終着点

第142話 絶望の手招きは止まない

 第八世界境界との交戦を繰り広げる隼人は、感じられる手ごたえに勝利への道を見出そうとしていた。


「よし!」


 リフレクションドールは真っ赤な鱗に覆われた身体を地面に叩きつけると、ペリドットの瞳がついた頭部に目がけて構えた剣を垂直に下ろす。頭を貫く刃は突き刺さる寸前で避けられてしまったが、機械の身体に踏み潰されたアスタロトは途切れた咆哮を上げた。


 隼人はここに来る前に戦闘した上級魔神の姿を、目下で悶える世界境界に重ねていた。金眼の赤竜と同じ姿形であるアスタロトは、その容姿だけでなく、特性も同様らしかった。

 戦闘特化の魔神ではない。

 研究所であった瓦礫の上で抗争するアスタロトと隼人は、豪快な騒音と共に必要以上の被害を出していた。

 細分化され、塵となるコンクリート、薙ぎ倒される木々に抉られる地面。桜の木は一本もなくなってしまったが、地面を埋める花びらはそのままで魔神とメルトレイドが動けば動くほど、大きく舞い上がった。


「本当に美濃君は大丈夫なんだよな!?」

『問題なイ。過去を見てイるのだろウ、七代目が気絶したときと感じが同じだ』


 アスタロトと対峙する隼人は、メインモニターに添えられたサブモニターを異常に気にしていた。メルトレイドの死角を潰すための映像には、倒れた二人の男。

 目の前の敵に集中すべきであるが、急に意識を失った頭領の姿は気がかりでしかない。隼人はもがき抗う竜の首を締めながらも、目線だけは動きのないモニターに釘付けだった。


『第八世界境界線からは命の音がしなイ。美濃の危険にはなるまイよ』

「……え?」

『アれはもう生きてなイ』

「……」


 隼人を落ち着けるためか、見たままの事実を告げただけなのか、スレイプニルの声は隼人の思考を奪うには充分であった。隼人はまじまじとサブモニターに映る若桜と美濃を見た後、交戦中の竜を映す。


 告げられた言葉に動揺して拘束が緩んだのか、上に乗るリフレクションドールを退けて、アスタロトはその身を宙に戻した。

 鮮烈なまでの赤い鱗に覆われた世界境界の姿は、虚像などではなく、確かに存在している。


「じゃあ……、どうして世界境界が、消えない……?」


 人間と契約し、この世に居場所を作った魔神は、宿主の生死に存在の有無を左右される。スレイプニルで例えるならば、隼人が死ねば彼女は元の世界に強制的に送還されてしまう。

 その理は、世界境界でも例外でない。


『どウもこウも、なイ』

「…………境界線を、捨てたのか」


 導かれる答えはひとつ。世界境界線を手放し、世界境界としての独立。存在可能時間という枷はあるが、若桜の死と共に消失することはない。


 隼人は瞬時に嫌悪を満ちさせた。

 若桜とアスタロトの関係性を知らないとはいえ、身体を共有する契約を果たした相手をそうも簡単に切り離せるその心理が隼人には理解できない。侮蔑を含んだ心情を読み取ったかのように、第八世界境界は空へと咆哮をとどろかせた。


「どれくらい持つと思う?」

『正直を言エば、なぜ消えなイのか既に疑問だ』

「……くそ」


 魔神は高位であればあるほど、世界に存在するのに時間を消費する。世界境界となれば尚更のことで、未だに平然と戦闘を続けるアスタロトは隼人たちの想像を軽く超えていた。


「オーディンが世界境界点を止めてる時間とアスタロトの滞在可能時間、どっちが長いか」


 強制的に世界からの排除される危険性を知りながらも、アスタロトが一か八かに出た理由は、奇跡への賭けである。今、この枯れ切った桃々桜園は魔神の生息できる地帯ではない。

 しかし、それは時間に限定された話である。


 オーディンと百合子が世界境界点の沈黙状態をいつまで保てるかで、形勢は一気に傾いてしまう。


『……それ以前だろウ』


 スレイプニルは苦々しく言葉を紡ぐ。声色に心配の滲む魔神へ「分かってる」と隼人は静かに返答した。相方の魔神の懸念を一番に理解しているのは、懸念そのものである隼人だ。


「――もう、俺が限界だ」


 隼人はぐっと眉間に力を入れ、一層に険しくした顔でアスタロトを睨みつける。そうでもしなければ、眼球ごと痙攣しそうなほどに目の奥が痛みを訴え始めていた。操縦桿を握る手には力が入らず、添えられているだけ。形だけはきちんとしているが、見目だけであった。


