第133話 この命は君にだから預けられる

「僕の見解を言わせてもらうと、世界境界が現れたのは君を一ノ砥若桜のところに連れて行くためかと思った」

「……」

「一ノ砥若桜がドール研究の被験体だったことは今更、疑う必要ない。でもって、一ノ砥若桜は同じ境遇の隼人とアクロイド博士となら、きっと仲間になれると考えてる」

「……」


 未来が告げるのはこの事態への対策ではなく、若桜の思想であった。

 隼人は黙って言葉を聞き入れる。二度、直接に出会った世界境界線は確かに自分を特別視していた、と隼人自身も認識していた。そして、異なる出会い方をしていれば、未来の言う若桜の希望も現実になっていて可笑しくないとも隼人は思っていた。

 しかし、それは想像と仮定の話で、現実には無理難題どころか不可能の域に堕ちた話でしかない。


「でも、世界境界は完全に君を殺すために動いてる。境界線の意に反して」

「……一ノ砥とアスタロトの意志が食い違ってる?」

「というよりは、目的は同じでも、辿りたい過程が異なるんだと思う」


 隼人は真相を知らないままであるが、未来は四条坂駅で起きた事件をアスタロトの独断だと確信していた。あの一件も、世界境界が鍵と一緒に隼人を殺そうとしたもので間違いない、と。

 未来には世界境界と世界境界線との契約は、危ういバランスの上に成り立っているとしか思えなかった。

 アスタロトと若桜が目指す果ては〝世界征服〟なのだろうが、この世の頂点に立つ瞬間を思い描いた絵は全く異なっているのではないか。些細な切っ掛けで破綻してしまう脆さを孕む、漠然とした夢。


「アスタロトは俺と一ノ砥若桜を会わせたくない?」


 間違いではないが考慮の足りない答えを絞り出した隼人は、険しく眉間にしわを寄せると、難しい顔をした。考えれば考えるほどに、頭がこんがらがっていく。


「恐らく。そして、自らの手で君を殺すことをしないことにも何かしら理由はあるんだ」


 世界境界と世界境界線についての情報は少ない。

 世界境界線自身が毎日、定例放送という露出の機会を設けているが、その中で話す内容は若桜やアスタロトの心理を読み取れるような深いものではなく、誰にでもできるような世論である。


「まあ、今の話は頭の隅にでも置いといて」

「……へ?」


 応戦に出るのと同じくらい必死になって情報を整理していた隼人は、未来が呆気なく終止符を打ったことに間抜けな声を漏らした。


「境界点がある以上、僕らはじり貧。こんなに厄介だとは思わなかった」

「おい。話題がころころ変わりすぎて混乱するんだけど」


 もっともな異議は通らず、未来は「単純な破壊力だけで見ればこっちが勝ってる」と次を続けた。こうなってしまえば、余計に口を挟むことも憚られ、隼人は演説に耳を貸すだけだ。

 魔神が世界境界に力添えをされながら、小規模な攻撃を繰り返す理由。

 未来の辿りついた答えは、魔神には一撃でリフレクションドールを壊す攻撃力がないどころか、攻撃には向いていない個体であるという推測だった。真っ向勝負では隼人に敵わない。


「それでも押されてるのは、魔神を捉えきれていないから。出現に反応ができたとしても、相手は攻撃する前に消える」

「……」

「なら、現れると同時に叩くしかない。ひとつ、案がある」


 この状況から抜け出すための手立てを思いついた、という未来の言葉は喜ぶべきものである。しかし、隼人の胸中では正反対の感情がじわじわと浮き出ていた。

 付き合いの中で育まれた経験則が、悪い予感を知らせる。


「僕を可動回路の演算機能に組みこむ」


 隼人が覚悟するよりも早く、未来はさらりと可能性を提案した。

 可動回路、演算機能。隼人は動揺に震える声で「それ、元の――」と弱々しく絞り出した。最後まで言い切ることは許されず、未来の「そう。第八境界線掃討作戦の原案」と言う堂々とした響きが後を続けた。


「僕が時間と座標を予測、移動するから、君は力一杯に剣を振ればいい」

「……わざわざ未来を演算機能にする必要ないだろ、口頭伝達で問題ない」


 可能性があるならば、博打でもやってみる必要がある状況だが、隼人は未来の提案にいい顔をしなかった。


「まず、口頭で説明できる情報量じゃない」


 隼人の意見を否定する言葉は、間髪いれずにコックピットに響く。


「君は自分のことスパコンだとでも思ってるの? せいぜい、バカでかい桁でも計算できる計算機、ってとこだから。数多の予測の中から正解を判断し、攻撃行動とを同時に行う処理をするのは君には無理だ」


