第148話 誓いの言葉は違わずに

「お前は審判のことだけ考えてろ。他人を心配している場合でも、泣いてる場合でもない」


 険しい顔で勧告する美濃に、百合子は僅かに顔をしかめる。百合子に我が儘を言ったつもりはなく、当然に通される要求だと思っていた。

 もちろん、鍵として受ける審判が控えていることは理解している。が、美濃の言い分に素直に同意はできない。他人の心配をするのも、泣くことも、百合子の自由だ。


 険悪一歩手前で視線を交わらせる美濃と百合子に、オーディンは呆れたように息を吐いた。それから「美濃、貴方はどうしてそう」と美濃を物柔らかに叱りつける。


「すみません。これでも、美濃は貴女を気遣ったつもりなのですよ」

「……」

「今の貴女はこの世界に存在がないのです。あの愚図に会ったところで、あの子は貴女のことを微塵も知りません。ですから、会ったところで貴女が傷つくだけと思ったのでしょう」

「……オーディン」

「下手に真実を隠すことは良くありませんよ。知る権利は誰にでもあるのですから」


 慈愛に満ちた笑みを浮かべた第一世界境界は「美濃。私が戻るまで、彼女についていてあげなさい」と一方的な指示を残して、並んだ二機のメルトレイドの方向へと足を進めた。残していく二人のことを気に留める様子は一切ない。


 堂々とイオンの身体を使役するオーディンは、誰に許可を求めることもせずに、ハッチを開いたままのリフレクションドールへと侵入を果たした。

 狭いコックピットの中には、血の臭いが充満していて、居心地がいいとはお世辞にも言えない。乗り合わせる四人の内、死体の一人を除く、三人の誰しもが己の精神を手放していて、まるで共同の棺桶のようだ。


 来訪者の気配に目を開けたのは、雅から隼人の身体へと移ったスレイプニルだけである。紫がかった漆黒の瞳はイオンの姿を認め、その精神の正体を一目で見破った。


「主……?」


 震える声の原因は隼人の身体が限界を過ぎているせいだけではないだろう。


「スレイプニル」

「ッ――――よくぞ、ご無事で……!」

「……長く、待たせましたね」

「オ久しぶりでござイます、本当に――! どれだけ、主を想イ続けてイたか!」


 立ち上がる動作ができない身体で、心の動揺を表現するに身じろぎをしたスレイプニルを見受け、オーディンは自ら近寄って行った。抗えない想いに、目を潤ませる眷属の頬へと手を這わすと、慰めるように指を滑らせる。


「お前が心酔するヒナを。これ以上に酷い顔にする気ですか?」

「主……」

「……すみません。わたくしのせいですね」


 スレイプニルは頬に添えられたオーディンの手を自分の手で覆うと、愛おしげに頬を擦り寄せた。次々に湧き出す感情は止めどない。感極まっているスレイプニルの自由を許したオーディンは、落ち着くのをしばらく待ってから「ヒナとは話せますか?」と尋ねた。

 主たるオーディンの希望に、スレイプニルは苦々しく顔を歪める。


「……張りつめてイた気も解いて、休息に身を投じてイます。起こすことはできますが、言葉も拙く、長くは話せません」

「分かりました。手短に済ませます」


 話をするのは今ではないといけないのか、できれば遠慮してもらえないか、と遠回りな願いの滲むスレイプニルの声色を無視し、オーディンは意見を押し切った。


 スレイプニルは緩やかな動作で瞼を閉じる。心の中で眠りにつく宿主を申し訳なさに塗れた声で起床を促した。隼人は何も理解しないまま、相方の声に引き寄せられるように意識を浮上させていく。


 重い瞼、ぼやける視界、眩しい外光。枷のついたかのように動かない四肢、首を動かすことも億劫で、どうにか視界を開くのがやっとである。

 向かい立つ見知った姿を認め、隼人は薄く開いた唇から掠れた音で、壊れた言葉を紡いだ。


「いっイオ、ンっ、無事な、――のっ、の? け、けけ怪我は?」

「……見た目以上に、中身も酷そうですね」


 当然のようにイオンの心配する隼人に、オーディンは嫌悪を示す。どうみても無事ではなく、怪我を心配されるべきは彼の方であるのに、開口一番がそれでは救いようもなかった。


「…………オ、――ィン?」


 対する隼人は彼女がイオンではなく、オーディンだと知るや否や、がっかりしたように心配していた色を消し去る。心情を包み隠す余裕などどこにもなく、隼人の心の声は手に取るように分かった。

