第134話 迷いの森に革命の鐘が響く

「集中、集中」


 隼人はふー、と長く息を吐き出し、捕食者のように眼光を鋭くした。

 彼には次に魔神の現れる場所は分からない。未来の予測も絶対ではないが、自信満々にやると言い切った完全戦略を隼人は信頼していた。

 出現に反応し、剣を振り下ろすのが隼人の仕事。

 武器を構え、宙で静止するリフレクションドールは微動だにせず機会を待つ。


「……」


 隼人は瞬きを忘れてモニターを凝視していた。

 舞い散る花びらは止まず、春を錯覚させている。

 季節外れに咲く桜はリフレクションドールに幹を薙ぎ倒されたり、死した赤竜の身体で無惨な汚れに染まっていたりと、絶景とは言い難い景色に変わっていた。

 外にばかり気を張っていた隼人は、内での変化にびくりと身体を揺らす。


「……っ!」


 メルトレイド側から隼人の脳へと、閃光がほとばしるように”何か”が流れ込んでくる。言葉でも映像でもない、神経に影響する信号。

 未来からの合図、博打の瞬間は隼人が思っていたよりも早くに訪れた。


 魔神の姿はまだ見えない。

 が、機体はパイロットの意を介せずに旋回をし始めていて、その動きに合わせ、隼人は何も存在しない宙を切るように剣を振った。

 空ぶりでしかない攻撃。

 武器を振り下ろしている最中、隼人の目は大きく見開かれる。黒の瞳に映ったのは金色。

 突如、現れた赤い影の持つ瞳と確かに視線が交わったのだ。


「――!」


 剣の描く軌道上、音もなく現れた魔神を認め、隼人は確信した。


「っしゃァ!!」


 獲物をみつけた刃が、魔神の首から胴にかけてを切り裂く。

 深くまで剣はかからなかったが、皮を裂き、肉を曝け出させ、張り巡る血管を断つには十分な一撃であった。至近距離で切り裂いた身体から噴き出す血飛沫を受けながら、隼人は赤竜にずぶりと垂直に剣を突き刺した。押せば押すだけ、肉を突き進み、切っ先が身体を開いていく。

 傷口を抉るように、リフレクションドールが握る柄を力一杯に押し下げたのと同時、魔神は姿を消した。


 残るのは血塗れの剣とメルトレイド。そして、上空に位置するアスタロト。

 逸脱した治癒能力があろうと、あの負傷を治すにはそれなりに時間を必要とするだろう。深手を負った魔神の相手はもはや問題ではない。

 唐突に現れようとも、怪我に動きの鈍い赤竜よりも隼人の反応速度が断然に勝っている。今の状態で出現したところで、それは魔神にとって死と同義でしかない。

 隼人は操縦桿を引き、天空を見つめた。第八境界線へと続く道を邪魔する存在はない。


『アれは世界境界。博物館でのように、数多く魔神を喚び寄せてワタシたちを襲わせることも可能――』

「なのにしない。理由は知らないけど、それなら、されないうちになんとかしよう」

『気を付けろ』

「ああ。分かってる。行くぞ、スレイプニル、未来」


 リフレクションドールは宙を蹴り、真っすぐに空へ飛び上がった。

 向かってくるメルトレイドにアスタロトは咆哮を上げると、境界点の力でその姿を消し去る。目標を失ったリフレクションドールはぴたりと静止し、赤竜を仕留めたのと同じようにして出現を待った。


「……」


 しかし、いくら待っても世界境界が攻撃に現れることはなく、桃々桜園は静かなまま。世界を渡って現れる通りすがりの魔神も現れない。


「……なんだってんだよ」


 アスタロトの行動が全く読めない。姿を消した理由が作戦なのか逃走なのか、隼人には判別つかず、ただただ可能性の限りに頭を悩ませるのが精一杯であった。

 隼人は自分に残されている時間を思い、苦々しく頬を引きつらせる。有限の中で、無駄にできる時間などないのだ。

 相談をするにも、一番に頼りになりそうな未来は意識をメルトレイドに融かしていて、抜け殻の身体はうんともすんとも言わない。相方のスレイプニルは隼人と同じようにアスタロトの行動に戸惑っているのだろう。無言でいるのが何よりの証拠である。

