008 碧眼の魔術師

 発火能力、いわゆるパイロキネシスト……華雅がそうであることは予想していたが、まさかこれほどの破壊力とは。

「言っとくけど俺は犯人じゃないぞ。見えてるものしか燃やせないし、部屋の外から火をつけるなんてできないからな。それに俺が犯人だったらわざわざ俺が犯人ですって自白するようなやり方するかよ」

 そのロジックは、確かに一理あるようにも思える。焼死体の傍に発火能力者がいたら真っ先に疑われて当然だ。ましてあのリストのせいでその存在を全員が知っていたのだ。

 だがしかし、事件が突発的、衝動的なものだった場合、また自分が犯人だとバレてもいいと考えている場合、つまり全員を皆殺しにするつもりだった場合はその理屈は当てはまらない。いや、だがこれほどの炎ならば今まさに皆殺しにすることもできたはずだ。

 僕がそんな風に考えていると、「おいリオン」と天照さんが声を上げた。

「今の話、本当か? 見てて思ったんだけどよ、お前もあたしみたいに、壁の向こうに火を出すことくらいはできんじゃねーのか? コントロールはできねーにしてもよ」

 そう訊かれた華雅は、意外なことに――小さい子供のような、泣きそうな顔をした。

「お、おいリオン? あたしは別に」

 天照さんが狼狽えるが、夜夢さんが「それはもっともな指摘だね」と割って入った。

「ヘテロが発症する能力というのは、大別すると三種類に分けられる。〝意識に干渉する能力〟、〝物質に干渉する能力〟、そして〝世界を認識する能力〟の三つだ。たとえば『金縛り』や『精神感応』は〝意識に干渉する能力〟、『念動力』は〝物質に干渉する能力〟に当たる。玖恩さんの『透視』は三つ目の〝世界を認識する能力〟だね。そして〝物質に干渉する能力〟は、発動条件として目視を必要としないことが多い。『パイロキネシス』もこれに類する能力だから、華雅くん、君自身がどう思っているかにかかわらず、扉の向こうにいる木花さんを焼き殺すことは不可能じゃない、と推察されるよ」

「おい夜夢っち、あたしはそういうつもりで言ったんじゃ」

「――だったらどうすんだよ」

 低い声で凄む華雅の顔は、いつもの攻撃的な雰囲気を纏っていた。

「やっぱり俺が犯人だって言いたいんだろ。だったらいいぜ。さっきの見てそれでもやるってんなら、全員束になってかかってこいよ。俺がその気になりゃ、お前ら何人がかりだろうが一瞬で――」

