第111話 大事な貴方のために
実験機体は天に剣を向けたまま、空を仰いだ。雲の量は少なく、青い色が終わり目なく広がっている。隼人は脱力したまま、旋転を演ずる英雄の遺志に目を奪われていた。
角の目立つ外装、ごつい関節、冴えない白。
英雄の遺志が宙から地へと戻れば、隼人には敵機の姿が見えなくなる。しかし、少年は寝ころんだままで、機体を起こそうとしなかった。
動かぬ実験機体は、格好の餌食である。絶好の機会であるのに、英雄の遺志はとどめを刺しに行くことをせず、武器を下してその場で悠然と佇んだ。
再びの膠着状態を前に、吉木は「やはり、サンプルを殺しはしないか」と満足げに頷く。
司令室の中は、唐突に始まった戦闘実験に困惑を漂わせていた。とはいっても、トップである二人に動じた様子も、迷っている様子もなく、周囲は指示のままに動くだけだ。
隼人たちから司令室での音声を取り上げると、相島博士はがっかりを隠そうともせずに溜め息をついた。
「駄目ね。魔神の力に頼ろうなんて、どこでそんな狡を覚えてきたのかしら」
「あの年で魔神を使いこなそう、と言うのだから、それはそれで評価できる」
「どこが? あの子は自分を過信してる。魔神の力に自分が呑みこまれる可能性を楽天的にしかとらえてない」
隼人の戦闘行動に酷評をつけた相島博士は、むすりと不機嫌を浮かべ、手にしたペンを走らせる。
内容は隼人の自意識の欠陥。
魔神の力を制御できる体力も精神力も年端もいかぬ少年にはない。スレイプニルが能力を解放し、その主導権を隼人が譲渡されたとして、幼いマグスにできることはないのだ。
「マグスとしていられるのは、スレイプニルが上級魔神であって、彼女の方が隼人に気を遣っているからなのに。自分の適応能力と思ってる」
「なら剥がせばいいだろう」
「……あの子の意識改善が済むまではこのままよ。スレイプニルは命綱になるもの」
大切な被験体がマグスになることを良しとしたのは、ひとえに彼の身体に宿ろうとする魔神がスレイプニルであったからだった。他の魔神であれば、許可を下すことはなかっただろう。
スレイプニルは隼人を守る。
その一つの事実だけで、異なる命を身体に共有する許しが隼人に出た。隼人にしてみれば、捨て犬を拾ってきた程度の感覚であるが、スレイプニル含め、彼以外にはそう簡単な話ではない。
「にしても、彼女、本当に何で出てきたのかしら」
動きを止めたペン先が、とんとん、と机の上を叩く。
「喜里山の都合など知らないよ」
「”審判”なんて言って、オーディンに何かさせるつもりかと思ったけど」
「動きはないな」
審判する、と豪語した薫は隼人との短い戦闘を披露したものの、命を奪うチャンスを持て余している。今も倒れ込んだままの実験機体を、射程距離ぎりぎりの位置で監視しているだけで、動こうとはしない。剣を持った手も、重力に逆らうことなく下されたままだ。
薫の行動に納得できない二人の博士の思考を邪魔するように、一方通行しか許されていない通信機から掠れる音が聞こえた。
『ねえ、……ねえ、相島博士』
温度のない声は、細く弱い。
辛うじて聞き取れるが、少しでも雑音が障害になればかき消されてしまうくらいの音量だ。
『あの機体、魔神に乗っ取られてるんじゃないよね?』
隼人は吉木の言葉が嘘だと確信していた。もはや、疑う余地はない。
教えを請っている身として、手本に置いている彼女の操縦を見間違うことはあり得ない、と隼人には自信があった。一目で惚れ込み、旋転の動作を習ったことも記憶に新しい。羨望の眼差しを絶えずに向け続けていた相手。
『……これ、抜き打ち試験か何かなの?』
目前に立ちはだかるメルトレイドには人が乗っている。
そして、そのパイロットは憧れのパイロットで、いつでも自分を受け入れてくれる心の拠り所。
その彼女が、殺す気で隼人の前に立っているのだ。
『答えてよ……ッ!』
悲痛を叫ぶ声、すがる視線。
動揺を隠せない隼人に対し、相島博士は顔色一つ変えない。隣に並ぶ吉木だけが楽しそうに口許を釣り上げていた。
「それを知って何が変わるのかしら」
相島博士は同情を見せるどころか、呆れかえっていた。失望した、と訴える瞳が歯を食いしばる少年を射抜く。
「理由が何であろうと、貴方は戦うのよ。それが貴方の役目、生きる意味」
世界境界に取って代わる兵器。
魔神と人間ならば、強者は後者。上級魔神を相手に手こずることは合っても、制圧するのに無理はない。上級がそうであるなら、それより下位に当たる魔神も言わずもがな。
人類にとって、確固たる障壁となるのは世界境界。世界と世界を繋ぐ命を支配下におくには、それよりも強い力を持つことが単純明快の選択であった。全人類の内、たった十三人に与えられた”鍵”という所在不明の力を探し出すよりは、よっぽど楽である。