 消去法で残った選択肢はひとつ。


「……あの、カトラル少尉」

『……一応、前もって断っておきますが、俺を須磨君だと思って話をされても困りますからね』

「あ、はい」


 冷や汗でも流しそうな顔をしたカトラルは、絶対無理と言わんばかりに眉間にしわを寄せた。頼りない顔を見合わせ、二人のパイロットは表情を強張らせていく。

 お互いが似たタイプであると自覚しているからこそ、この状況で相手が役に立たないことが嫌でも分かってしまう。


「不用意に動いても大丈夫だと思いますか?」

『……まあ、俺なら動きますね。じっとしてても仕方ないですし、動けなくなる限界まで何もなかったら後悔しますから』


 隼人はそっと視線を伏せる。まるで、心の声がカトラルに筒抜けているかのような感覚であった。

 寸分の狂いもなくカトラルと同意見で、今すぐにでも動き出してしまいたいと思っているのが本音である。


『でも、須磨君なら、数分は待機に当てると思います』


 そこまでも、ぴったりと隼人の思考と同調していた。

 未来ならばどうするか、という視点で考えてみると、やはり即決で動きだすことは憚られる。世界境界の不意打ちを食らった仮定など予想の範疇になく、被害の想像がつかないことが足枷になっていた。


「解決策を導けるできのいい頭があれば、それが正しいんでしょうけど――」

『そうなんですよね。俺たちみたいな感覚重視がいくら時間を費やして頭を捻っても、上手くはいかないですよ』


 悲しいかな、自分に足りていないものを二人は良く分かっていた。

 答えの見えない会議は難航し、結果、時間を貪ることとなっている。ネガティブを孕む意見交換中、敵影が発現することはなく、桃々桜園は静けさを保っていた。


『雛日君も研究所を目指して動いて――、っなんです、この音!』


 どうしようもない二人を見かねたかのように、聞いたことのないような音が乱入する。

 高い音調で鳴るのは、耳障りな騒音であった。音程も強弱も変わらず、一定のままで流れる音は思わず耳を塞ぎたくなるもので、隼人とカトラルは不快に顔を歪ませる。


「っ、ほんと、何この音!!」


 隼人にもカトラルにも聞こえている音。確かに地図上で青と黄のピンは近場に記されていたが、それは実際の位置には関係ない。

 奇怪音の発生源を探し、モニターを見た隼人は他にも起こっていた異変を認識した。 


「……境界点が、点滅してる?」


 淡いペリドットの輝きを放つ正八面体の結晶は、まるで絶命寸前かのようにその光を段々と弱々しくしていた。初めて見る現象に目を奪われるのは不可抗力である。

 世界境界点は緩やかに輝きを減らしていくと、最後には完全に光を失った。


 色を持たない結晶。

 沈黙状態に等しくなったそれは、まるで散る花のように三角の面ごとにばらばらになった。立体を解体し、八枚の平面に姿を変えていく。

 透明の三角形の薄い板は、等間隔で円を描くように並ぶと宙をくるくると回り始めた。

 変形が終わると同じくして、パイロットたちの脳まで揺らしそうであった音が止んだ。急な静寂に、違和感だけが耳に残る。


「何が、どうなって……」


 世界境界点に元の名残はなく、別物の存在と化していた。


「……まさか、百合子さん」


 形を崩した世界境界点を茫然と見ながら、百合子の身を案じていた隼人の視界を影が覆う。


「――!?」


 隼人はそれが何かを認識する前に、失態を演じてしまったという後悔に歯を食いしばった。不測の事態に動揺し、完全に不意をつかれた。

 操縦桿を引くが、既に後手であり、回避には間に合わない。


「しまっ――」


 まずい、とふいに出た言葉は金属通しがぶつかり合う音に掻き消される。激しい衝突音は確かに鼓膜を揺らしたのに、それに見合う衝撃が隼人を襲うことはなかった。

 瞳孔の開いた隼人の瞳に映り込むのは、二機のメルトレイド。


『俺が近くにいてラッキーでしたね』


 隼人は完全に手遅れであった回避行動を止めると、地に飛ばされていった機体と、滞空する赤い光を走らせた機体とを見て、噛みしめるように現状を把握していく。


「……鮮麗、絶唱……、と、C八番機?」


 リフレクションドールの目前に現れ、速攻で叩き落とされたのは、隼人がSSD日本支部から脱走するために未来に手配されたメルトレイドであった。

 そして、電光石火で現れた隼人の恩人は、同じ目的でこの地に飛び込んだ専有機。能力を解放した状態である鮮麗絶唱は、輝かしい赤を身にまとっていた。

 境界点の影響圏内への侵入以来の再会である。

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