 あからさまな態度に、オーディンは「死にかけても、馬鹿は治らないのですか」と毒を吐く。


「相変わらず憎たらしいですね、わたくしのヒナ」

「あんたも――、あっ、あ、あい、相変わら、ずずずで、すね」

「わたくしの大事な人を奪った男であろうと、わたくしはお前も大事にしましょう。わたくしの愛しい手足」


 オーディンはちらり、とコックピットの奥を見た。

 きちんとした挨拶もできぬまま別離した相方の変わり果てた姿に胸が痛む。

 隼人は一言どころか、一つの音を出すことも苦しそうであるが、会話を止めようとはしない。

 表情を消しているオーディンを弱々しく見据えた少年は、美濃やスレイプニルと同じく、再会を喜ぶ言葉を連ねる。どうにか言葉を紡いだ一生懸命の挨拶も「ええ、そうですね」と簡単に素っ気ない言葉で片付けられてしまうが、少年は満足そうであった。


「――俺に、な、な何か、よーです、か?」

「なければ死にかけを起こしたりはしませんよ」


 首を傾げたいのか、隼人は小さく頭を揺らす。


「お前と話せるタイミングは、今しかないと思いますから」

「……?」

「わたくしは美濃を境界線には選びません」


 神妙な顔をするオーディンは、唐突に己の選択を隼人へと告げた。

 他愛ない話などではない。少なくとも、正常でない隼人にするのは間違っているだろう。しかしながら、冷静な判断もできない隼人はうつらうつらとしたままで、覚悟に固い声を聞き入れた。


 少しの沈黙が、地獄絵図のようなコックピットを支配する。

 詳しくを言わない世界境界へ、隼人は彼女が言葉に含めた意味を深く考えもせずに「知っ、てて――、ててま、す」とうわ言のように答えた。


「わざわざ、それをいー、に? ほんっと、好きで、でっで……すね、みっ、みみの、みのーく、のこと」

「……本当に可愛くないですね、お前」

「心配、しないで――、くっくださ、い。み、みの――みのー君は、必ず、おっ、おれ、俺がま、も……ます」

「その点においては信頼しています。あの子をお願いしますね」

「……? おー、お――オーでぃンは?」


 隼人は純粋に不思議を抱いた。

 せっかくの再会を果たしたというのに、オーディンの言葉の選び方からは再びの別離を感じさせられる。今の隼人には視覚から得られる情報はほとんどなく、聴覚に頼らざるを得ないからか、その印象は余計に強く感じられた。


「……タイミングが悪かったですね、起こしてすみませんでした。お前は少し休みなさい」


 颯爽に踵を翻し、オーディンは言うだけを言って、コックピットを後にする。メルトレイドと外との狭間に立った背中を「ま、待って――」と隼人は切羽詰まった音で引き留めた。

 顔だけを振り返らせたオーディンは、改めて見た少年の様相に顔を引きつらせる。何度見ても、酷いものは酷い。


「イオ、ンに――、よー、が……あって……」

「……そうでした。代わりましょう。わたくしは美濃の元に戻りますから」


 オーディンは何の未練もなく、イオンの身体を解放すると、名残も見せずにコックピットを去って行った。

 隼人が”この世で一番美しい”と認識している姿。その美麗を少年が一目だけ見ることができるチャンスであったが、不明瞭な視界の隼人にはぼんやりとした影しか見えなかった。


 急に自分の肉体に、自分の意識を戻したイオンは、身体の違和感を払拭するように首を回す。精神は裏にあっても、話の流れは見ていたらしく、イオンは説明もされていない状態で「用って?」と温度のない声で隼人へと疑問を投げた。


「あ、あ――、えっ、あ、ああああの! みら――、す、須磨、みらいが、俺とメル、めるトれイドの……、せっ接続回路に、えんざ、ん補助で、はは、は――入っでくれて」

「…………須磨がリフレクションドールの演算機能を努めたのか」


 躓きばかりでも、隼人は今の状態を伝えようと必死に訴える。多少、説明不足ではあるが、イオンがおおよその状態を理解するには十分な情報量であった。

 イオンは今の立ち位置からでは見えない操縦席の向こう側を細めた目で見やる。隼人の後方が透けて見えるわけではないが、座る未来に起きている現象を察するのは容易であった。


「俺、せつじょ、く解除の、ほーほー、分かんなくっ、て。イオ、なら、切りはっ、は――な、せるかも、って」

「無理して話すことない。事態は理解したし、処置もできる」

「お、おっおね――い、し……す」


 隼人は気力を振り絞って、大きく頭を下げた。単純な動作を下だけなのに、血の気が一気に引き、くらり、と目眩が起きて、吐き気がこみ上げてくる。気持ち悪さに上がる嗚咽を押し殺し、鳥肌を立てた肌を守るように腕を手でさすった。そんな動き一つも緩慢で、どこから見ても痛々しい。


 イオンが隼人の危うさに顔をしかめるのも、不可抗力であった。

 お辞儀に頭を下げたものの、再起不能に動けなくなった少年を横目に、イオンはもう一つの操縦席へと足を運んだ。彼のためを考えるなら、一刻も早く、メルトレイドとの接続を絶ってやるのが一番である。

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