 反論をしようと口を開いた隼人は、音を立てないままで再びに口を噤んだ。

 行動パターンがほとんど変わらず、型にはまっている低級魔神相手ならば、隼人単身でも攻撃行動を考えて相手をできる。が、赤竜に力でごり押していく戦法は通じない。

 魔神出現に反応し、操縦するだけなら自信を持って任されるが、未来の言うように、多くの予測地点から、出現場所を決定することは隼人にはできなかった。


「そもそも、口頭伝達で問題ないなら、最初からそうしてるに決まってるじゃない」


 駄目押すかのように告げ、未来は呆れたような声を聞かせた。


「この作戦は一発勝負。世界境界は手を打つのが早い。まずいと思ったら、すぐに手を変える。やれるうちにやらないと、本当に死ぬことになるよ」


 一発で決めなければならないことは、隼人にも分かっている。だからこそ、未来を論破する方法が見つからなかった。

 隼人の勘頼りで出現と同時に動いたとして、失敗した先にリトライは許されない。ならば、未来に行動権を移し、隼人は未来に導かれた先に攻撃を仕掛けるのが確かな選択である。

 しかし、その良案に一も二もなく肯定できない理由もあった。


「イオンはドールとしていじられてるから、そんな無茶も作戦に上がったかもしれないけど、お前は――」


 ただの人間で、何の抵抗力も持たない。

 メルトレイドへの神経接続は、キーレプリカがあってこそ脳機能障害をないものとするが、未来の言う演算処理機能への組み込みは、いわば、メルトレイドに取り込まれることと同義である。

 隼人に思いつくリスクを未来が理解していないとは思えない。 


「と言うわけで、カトラル少尉。悪いんだけど、オペレーション中止」


 心配を滲ませる隼人を無視し、未来は通信機の先に声を投げる。戦況と二人の会話とを黙って聞いていたカトラルは、喜怒哀楽を表さない顔でいた。

 鮮麗絶唱は大きな問題もなく、地図の役に立たない桃々桜園を彷徨っている。窮地の二人の元に駆けつける方法もなく、余計な口を挟まないことくらいしかカトラルにできることはなかった。


「少尉! 少尉も、未来を止めてください!!」


 はっとした隼人は第三者に未来を否定する言葉を求めて声を荒げる。

 隼人の声に食い被さり、赤竜の咆哮が轟いた。動かないリフレクションドールに痺れを切らしたのか、魔神は牙を剥き出しにして大きく口を開き、真正面からその距離を詰めている。


 未来に気を取られていようと、逃げるだけなら簡単なことであった。隼人はその場から後退し、赤竜をかわすことだけに専念する。

 反撃に出ないことがばれているのか、魔神は一向に姿を消す気配を見せない。


「何かあれば今の内に」

『いえ、特にはありません。オペレート中止も、了解しました』

「カトラル少尉!?」


 隼人は単調に続く攻撃を避けながら、カトラルを声色で咎めた。信じられないものを見る目をする隼人にカトラルは優美に笑って見せる。完全に場違いである頬笑みを湛えたまま『完全戦略のオーダーに異議なんてありませんよ』と改めて賛同を口にする。


「未来っ!!」


 二対一、多数決をしていたわけではないが、孤立意見が流されるのは道理であった。

 未来は深く座り直すと、オペレーション用機器に紛れて積まれていたヘッドギアを拾い上げる。コードに繋がるそれを頭につけると、自分の身体を固定するように足元から順に拘束具を留めていった。

 さすがに己で己の両手を止められる器用さはなく、自由なのは腕だけになると後頭部を背もたれに預ける。

 微かな振動に、隼人は自分の据わる操縦席の背もたれを肘で小突いた。


「未来! やめろって!」

「この機体の原動力があれじゃなくて、スレイプニルでよかったよ。無駄な設定の手間は全部省ける」


 元の作戦に基づくならば、リフレクションドールの原動力となるのは始まりの雷鳴であり、演算処理に組みこまれるのはイオンであった。そして、補強を受けた機体を動かすパイロットに隼人を、そのオペレーターに未来を、補助にカトラルを、と言うのが理想形である。