「やめろ華雅」

「一人残らず、焼き殺してやるよ」

「華雅!!」

 僕の制止も空しく放たれたその言葉に、部屋が重苦しい空気に包まれる。

 攻撃の意志を口にしてしまった華雅と他の全員との間に、その時、埋めようのない溝ができてしまったように思われた。

「悪かった、そう興奮しないでくれ」と、夜夢さんが取りなすように言う。

「別に君を犯人指名するつもりはないよ。可能性だけで言うなら犯行が可能だった人は他にもいるのだからね」

「そうだ華雅。それを言うなら俺だって容疑者だ。俺の『瞬間移動』なら部屋の中にも出入りできる。そうだろう」

「あたしもだ。火を点ける方法は思いつかねーけど」

「……ちっ」

 華雅は不貞腐れたような顔をしたが、上井出と天照さんが名乗り出たことで、とりあえず矛を収めることにしたようだった。

「夜夢さん」

 呼びかける自分の声が、思った以上に強張っていた。

「まだ君の番が終わってない。誰が怪しいとかそういう話はその後だ」

「そうだったね。まあリストに書かれた能力も残すところ二つ、わざわざやって見せる必要もないのかもしれないが」

 軽い調子でそう言うと、夜夢さんは制服の左ポケットから注射器を取り出し、指先でくるくると回した後、優雅な手つきで右腕に打った。

 皆の顔を見回す――その瞳が、怪しく光った。

 比喩ではない。右の瞳だけが、鮮やかな青色に変化したのだ。

 次に夜夢さんはビリヤード台へと近づき、ボールをひとつ手に取って戻ってきた。ナインボールで勝敗を決する最後のボール、九番の球を。

「華雅くん」

 名前を呼ぶと同時に、ボールを華雅の手元に放り投げる。

「わっ。なんだよ?」

「私の瞳を見るんだ」

「はあ? なんで……俺が…………」

 華雅の手からボールがこぼれ落ちた。地面にぶつかりコツンと音を立てて転がっていく。

 夜夢さんを見つめる華雅の目は、焦点を失っていた。心ここにあらずというより、意識まで失っているかのような。

「リオン!」

 天照さんが袖を引っ張ると、我に返ったように華雅の瞳が焦点を取り戻した。

「おい、平気か? どうしたんだよ」

「あ? ああ……」

「華雅くん」

 再び呼ばれて夜夢さんを見るが、慌てたように目を逸らす。それはまるで、意中の女子にからかわれて照れる男子のような――

「今、私は君に魔法をかけた。わかるかい?」

「ま、ほう……?」

「そうさ。私に対する感情に変化があったはずだ。恥ずかしいかもしれないけど、正直に言ってくれないか」

 しなを作りながら夜夢さんが青い右目をウィンクすると、華雅はそっぽを向いたまま、

「あ、あんたのことが」

「私のことが?」

「…………うう」

 照れた。

 ええと。これはつまり、そういうことか。

「オーケイ。もういいよ華雅くん、すまなかったね。それ以上は言わなくていい。これで皆にはわかってもらえたと思うんだが、私の能力は『魅了』だ」

 言われるまでもなく一目瞭然だった。〝照れている華雅〟というのは、そのくらいわかりやすいエビデンスだ。

 朝、初めて夜夢さんを目にした時のことを思い出す。あの呑み込まれるような感覚は、もしかすると彼女のそういった性質に由来するものだったのか。

「少し昔話をしようか。この更生センターが設立したのは約三年前のことになるが、一番最初に収容されたのがこの私だった。にもかかわらず今までどうして皆と顔を合わせることがなかったのかというと、それはこの能力のせいなのさ。ここに来てすぐの頃にうっかり職員を『魅了』にかけてしまってね。私も能力に目覚めたばかりだったし、彼らも我々の扱いに慣れていなかったんだ。それから私は幽閉に近い形で部屋に閉じ込められていたのさ。プログラムも食事もすべて私の部屋で行われた。彼らがあの不格好なゴーグルをつけるようになったのもそれからさ。目が合うだけで能力にかかってしまうことを恐れたんだね。薬さえ打たなければ安全なのに、まったく臆病な連中だよ」

 彼女が姿を見せなかったのにはそういう経緯があったのか。なかなか興味深い話ではある、が……。

「夜夢さん。その『魅了』の能力について詳しく説明してくれ」

「失礼、脱線してしまったね。大体想像がつくと思うが、私の『魅了』にかかった人は私のことを恋慕するようになる。私の言うことを無条件に聞いてくれるほどにね。ただ個人差はあるし、たとえば私のために死んでくれとか、誰かを殺してくれとか、そこまでは強制できない。君たちだって、いくら好いた相手でも〝死ね〟と言われて死にはしないだろう? それと一緒さ。発動条件は私と目を合わせること、一度の投薬で一人まで。持続時間は個人差があるが、だいたい一時間ほどで解ける」

 ちらりと華雅を見ると、まだ恥ずかしそうに俯いていた。

「目を合わせるだけでいいのか? さっきボールを渡したのは?」

「ふふ、ただの演出だよ。人が恋に落ちる瞬間はドラマティックであるべきだろう」

「それは知らないけど……『魅了』から醒めたらどうなる?」

「どうもならない。愛が幻想だと悟った時のように我に返るだけさ。若干気まずくなったりはするかもね、あはは。大袈裟な扱いを受けている割にはつまらない能力だろう?」

 と、そんな風に自分の能力を笑い飛ばしてみせるが、決してそんなことはない。どのような相手でも支配下に置くことができるというのは、使い方によっては脅威になる。人間というのはどれだけ賢く振る舞っていても結局は感情で動く生物だ。論理が感情に負ける場面は何度も見てきた。

「あの、夜夢さん。その左目って……?」

 玖恩さんがおずおずと質問する。

「ああ、これは能力使用の副作用さ。一時的な虹彩異色症、いわゆるオッドアイになる。十分ほどで元に戻るけどね。気味が悪いだろう?」

「う、ううん。夜夢さんキレイだし、その目もカッコいいよ」

「嬉しい言葉だね。君にも魅了の魔法をかけてしまおうかな」

「ひぃっ」

「やめろ夜夢。やるなら俺をやれ!」

 上井出が止めに入る。格好いい台詞だが使いどころが間違っていた。

「冗談だよ。正直、こんな能力は私にとって恥以外の何物でもない。仮にこの能力が私の深層心理を反映しているのだとすれば、見境なく誰彼構わず粉をかける女みたいでみっともないだろう?」

 それはあながち間違っていない気もするが。

「チャンピオンくん、君が能力の公開を提案した際に私は反対したけれど、あれは私がこんな能力の持ち主だと皆に知られたくなかったからさ。すまなかったね」

「……いや、別に気にしてないよ」

 そのせいで死人が出たとは、必ずしも言いきれない。

「さて。これで全員の名刺交換も済んだわけだし、一度食堂へ戻ろうか。この後どうすべきか、方針を話し合わなければね。それにもうひとつ確認しなければならないこともある。そうだろう、チャンピオンくん?」

「そのチャンピオンくんって呼称、そろそろやめてほしいんだけど」

「じゃあ想ちゃん」

「いきなり距離が近すぎる」

「カガミン」

「だから……」

「みそすけ」

「もう好きに呼んでくれ」

 こんな美女から愛称で呼ばれるなんて、僕の来し方を考えれば空前絶後の僥倖と言っても過言じゃないのだけど、素直に喜ぶ気持ちが湧いてこないのは何故だろう。

「それで? 確認ってなんだよみそすけ?」

 さっそく天照さんが乗ってくる。

「……皆が持っている注射器の残数だよ」

「ああ、そーいやさっき言ってたな。でも、今一本ずつ使ったわけだから全員二本だろ」

「あっ! そっか」

 玖恩さんが声を上げる。

「もし犯人、がいるとして、能力を使ったんだとしたら、犯人は一本しか持ってないってことになる……?」

「いや、単純な引き算ならそうなるけど、恐らく違う。問題は、美來の注射器が一本しか部屋に残されていなかったってことだよ」

 玖恩さんは「えっ、えっ?」と慌てるが、それで今度は天照さんが気付いたようだった。

「花ちゃんが持ってた残りの二本はどこに行ったのかってことか」

「そう。犯人が持ち去った以外に考えられない。だとすると」

 犯人は、〝五本の注射器を持っている〟ことになる。

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