第135話 喚び声は世界を繋ぐ

「本当に助かりました。ありがとうございます、少尉」

『いえいえ、どういたしまして』


 不可能に近しいと思われていた合流を果たし、鮮麗絶唱とリフレクションドールは並び立った。

 隼人もカトラルも全てを把握できていないが、重大な出来事が激流のように一気に起こっていることは察している。


『雛日君、地図を見れます?』

「……地図ですか? はい」


 混乱する隼人は、カトラルの声のままにモニターの脇に寄せていた地図に目を配った。地図に示されているのは重なる青と黄のピンと、離れた位置に点在する赤のピン。


「……視覚の位置と、土地の位置が合ってる」

『ええ。世界境界点が機能していない』


 厄介であった世界境界点が機能していないことは喜ばしいことだが、境界点自体を変化させて、それを起こす原因は限られているどころかひとつしかない。

 境界点を消失させる唯一の存在である”鍵”。

 消失とまでは至っていないが、原形を失い、その力を発揮できてない現状は、境界点に対して鍵が作用しているのは間違いない。


「……オーディン」


 そして、鍵を扱える管理者たる存在も決まっている。

 隼人は境界圏の中、ここではない場所で起こっている事象に心を焦がした。少年が魔神相手に奮闘していた間にも、それぞれの思惑を持ってここに集った者たちが、それぞれの求める終焉に向けて動く時間は流れ続けている。


 隼人の視界の隅で影がうごめいた。

 隼人に見えているということは、カトラルにも見えていて、二人は自然と動く何かに焦点を合わせる。

 破壊された桜の木々の間、鮮麗絶唱によって地に叩きつけられたメルトレイドが、死角を作る土煙りから飛び出した。

 SSD日本支部で負った損傷は修復されていて、C八番機は完全無欠の姿である。


 魔神に乗っ取られたメルトレイドは鮮麗絶唱ではなく、リフレクションドールに向いて攻撃態勢を構えた。

 白に発光しているはず瞳は、太陽のような金色。隼人は見知った色を認め、据わった目をして「あの魔神か……」とひとりごちる。

 隼人の呟きを拾ったカトラルは、きょとんとした後に薄ら笑いを浮かべた。


『――へえ、なるほど。大破した身体は捨てて、新しい身体で出直しですか。その根性は素晴らしい』


 能力を解放したままの鮮麗絶唱は、睨み合うリフレクションドールとC八番機の間に割って入る。隼人は視界を塞ぐメルトレイドの背中にぱちぱちと驚きに瞬いた。

 何度、瞼を閉じては開いてを繰り返しても、光景が変わることはない。


『何が起こったのか分かりませんが、今がチャンスだっていうのは俺にも分かります』


 通信機の画面で向き合う隼人へ、カトラルは緩やかに微笑んで見せる。この場に不釣り合いな表情であるのに、青年から受ける頼もしさに慎みはなかった。

 SSDを出る際に贈られた早すぎる弔いの花に囲われたカトラルは『雛日君、研究所へ行ってください』と声を続けた。


「え――」

『正直、須磨君なしの俺じゃあ役には立ちませんから。キミにすべてを託すのは忍びないですが、須磨君が選んだ選択を俺も信じますよ』


 隼人は息を呑んだ。

 カトラルの提案の通りに動きたいのは山々であるが、一瞬、躊躇いを覚えたのも確かである。

 エースパイロットの腕を信じていないわけではないが、オペレーターもなく、隼人のように魔神と意志疎通を図っての戦闘が不可能であるカトラルは孤立無援に戦うしかない。

 低級魔神だけならばいいが、上級魔神、もしかすれば世界境界。それらを相手にしなければならない場に、カトラル一人だけを置いていっていいものか。


「うっ、――」


 隼人の葛藤する心を激励するかのように、リフレクションドールからパイロットへと再び”何か”が逆流する。脳裏を走る閃光は目眩を起こすようなものではなく、一歩を踏み出せるようにと背中を押す導きの光のようであった。


