010 死煙の残り香

 チーム分けをして解散した後、食堂を出たところで、僕は膝をついた。

「大丈夫?」と伴動さんが駆け寄ってくる。

「ああ、ちょっと眩暈がしただけだよ」

 立ち上がって手を振って見せると、彼女は憮然とした表情を浮かべた。

「さっそくパートナーが攻撃されて死んだのかと思ったわ」

「はは、笑える」

「笑いごとじゃないわ」

「彼女の言う通りだよ、カガミン」

 後ろから声がして振り向くと、夜夢さんとカズが食堂の入り口に立っていた。

「死体発見直後の君はまさしく死んでしまってもおかしくないような有り様だったからね。君が倒れたら誰が私の遊び相手を務めてくれるんだい? そうそう、伴動さんと玖恩さんにはお礼を言っておきなよ。“後片付け”をしてくれたのは彼女たちだから」

 後片付け……ああ、吐いちゃったのだっけ、僕は。

 伴動さんを見ると、首を横に振った。

「気にしないで。胃液だけだったから」

 そういう問題ではないので、僕は素直に「ごめん」と頭を下げる。


 僕と伴動さん。夜夢さんとカズ。

 この奇妙な取り合わせは、今しがた班分けをした結果だ。

 僕の提案したツーマンセルは意外にもすんなり受け入れられた。お互いを監視していれば犯人も迂闊に動けないし、二人を相手にそうそう手を出せないだろうという主張が通った形だ。

 チーム分けは皆で話し合って決めた。皆はてっきり僕がカズと組むものだと思っていたらしく、伴動さんを選んだことに驚いていたようだった。

 しかし僕はなんとしても、伴動さんと組む必要があったのだ。


「君たちはこれからどうするんだい? 我々は私の部屋で今後のことを話し合うつもりなのだが」

 そう言って夜夢さんが後ろにいるカズを振り返るが、カズはポケットに両手をつっこんだまま知らん顔をしていた。

「僕らはもう少し現場を調べてみる。まだ僕は自分の目で確認してないから」

「行くのかい、あそこに。私も隣の部屋だからあまりいい気分はしないが、君にとっては二度と近づきたくない場所だろうに。まあいい、それじゃあ途中まで一緒に行こうか」

 四人で歩いている途中、隣のカズが話しかけてきた。

「よお相棒。なかなか面白い相手を選んだな。何を企んでるんだ?」

「内緒にしておく。まだ作戦とも言えない、ただの賭けだから」

「賭けねえ。勝算はあんのか?」

「ない。僕はギャンブルが苦手なんだ」

「あっそ」

 小さく笑い——僕にしか聞き取れないボリュームで囁いた。

「夜夢のことは俺に任せろ」

 僕がその言葉の本当の意味を知るのは、もう少し先のことである。


***


「それじゃ、健闘を祈るよ。何か見つけたら教えてくれ」

 夜夢さんの部屋の前で二人と別れ、その隣、事件現場である空き部屋の前に僕と伴動さんは立っていた。

 廊下にはまだうっすらと煤けた空気が漂っている。建物の気密性が高いため、換気が悪いのだ。

 鍵の壊れた扉を手で押すと、重い音とともにゆっくりと開いた。足を踏み入れると、室内にもう煙は残っていなかったが、ツンとした不快な匂いが鼻をつく。

 ベッドの上の死体は、白いシーツで覆い隠されていた。誰かがかけてくれたのだろう。

 シーツに手を伸ばそうとすると、先ほどの衝撃が脳裏に蘇った。自分の血の気が引いていくのがわかる。

 こんな場所では深呼吸もできない。

「顔色が悪いけど、大丈夫?」

「……いや、大丈夫ではないけど、今さらだよ。伴動さんこそ無理に付き合わなくていいよ」

「それも今さらね」

 落ち着いている伴動さんの様子に、僕は安心感を覚える。

 思い切ってシーツをめくり上げると——黒くて歪な物質が現れた。四肢を折り曲げて、背中を丸めた胎児のような姿勢で横たわっている。

 数時間前まで命を宿していたとはとても思えない。皮膚も肉も髪も衣服も真っ黒に焼け焦げて、顔はまったく判別できない。特に上半身は損傷が激しく、灰になって散乱している。

 どうしようもなく死んでいた。

 あまりにも死に過ぎていて——遠い世界での出来事のように現実感がない。

 何か、手がかりはないか。

 よく観察しろ。ひとつも見落とすな。


「ねえ、これ」


 伴動さんが死体の足下を指さす。

「ここだけが燃えずに残ってる。こんな風になるものなのかしら」

 確かに、ほぼ全身が焼けている中、足首から先だけは炎に包まれた様子もなく、生きていた頃のままの状態を保っていた。

「確かに不自然だな……火が回らなかったのかもしれないけど、それ以外の部分との差が激しすぎる」

 その疑問に説明をつけるなら、やはり『パイロキネシス』ということになるだろう。あの火の球が足首から上を包んだのだとしたら、こういう風にもなるかもしれない。

 しかし一方で、僕は別の違和感にも捉われていた。

「伴動さん。このマットレスだけど、表面が焦げてるくらいでほとんど焼けてないよな。死体を発見した時、けっこう派手に燃えていた気がするんだけど」

「言われてみればそうね。恐らくだけど、シーツだけが燃えて、その下のマットレスまでは燃えずに済んだのではないかしら」

「シーツか……」

 部屋の外から『パイロキネシス』を使ったとして、マットレスだけ無事なんてことがあるだろうか。どこかアンバランスな気持ち悪さを感じる。

 もしも華雅が犯人ではなかった場合——

 犯人が死体に火をつけた理由として思い浮かぶのは、華雅に罪を着せるためとか、証拠隠滅のためといったあたりか。それはそれで筋は通っている。

 やはり華雅が犯人であると決めつけるのはまだ早い。

「この部屋、初めて入ったけれど」

 突然、室内をきょろきょろと見回しながら伴動さんが言う。

「けっこう物が揃っているのね」

「え?」

 どういう意味だろう。

「だってここは空き部屋でしょう。でも、あまりそういう感じがしない」

「ああ……言われてみれば」

 確かに、すぐにでも生活できるくらいリネンやアメニティが揃っているし、ハンガーラックには女子用の制服までかかっている。ベッドにシーツが敷かれていたのもよく考えたら妙だ。

「いつ新しい人が来てもいいように用意してあるんじゃないか?」

「そうね……そうとしか考えられない、わよね」

 と言いつつ、どこか腑に落ちない様子の伴動さんであった。


 他に目新しい発見もなく、僕たちは空き部屋を後にして次の目的地へ向かうことにした。

 何度も訪問したことのある場所。

 もう二度と主が帰ってくることのない、美來の部屋へ。

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