003 フランス女優とチャンピオン
赤みがかっていて、セミロングのワンレングスに切り揃えられた艶やかな髪。この世のすべてを見通すかのような瞳。
夜夢瑠々は美しかった。
伴動さんの日本画のような典雅さとも、華雅の彫刻のように均整の取れた優美さとも違う。絵画にたとえるなら抽象画だろうか。ぼんやりと霞がかっているようでいながら強烈な印象を与えてきて、否応なしに惹き込まれる。
思わず跪いてしまいそうな神々しさに、僕は思わず固まってしまった。
そんな僕を見て彼女は、「あはは」と快活に、それでいて蠱惑的に笑った。
「初めまして、チャンピオンくん。ふうむ。君はなかなか面白い貌をしているね。いったいどんな能力を持っているのかな?」
と、僕の顔を上から覗き込むようにする。
「……顔が面白いって、初めましてにしてはずいぶんじゃないか」
なんとか言い返すが、これほどの美人に言われてしまえば反論できない。
というか、いい加減どいてほしいのだけど。
「おいおい夜夢っち、能力について尋ねるのはタブーだぜ」と天照さん。
「そうなのか、それは悪かった。じゃあ君」
夜夢さんが優雅な仕草で細長い指を向けてくる――真っ直ぐに、そして僕の鼻の頭をツンと押す。
「後で性交しようか」
「は?」
セイコウ?
成功、精巧、製鋼、性向、星光、政綱、聖光……
「この辺で砂鉄は採れないと思うけど」
思いつく限りの候補から当てずっぽうで選んでみたが、当然正解のはずもなく、夜夢さんは「わざわざその熟語を選ぶとは呆れるね」と首を振った。
「セックスだよ。情事、情交、性交渉、メイクラブ。愛は不要だけどね。それならタブーじゃないだろう?」
「……えっと……」
理解が追いつかない。初対面で、顔を合わせてまだ一分も経ってないってのに、どうしてエッチを迫られているんだ僕は。フランス映画かよ。
「な、何言ってんだよいきなり。そういう冗談は好きじゃない」
「私は冗談なんて言わないよ。それにいきなりでもないだろう。押し倒したら次はセックスと相場が決まっている」
え、そうなの!?
「いやでも……あのさ、もっと自分を大切にした方がいいって」
すると彼女は「心外だ」という風に、演技がかった仕草で首をすくめる。
「これは遺憾だね。〝何が大切か〟という判断基準は人それぞれだろう。言葉のやり取りを何時間重ねるより、よほど互いのことを手っ取り早く、そして深く知ることができる最も効率的なコミュニケーション手段だと私は思うのだけどね。君にとっても悪い話じゃないだろう? 私はそれなりに魅力的だと思うのだけど。まさかその歳でまだ精通していないなんてことはないよね?」
「待って、ちょっと待って」
怖い怖い怖い。この人ちょっと、というかかなりヤバい。
助けを求めるように他の人を見渡すと、皆は見たこともない生物を見るような目で僕らのやり取りをぽかんと眺めていた。カズと伴動さんは頼もしく無反応。ちなみに美來の顔は怖くて見られない。
「おい、その辺にしとけ夜夢」
ようやくカズが助け舟を出してくれる。
「想介もとっとと座れよ。お前待ちだったんだからよ」
「あ、ああ。悪い」
僕はようやく夜夢さんの床ドンから逃れて立ち上がった。
心臓がばくばくいっている。捕食される草食動物みたいな気分を味わった。
この様子だとどうやら互いの自己紹介も済んでいるようだが、夜夢さんが「チャンピオン」と呼んできたことからすると、カズが僕のことも話したのだろう。
自席に向かう途中で、うっかり美來と目が合う……冷たい軽蔑の眼差し。
いや、今のは僕は悪くないよな?
僕が席に着くのを待って、カズが「さて」と口を開いた。
「夜夢にもひと通りの説明はしておいたから、これでようやく全員が状況を呑み込んだってわけだ。んで、想介。こっからの仕切りはお前に任せたぜ」
自棄を起こしかけていた僕の名前をカズが呼んだ。
「仕切る? 僕が?」
「ああ。お前が適任だ」
唐突な指名にたじろいでしまう。色々ありすぎてそれどころじゃなくなっているのだが……いや、だからこそか。朝から失態続きの僕に「シャキッとしろ」と言いたいのだろう。
人前に立つなんてガラじゃないが、気分を紛らわせたくもあり、僕はその大役を引き受けることにした。
皆の前に立つと、にわかに緊張感が増す。
「えっと、それじゃまずこの状況についてもう一度確認を……」
「しっかし寒いなー。ちゃんとストーブついてんのかよー?」
「ああ。さっき最大にしておいたんだが、効きが悪いようだ」
「腹減ったしなー。朝メシほんとにねーのかなあ。凍える前に餓え死にしちゃうぜ」
「非常用の食料とかあんだし、メシくらい自分たちで何とかしろってことだろ? ガキじゃないんだから少しは考えろよ」
「あんだと、ガキはてめーだこんにゃろー!」
「ちょっとやめなよ二人ともー!」
……小学校の学級会かよ。
助けを求めてカズに視線を送るが、腕を後ろに組んで知らんぷりをしている。どうしたもんかと途方に暮れていたところで、
「ちょっといいかな?」
たったの一言。
夜夢瑠々のたったのひと言で、騒がしかった場が水を打ったように静まり返った。
「こうして全員が一同に会したのは、この尋常ならざる事態に際して、センター側の思惑がどこにあるのか、それに我々はどう対応するのか、我々は協力すべきなのか敵対すべきなのか或いは静観すべきなのか、その方針の確認と共有をしておこうという趣旨だと推察するがそれでよかったかな? ならば早いところ我々の置かれているこの状況について整理しようじゃないか。肝要なのは結論を急がないこと、目の前の問題だけに捉われないこと、感情的にならないことだ。寒いなら熱いお茶でも淹れよう。お茶は良いよ、気持ちが落ち着くからね。皆で歩調を合わせて、落ち着いてこの問題に当たろうじゃないか――と、そんな感じでどうかな、司会進行役のチャンピオンくん?」
「へい」
どこで息継ぎをしているのかわからないほど流暢な達弁、からのバックパスに、僕はぞろ間の抜けた返事をしてしまう。
ほぼ全員が、彼女の存在感に呑まれているようだった。
ただ二人――カズと伴動さんだけは、やはり彼女のことを見てもいなかった。
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