「……」


 カトラル少尉なら大丈夫だから、隼人は心のままに進むべきだ、と隼人には声が聞こえた気がした。

 単純に考えれば、カトラルから与えられた道は隼人の希望の道である。

 辿らない道理はない。


「――必ず期待に応えます」

『ええ、よろしくお願いします』


 覚悟を決めた少年へ、カトラルは大きく頷いた。

 研究所を目指すため、隼人は操縦桿を引いた。二機のメルトレイドを背に、隼人はその場を離脱する。

 全速力で駆けて行く先で、何が起こっているかは分からない。

 到着するのが遅かった、と後悔することだけは嫌で、隼人は刻一刻と限界が近づいていると叫ぶ身体の声を無視して、できうる最速を維持し続けた。


『七代目! 構えろ!!』


 スレイプニルの声は焦りに早口で、警鐘のように響く。隼人にだけ聞こえる声に遅れること寸秒後、桃色を上塗りするような影は、唐突に現れて、隼人の進む道を一面黒に変えた。


「魔神!? って、なんだよこの数!! 嘘だろ!?」


 世界境界点が機能しなくとも、世界境界と世界境界線が魔神召喚をするのには関係のないことである。

 境界圏の世界と世界の融合が解かれていて、喚ばれた魔神に存在時間という縛りはあるが、世界を繋ぐ彼らの体力と精神力の許す限りいくらでも喚び出すことは可能だ。


「くっそ、魔神だらけだ……」


 隼人の行く手を阻むように現れた魔神たちの目的はひとつ、研究所への到達を許さないための壁。一枚一枚は弱々しくとも、重なればそれなりの強度を誇る。

 研究所へ辿りつけない――結果だけで見れば、世界境界点が機能している時と変わりない。

 ぎりりと歯を食いしばった隼人は、すぐに決断を下した。


「全部は狩らない。でも、進むのに邪魔な分はどうにかしよう」

『馬鹿を言うな。研究所に行くまでに力尽きるぞ』

「そんなこと言ってられない」


 隼人は真っすぐに魔神の海へと突っ込んでいく。

 直進するリフレクションドールは、隼人の宣言通りに直線上前方にいる魔神だけを蹴散らすようにして目的地を目指した。魔神を掻き分けるように剣を振るっては、生きる壁を崩していく。

 速度は落ちたが、確かに前には進んでいた。


”――――”


 躍起になっている隼人にかける言葉を探していたスレイプニルは、遠くから聞こえる音に耳を揺らした。溢れる魔神の咆哮ではなく、意志のある声。


『――――声が』

「え?」

『声がする』

「……声? 俺には、何も聞こえないけど」


 スレイプニルに聞こえる声は、隼人の耳には届いていない。


”――来なさい、スレイプニル”


 しかし、声は確かに存在し、スレイプニルの名を喚んでいた。


『アア……』


 スレイプニルはようやく明確に聞こえた声に、心臓を高鳴らせた。

 鼓動を打つ速度が上がったことは、身体を共有する隼人には筒抜けであるが、その原因を隼人は察せない。

 研究所を目指す行動を止めずに、隼人は首を傾げた。

 スレイプニルが動揺することといえば、ほとんどが隼人の身に降りかかる危険であるが、彼女の声の調子には別方向の感情が滲んでいる。


『主が――、主がワタシを喚んでイる』

「…………オーディン?」


 放心したようなレイプニルの呟いた言葉の意味を瞬時に理解し、隼人ははっとして「応えろ!!」と声を荒げた。


「スレイプニル!! オーディンの声に応えろ!!」


 言われるまでもなく、そのつもりでいたのだろう。

 隼人が叫ぶのと、視界に変化が起こったのはほとんど同一のタイミングであった。


 世界境界による魔神召喚。

 今や、リフレクションドールが立つのは、四方八方が魔神の檻の中ではない。隼人には酷く懐かしく、一生忘れることのないだろう因縁まつわる場所。

 荒廃した建物に囲まれる中庭に揃う人影も、少年にはすべて知った顔であった。

 外界を映すリフレクションドールのモニターの先、隼人が一番に視線を留めたのはこちらを見つめる紺碧色。

 動く彼女の姿に、隼人はぐっと息を詰まらせた。

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