「世界境界と渡り合える時間は残ってない」


 重く、深い息を吐き出す。

 全身が発火しているかのように感じられ、閉じこもる熱を吐息と共に逃がそうとしてみるも、隼人の思惑は上手くはいかなかった。

 じっとりと首に汗をかき始め、集中力も落ちている。自覚症状からの最終診断は、もはや限界の最中であるということだった。


「スレイプニル」

『……』

「心配すんなよ。死んでもいい、なんて無理はしない」

『どウする気だ』


 スレイプニルが心配しているのは繰り返すことである。脳裏に克明と焼き付いたあの日を踏襲するような現状、もし、隼人がスレイプニルの意志を介せずに扱おうとすれば、間違いなく同じ失敗をすることになるだろう。

 隼人が独断で突き進むなら、彼女に引き留める術はない。


「最悪、自爆設定だけしてお前の足での直前脱走も考えたけど、足が使えない可能性だってある。それに、未来の精神接続の切り方が分からないから、この機体は無事のまま終わりたい」

『同感だ』

「境界点が戻ったら、テレポートもどきができるようになるし、送り返すこともできなくなる」

『好き勝手な移動が可能になれば、まず百合子を殺すだろウな』

「……?」

『七代目? どウかしたのか?』

「いや――、今、何とかするしかないんだ。絶対になんとかする」


 不安を払拭するかのように、隼人は力強く声を響かせた。

 表情で見れば虚勢であるのは明白であるが、偽りで終わらせる気など少年には更々なかった。ここで取り逃してしまえば、失うものしかない。


「勝つしかない。策はないし、時間もないけど、俺には世界境界を殺せる力がある」


 最後の気力を振り絞るように、隼人は集中を極めた。この精神統一が切れたとき、アスタロトが動いているならば隼人の負けである。第八世界境界は滑らかに身体をくねらせると、ペリドットを瞬かせる。

 戦闘態勢を構えるリフレクションドールと一定距離を保とうとする世界境界からすれば、隼人の相手も、境界点の沈黙時間も、有限の束縛でしかない。

 しかし、自分の存在をこの世界に留めておくこともまた、時間に許されていない行為。

 両者が視線を交わらせた瞬間、先に動いたのはこの世界への侵略者であった。


「――え」


 気張る隼人を嘲笑うかのように、終焉はすぐに訪れた。


「消、え……た……!?」


 視界にいたはず世界境界の姿が消える。アスタロトと対峙する前、世界境界点の力をもって神出鬼没をしていた上級魔神と同じく、瞬きする間に存在を消すという異常行動に隼人は目を疑った。


「世界境界点は!?」

『まだ戻ってイなイ』


 正八面体の結晶であるはずの世界境界点は、未だに分裂した三角の花びらを揺らして元の形に戻ろうとはしていない。境界点が機能をしていないことが、余計な混乱を招いていた。説明のつかない逃亡。


「逃げられた!? まさか!!」

『境界点が戻るまで姿を消すつもりか……』

「どうやって!?」


 慌てふためく隼人は懸命にモニターを視線で探索する。些細な変化も逃すまいとする少年の目が拾ったのは、ずるずると起き上がる頭領の姿であった。

 上半身だけを起こした美濃は、気だるそうに周囲を確認する。


 動かぬ若桜を見つけ、青年の生死を確認する動作をしながら何かを考えているように見えた。


『……嘘でアろウ』


 隼人は迷いなく、迅速に立ち上がる。

「スレイプニル、未来を頼んだ」と短い依頼を口にして、外に出るためのハッチを開いた。

 スレイプニルが引き留める声を聞き流し、精神的に衰弱した身体で着陸途中のメルトレイドから飛び降りた隼人は、真っすぐに美濃の元へと走る。


 もつれそうになる足を懸命に動かし、荒い息をする少年はすぐに目的の場所へと辿りついた。


「美濃君!!」

「…………うるせえ」


 若桜と並ぶように倒れていた美濃は、重い鈍痛が滲む頭を押さえながら視線だけを隼人へと向けた。

 二人がこうして直接に対面するのは、第一世界境界博物館が魔神の強襲された日以来である。再会の挨拶をするでもなく、無言で視線だけを合わせた。


 ぎらりとした眼光に刺され、隼人は思案する。

 目の前の青年は、本当に喜里山美濃その人なのか。


「……ヒナ?」


 普段の隼人ならば一目散に美濃へと手を貸し、いっそ面倒なくらい気遣わしく声をかける。しかし、隼人は美濃の手に握られている拳銃を見て僅かに顔を歪めたまま、近づくことをためらっていた。