「スレイプニル、僕を隼人と君の接続回路に組み込んで」


 意志疎通のできない始まりの雷鳴をコントロールするのはイオンの仕事で、接続も彼女自身が細々と設定しなければならなかったが、今、この機体を支配するのは隼人を腹心する魔神。

 言葉ひとつで用件が済む。


『……自分にどんな影響が起こりウるか分かってイるのか?』

「勿論。僕は隼人と違って馬鹿じゃないからね」

「スレイプニルやめろ、絶対駄目だ!!」


 覚悟も決まり、凪いだ瞳でいる未来に反するように、隼人は必死になって首を振る。

 隼人が未だに未来の決断を受け入れられない間も、魔神の攻撃の手は止まらず、隼人はモニターを見つめたままでスレイプニルに最後の砦になることを要望した。

 コックピットに静寂が訪れる。


『未来――』


 無音を壊したのは最終的な決定権を持つスレイプニルであった。

 力だけの要素である始まりの雷鳴と異なり、自我の確立しているスレイプニルは未来の要求を拒絶することが可能である。


『その覚悟、受け入れよウ』

「スレイプニル……!!」

『七代目、未来の決断は正しイ。アナタの気持ちは察するが、それでは何もかも失ウだけだぞ』


 隼人はぐっと唇を噛み締めた。

 スレイプニルの言う”何もかも”は隼人にとって自分の命よりも重い。犠牲になるのが自分の身であるならば、周りの意見など無視して強行に出ているが、対象が未来となれば簡単に頷くことはできない。

 しかし、別案は何も思い浮かばず、このままでいられないことも本当の話。


「君は僕に言った。須磨未来になら命を預けられる、って」


 落ち着いた声を響かせる未来は、瞳を閉じる。少年の脳裏に過るのは、イオンの研究室で自分を兵器として作戦に使って欲しい、と申し出た車椅子に座る隼人であった。

 あの時とまるで逆の立ち位置にあるなら、未来の言うべき言葉は最初から決まっている。


「ドールだからでも、竜の女帝だからでもない。僕の命は君に預けるよ。君が雛日隼人だから」


 隼人の頭にも研究室でのことが浮かんだ。

 同じような言葉を先に言ったのは隼人である。例え、これが未来の策略で演算機能として自分を使わせるための言葉だとして、隼人にはそれを拒否できなかった。

 未来の心情が手に取るように分かる。ここで否定をすることは、須磨未来を、雛日隼人を否定することである。


「君の足りない分、僕が補う。勝つために」

「……」


 揺るぎない頼もしさに隼人は薄く笑みを浮かべた。

 不可抗力に歪んでしまった口元は、緩やかに弧を描いたまま戻らない。心を様々な感情に塗りつぶされ、どんな表情をすればいいのか分からなくなって、行き当たったのが笑顔であった。


「……竜の女帝は俺じゃなくて頭領。俺は虚飾だ」


 ようやく口を開いたかと思えば、関係のない話をこの状況で声に出す。


「試力実験の日、君は竜の女帝を名乗ってたと思うけど」

「旧機のパイロットが帝王なんて、夢とロマンに溢れてるだろ?」

「僕にはさっぱりだよ」


 ふっ、と馬鹿にするように未来は笑った。

 隼人は操縦桿を握る手に力を込める。希望通りの道が行けるなどと、甘い考えてはしていなかったが、守りたいものは山のようで、何ひとつ捨てたくないのが本心である。

 それでも、うだうだ悩んでいる内に自分の操縦限界が訪れてしまえば、その時間は後悔の対象になる。


「――やるぞ、未来」

「うん」


 隼人は回避行動を止めると、魔神に向かって剣を振りかざした。唐突に行動を変えたリフレクションドールは完全に赤竜の不意をついたが、世界境界の反応には及ばなかったらしい。

 剣は何もいない空中を薙いだだけに終わる。

 その間に未来は意識を手放し、スレイプニルの意で演算機能としてのリフレクションドールに接続されていた。作業は無音のままで進行しているが、隼人は身を持って変化を実感せざるを得なかった。


 旧機に慣れ親しみ、現行機ではただでさえ感じていないどころか、抵抗器をつけて調節しているレベルの神経回路接続を隼人は体現している。

 その隼人からしても、自分の身体とメルトレイドがここまで一心同体だと思えたことはなかった。


『接続に問題なイ』

「ああ、みたいだな」


 魔神の姿は消え、演算機能の準備も完了した。

 出現と同時に撃破する。一発勝負の博打へ、舞台は整った。

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