は、「飛んでくる物を止めたい」と渇望し、結果として飛来する物体を空中で静止させる能力を開花させた。

 だとすると、彼女の能力は何を契機として、どのような欲求の帰結として発現したものだろうか。

 ……なんて。

 詮索はよくないよな、と自省する。僕だってその辺りの事情を人に知られたくはない。

 こういう時は、そう。チームワークをより円滑にするためにも、世間話でもして距離を縮めるのがいいだろう。

「えっと、なにか世間話でもしようか」

 何のひねりもない振りをしてみる。深刻なコミュニケーションスキルの欠如。

「世間とは何かしら?」

「いきなり深すぎる……」

 確かに、僕らにとっての世間とはすなわちこの施設での暮らしであって、雑談に向いた話題なんてそうそうないけど。

「言ってしまえばお互いに命を預けてるわけだし、もう少し互いのことを知っておいた方がいいかと思ったんだよ」

「そうは言われましても、何を話せばよいのやら」

「何だっていいよ。どうせオチのある話なんてできないだろうし」

「かっちーん」

 と、伴動さんは険しい表情を作る。

「こんな失礼な人は初めて見たわ」

「僕は自分でかっちーんと言う人を初めて見たけど。そう言うなら何か面白い話をしてくれよ」

「そうね……昔、私の家で一か月くらい毎日カップラーメンが食卓に並ぶ時期があったのだけれど、それは何故でしょう?」

「クイズか、いいね。うーん……ネットで注文したら数を間違えて大量に届いたから、とか?」

「ブー。正解は、うちが貧乏だったから」

「ただ切ないだけの話じゃねえか!」

「ガスも止められていたからお湯も作れなくて、バリカタで食べていたわ。悲しいバリカタ、金縛り」

「死ぬほどしょうもねえ」

 急激にキャラクター性が崩壊してるけど、このまま話を続けて大丈夫だろうか。

「なによ。じゃああなたこそオモローな話題を提供してくれるのでしょうね」

「いや、別に面白い話じゃなくていいんだよ。ここのメニューだと何が好きかとか、好きな本とか、休みの日の過ごし方とか」

「他には?」

「……好きなタイプ、とか?」

「不謹慎ね」

 普通に怒られた。

「それに、自虐的だわ」

 突き放すようにそう言うと、伴動さんはカップを持ち上げ、スープを一気に飲み干した。

「ずっと思っていたのだけど」

 と、僕の目を見据える。

「あなたは木花美來さんの死を受け入れてないように見えるわ。目を逸らしている——逃げている。そしてそれを自覚している。だからこそ、そんな自虐に走ってしまうのよ」

「思いやりのないことを言うね」

「冷酷なのよ、私」

 そういう風に見られていると思っていなかったから面食らってしまったが、否定はできない。

 それどころか——完全に彼女の言う通りだった。

「さすがは『精神感応』の能力者ってところか」

「茶化さないで。私は別にそれが悪いとは思ってない。でもあなたがしようとしていることを考えたら話は別。真正面から向き合えないのなら、犯人を見つけ出すなんてできっこないわ」

「うぐ」

 いかん、どうにも旗色が悪い。

「ふっ、何を言い出したかと思えば、ここにきて感情論を持ち出すとは青い青い! こいつはとんだお笑い草だ、ふは、ふはははは!」

 いや、キャラが違う。

 狂ったのか僕は。やり直せ。

「えっと……うん。君の言う通り、確かに中途半端だったよ。言いにくいことを言ってくれてありがとう。感謝する」

 そんな返答を予想していなかったのか、伴動さんはわずかにたじろいだ。

「いえ、私も言い過ぎたわ。ごめんなさい」

 そう言って頭を下げてくるが、実際、彼女の言った通りなのだと思う。

 たぶん、僕は怖れているのだ。

 向き合った時に自分がどうなってしまうのか。受け入れてしまった瞬間、空気が抜けた風船みたいにぺしゃりとなって、二度と起き上がれなくなるんじゃないかと——

「話を戻すけど、私のタイプは頭の良い人よ」

「いま真面目な考え事をしてたんだけど……」

 というか、答えるのかよ。

「嫌いなタイプは試験で赤点を取る人」

 僕だった。

「君は頭良さそうだもんな。プログラムの成績も優秀だって聞いたし」

「オフに仕事の話をする人も嫌いよ」

「…………」

 オフなのか今は。

 お前はどこのOLだと問いたかったが、僕はもう喋らない方がいい気がしたので黙っておいた。

「でも、数多いる嫌いなタイプの中でももっとも嫌いなのは」

 と、彼女は空になった容器を持って立ち上がった。

「命令をしてくる人。脅迫をしてくる人。無理強いしてくる人。支配してくる人」

 流しの方へと歩いて行く彼女の背中に……僕は声をかけることができなかった。

 ”命令”。

 キーワードのように繰り返し彼女の口から出てくるその単語は、彼女のバックボーンを想像するのに充分すぎるくらいのヒントだった。

 訊けるはずもないし、聞きたくもない。

 彼女は続けた。

「自分は虐げられている被害者なのだと考えてしまいがちだけど、それを否定するつもりはないけれど、私たちだってひとつ間違えばそういう立場になるかもしれない。虐げられたからといって他人を軽んじていいわけじゃない。負わされた痛みを他人にひっ被せていい理屈はないのよ」

 空き容器を食堂のゴミ箱に捨てて、独白のように言葉を紡ぐ。

 まるで自分に言い聞かせているように。

「正直に言わせてもらうと、私は真実なんてどうでもいいの。誰が誰を殺したかなんて知りたいと思わない。それでも私があなたの提案に従うことにしたのは、あなたがそういうタイプの人間ではないと思ったから」

 不器用だけど真っ直ぐな彼女の言葉に、僕はやはり何も言えないままでいる。

 彼女は最後にこう付け加えた。

「だからあなたのことは、嫌いじゃない」

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