第112話 返事を聞かせて、嘘だと言って
『――七代目、嘘でアろウ? アれに六代目が?』
『そう、だよ』
スレイプニルの声には、驚愕に脱力しているのが滲んでいた。薫が隼人を殺そうとする理由など、思い当たりもしない。
『何故、主を連れてイなイ。主は、何処に』
何より従属する主の姿を見出せなかった自分が、スレイプニルには信じられなかった。
相手を求めない独り言の呟きは、その名の通りに誰に拾われることもない。隼人は目の前の最悪をどうやって止めるかだけを考えていた。他に回せる余裕はない。
情報量も少なく、発想力も乏しい幼い頭が、最善策を求めて思考回路を巡らせる。
悠長に考える時間はなく、駆け足で越えた道筋の先の答えは、確実を取るものだった。
『イオンを、止めなきゃ』
薫とイオンの命を天秤にかけるなど、隼人にはできないことであった。だからと言って、指を咥えて見ていることもできない。見ているだけをするなら、終末は分かっている。
薫が勝ち、イオンが負ける。
その事実がどんな現実に結びつくかは不明だが、メルトレイドでの戦闘ののちの結果となれば、命を散らすことも可能性の内だ。
『薫をどうこうなんて俺にはできない。イオンを連れて逃げよう』
『……それが、最善だろウな』
どうして薫が、と理由を憶測する猶予はない。何処へ行こうか、など思い当たる場所があるわけでもない。それでも、この現状を野放しにはしていられない。
隼人はぐっと、操縦桿を握り締める。固まった決心に、涙も吹っ切れた。
とにかくイオンの動きを止めなくては、と目の周りを腫らした少年が瞬いた瞬間、背中を見せていた実験機体の姿が消える。
『――!』
存在が消失したわけではない。
イオンがパイロットを務めるメルトレイドは、隼人の前で英雄の意志から彼を守るように立っている。
『な、に。なにが――』
『七代目、離れろ! 何か可笑しイ!!』
『え……? は、何!?』
実験機体は機械人形として元の姿を保ってはいなかった。
ばきばきと金属が割れる音と共に、無機物でできた身体に裂け目が入る。外装の中身、配線や硬度強化のための技術結晶が見えるはずのそこには、鼓動に震う肉が見え隠れした。
白を基調にしたメルトレイドには生気があり、機体は肉体にすり替わりつつある。
人知の及ぶものではない。
『イ、オン?』
隼人は肌に突き刺さる寒気に身を揺らした。
ほんの数秒のこと、見ていたはずなのに何があったのか分からない。スレイプニルも目の前の異形に絶句する。魔神の気配など、ほんの寸前までしなかった。
それこそ、つい先ほどにイオンが機体を動かしている間も、感じ取っていなかったのだ。
『何、だよ……、これ……』
空を見上げて咆哮する目前の生き物は、操縦を要するメルトレイドではなく、命を持った魔神であった。
声帯を得た機体は、低い唸り声を喉で鳴らす。
真っすぐに立ち、綺麗に剣を構えていた名残はなく、魔神と化した実験機体は手にしていた武器を英雄の遺志に投げつけると、背を丸め、前傾姿勢で駆ける。一歩間違えれば、そのまま転倒してしまいそうなバランスであるのに、危うさを見せずに敵機との距離を詰めた。
英雄の遺志は投げつけられた剣をその場で弾く、同時、薫の見るモニターにはメルトレイドであったものが時間を飛び越えてきたかのように、至近距離に突然現れたように見えただろう。
隼人と薫の操縦は並外れたものであり、誰にも彼にも真似できるものではない。が、その域を超えた動作でイオンの乗る機体は動き回る。
振りかぶった右腕、大きく開いた右手が英雄の遺志の首を捕らえた。
『イオン!! 薫っ!!』
隼人がどんなに急げと命令しても、必死に手を伸ばしても、間に合わない。
握り締められた手は、音をも殺したかのようであった。
派手な騒音はなく、静かに首が落とされる。ごと、と低く地を一度跳ね、頭部が転がる。それでは飽き足らず、異色の機体は右手で首を固定し、左手で英雄の遺志の腕を捩じ切る。