 その様子を可笑しい、と思える程度には美濃は隼人を知っている。

 美濃は座ったままで、隼人を見据えると苦々しく目を細めた。鼻血で汚れた白服、血走り始めている眼球、本人に自覚があるかは分からないが、隼人の身体はふらりふらりと左右に揺れている。


「限界超過か……、ぶっ倒れるなよ」

「……俺は大丈夫」

「本当にお前はそれしか言わねえな」


 緩慢な動作で立ち上がった美濃は、身に着いた土埃を叩き落とす。

 隼人は疑わしさこそ前面に出さないものの、目前の美濃の振る舞いはアスタロトの演技ではないか、と疑心暗鬼であった。

 瞳の色は見慣れた茶色であり、特異なペリドットではないがそれだけでは判別つかない。


「……俺が過去を見ている間に何があった? 世界境界は?」


 精神を過去に置いていた間に、第八世界境界の姿が消えているとなれば、美濃が現状を尋ねるのは道理である。青年の精神が美濃本人だろうと、アスタロトだろうと、隼人が嘘を吐く意味はない。

 隼人は素直に「ごめん、見失った」と頭を下げた。


「――見失った?」

「本当についさっき。美濃君が起きる寸前に」


 不可解そうな表情を浮かべた美濃は、考え込むように口許を手で隠した。

 先走って地に降りた隼人に遅れ、スレイプニルがリフレクションドールを降着させる。反動のように巻き起こった風に髪を揺らされても、美濃は機体へ目線すら寄越さず「境界点はどうなってる」と隼人へ疑問詞のない質問を向けた。


「まだ沈黙状態のまま、だけど」


 世界境界の行方について、深刻に考えを巡らす頭領の姿に隼人は警戒を解くべきかを考えていた。

 これが世界境界の時間稼ぎであるなら、有意義な作戦である。

 気を緩めれば、そのまま気絶しそうであった隼人は、できる限り神経を張り詰めさせていた。疲労困憊に鈍くなる思考に反して、感覚器官だけは無理やりにでも働かせている状態。

 意識して使っているせいか、少しの変化にも機敏であった。対応できるかは別の問題であるが。


「美濃君!!」


 隼人はほとんど無意識で身体を動かす。

 身体が動き終わった後に隼人の脳裏に浮かんだのは、頭領を守らなければ、という責務であった。


「あ? っ、おい! 何すん――」

「ッぐ!」


 美濃の身体をその場から退けるように押し倒すと、同時、隼人は腕に生まれた熱に声を引きつらせる。

 じわりじわり、侵食するように痛みが波及し始め、自分が怪我を負ったことを自覚した。受身も取れずに地面とぶつかった身体を起き上らせようと必死に命令しても、ぴくぴくと痙攣するように指先が動くだけである。


「ヒナっ!?」


 急な突撃に体勢を崩した美濃は、隼人の行動の意図を尋ねようと開いた口で驚愕の声を上げた。

 地に伏せる隼人は短い息を乱していて、顔色を青に染めている。痛みを覆うように幹部を押さえる手の隙間から洩れる血液は、次から次へと地へ滴を落していた。

 隼人は地面に頬を着けたままで、首だけを動かし背後を見やる。

 そもそも、隼人が動いたのは、美濃に向けられる何かを察したからだ。それが殺そうする意志だったと、今に認識した少年は発信源を探すために虚ろな目を走らせた。


「あららぁ、美濃に当てるつもりだったのに」


 探すまでもなく、堂々と姿を見せたのはもう随分と見慣れてしまったペリドットである。緩やかな足取りで美濃と隼人への距離を詰める姿は、窮地を既に脱したかのような余裕に満ちていた。


「さっすがフロプトのわんちゃん。鼻が利くのねえ」


 感心したように溜め息を漏らす。手にしている拳銃はSSDで配給される基本武装のひとつであるが、彼女にはすこぶる似合わないものであった。


「雅、さん……」

「ふふ、なあに、隼人」


 たおやかな笑みを浮かべた雅は優しく唇を緩ませる。表情に違い、瀕死に近しい隼人へと銃口を向ける動作は無情でしかなかった。

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