英雄の遺志も拘束から逃れようと抗うが、大した意味をなさなかった。パイロットの資質だけで埋められる機体のスペック差ではない。もはや、機体と呼べるかも怪しいのだから。
抵抗するメルトレイドが気に食わなかったのか、機械人形と融解する魔神は使い物にならなくなった英雄の遺志の腕を放り捨て、空けた手をコックピットのある胸部に突き立てた。
そう簡単に穴が開くことはない外装に、何度も何度も拳をぶつける。繰り返される衝撃に、着実に英雄の遺志は破損を重ねていた。
『やめろイオン!!』
追いついた隼人は、奇行に走るイオンを止めに入った。
横から有機と無機の混ざる腕を取るが、枷があろうと動きは止まらない。壊れた人形のように、ひたすらぶち抜くための攻撃を続ける。
隼人は躊躇した。
イオンの遺志があっての操縦でないのは、魔神の姿を具現する機体を見れば察しがつく。しかし、メルトレイドを止めるために攻撃を仕掛ければ、中にいるイオンにも影響がある。
『どうすれば……!』
例え一瞬であろうと、迷う心が最悪の引き金を引く。
甲高い破裂音。
隼人には音がした瞬間からの光景がスローモーションで見えた。
奇怪な音がしたかと思えば、操縦席を守るための外装が弾け飛んだのだ。大小さまざまに割れた破片は、白い花弁のようでパラパラと散り落ちる。
宙を舞う花弁の大きさ、輝きが隼人の目に焼きつく。
機械人形の拳が、英雄の遺志の心臓を貫いた。
『っ――――!!』
考えるよりも、身体が先に動く。
『ごめん!』
聞こえない謝罪を投げ捨てるように吐き出し、隼人はイオンの乗る機体を思いっきりに回し蹴った。英雄の遺志に腕を刺した機体はぐらりと揺れ、足元をふらつかせる。
一瞬の隙を逃さず、隼人は英雄の遺志を引き寄せて、実験機体だったものと距離をとった。
英雄の遺志を横たえさせると、隼人はコックピットから小さな体を投げ出した。実験機体の外装を跳ねるように下り、英雄の遺志に着地すると大破した胸部へと駆けこむ。
『薫!!!!』
想像通りの人物が、操縦席に横たわっていた。
目に見える大怪我はなかった。機体にぶつけて額を切っていたり、ぶつけて腫れた痕は見えるが、英雄の遺志と同じように、頭部を失っていたり、右腕が捩じ切られていたり、心臓に穴が開いていたりはしない。
傍目に変わらぬ姿に、命を狙われていたことも忘れ、隼人は安堵に溜め息をついた。
隼人は薫の傍に寄ると、ぺちん、と軽くその頬を叩く。
『……? かお……かお、る?』
触れた手を驚きにひっこめ、再び、恐る恐ると頬に触れる。気のせいでも、間違いでもなかった。
温度が、ない。
冷たいだけの皮膚と肉の感触は、生きている人間のものではない。命を失った人間に接した経験が隼人にはなかったが、いつもの薫と何かが違うことだけは分かった。
『薫ッ、薫!! 薫返事してっ!』
急に湧いた恐怖に苛まれ、生まれた安息は寸秒の内に消え去った。
どんなに呼びかけても返事はない。ぐったりとした薫の頭を抱きしめるように、隼人は身体を寄せる。そして、彼女に起きている異常を更に知った。
息はしているのに、心臓の音がしない。匂いもない。
『なん、なんで……?』
『……七代目、手遅れだ』
愕然とする隼人へ答えを与えたのは、同じ身体を共有する相方であった。姿を現したスレイプニルは鼻先で隼人に抱えられた薫の顔をつつく。
漆黒に紫をかけた瞳に哀しみが孕む。
『生者の匂いがしなイ。六代目は――』
『違う!! 違うよ!!』
隼人は必死に現実を拒んだ。
そうすることで何が変わることもないが、それでも受け入れられなかった。手から伝わってくる、初めて知った死の感覚。
隼人は哀哭した。
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