「――て、聞こえてないわよね」
司令室からメルトレイドへの通信は閉ざされている。
何か口を動かしているのは隼人にも目視できているが、言葉を理解できるスキルは少年にない。動揺のせいか、息が荒くなっている隼人は一生懸命に相島博士を呼び続けていた。
ぐずぐずと鼻を鳴らし、瞳を濡らす少年が泣きだすのも時間の問題だ。
「回線を戻して」
指示一つで元通りになった通信機を通し、相島博士は「いつまで寝ているつもりなの?」と戦闘放棄している隼人を咎めた。隼人の質問に応じる気は更々ないらしく、ぱくぱくと口を開閉するだけで音を出せない隼人へと向ける表情は冷徹だった。
「立ち上がって、構えなさい」
『…………戦え、ないよ。だって――』
「貴方に拒否する権限なんてないでしょう」
横になったままの隼人の瞳の中、限界まで溜まった水分が頬につうと線を引いて落ちていく。力の抜けた手は、操縦桿を握ることなど不可能そうであった。
『……』
「まず、起き上がりなさい。サンプルC」
『…………』
サンプルと呼ばれている、何かの実験に携わっている、メルトレイドの操縦ができるようにならないといけない。隼人本人が研究所での自分の立場について、知っていることはこれくらいのものだ。
担当の科学者は相島博士、隼人の知る被験体は他に三体。内、二体の姿は見なくなった。残る一体の名はイオン。
本来、実験のために用意された験体は四体どころではないが、隼人の知る由ではない。
『…………や、だ。嫌、だよ――、できな、い』
「……」
隼人は大きな目をぎょろぎょろと彷徨わせた。行動自体に意味はないが、心はどこかに逃げ道を求めていて、何かを探すように忙しなく視線を動かす。その度に、未だ止まらない涙がぼろぼろと顔を汚していった。
「サンプルC」
その音が聞こえようと、隼人は嫌々と首を振る行為を止めようとしない。
ここまでか、と相島は重苦しい息を長く吐き出した。乗っているのが薫と分かれば、動けなくなるのは目に見えていた。最悪、スレイプニルのせいで企画倒れに終わるか、という懸念もあったのだ。
少ないが有用なデータはとれた。ここらで手を引くのが妥当であろう。
来るべき日を相島博士は心待つ。隼人が最高の能力を持つ、自我を持たない人形となる日は、作品が完成する日。実験成功の日。
「もういいわ――」
『あれを……、倒せばいいの?』
実験中止を言い渡そうとする相島博士に予想外の声がかかる。
動けない隼人を案じ、見かねたのは、一人放置されていたイオンであった。制止した英雄の遺志の前に出たイオンは、隼人の乗る実験機体を守るように立ちはだかる。
『私が、する』
好戦的ではなく、贔屓目に見ても戦闘が得意とは言えないイオンが、自らの意志で戦うことを選ぶのは初めてのことだった。健気な心意気であるが、イオンではどう抗っても敵う相手ではない。
「……サンプルA、貴方まで、何処で狡を覚えてきたの?」
頭部を貫かれ、レプリカを破壊されている実験機体が動くことはあり得ない。それでも、現にイオンの乗る実験機体は隼人を守るために動いた。
冷静を保てない隼人はその異常に気付けなかった。司令室とではなく、別のコックピットに繋がる通信機を少年はぼやける視界で見つめる。
『私がやり、ます』
「……」
『だから、ヒナに……、つらいこと、させないで』
「――ええ、そうよ。あれを倒せばいいの」
不測の事態、もしかすれば開花する才能もあるかもしれない。少女の心境変化は研究者たちにとって好ましいものであった。
元々、廃除路線を辿っていたイオンがどうなろうと、相島博士らにはダメージはない。隼人が心に傷を負おうが、いつかは消える感情。研究所側からは不要の心配だ。
『違っ――』
隼人はすぐに相島博士の嘘を否定しようと、掠れた涙声を張り上げるが、二機を繋ぐ通信音声は当然のように強制切断をされる。
『――駄目だイオン、やめて!! 相手は薫だ!!』と続く言葉を聞くのは司令室と隼人自身だけで、伝えるべきイオンには微塵も届いていない。
イオンの乗る実験機体が武器を構える。形は美しく、手本のようであるが、問題はこの後に動きをとれるかどうかである。
『イオン!! 聞こえないの!? イオンってば!!!!』
戦闘態勢を取るメルトレイドに誘発されてか、英雄の意志も武器を構えた。
『相島博士!!!!』
不穏な気配に隼人は咎めたてる絶叫を司令室へぶつける。しかし、既に通信は拒否されていて、他との交信を断たれている隼人が必死に声を上げようとも孤独に響くだけだ。
『くそっなんで……、なんでこんなことにっ!』
隼人はぐっと歯を食いしばると、ようやくとメルトレイドを起こし上げた。小さな手が真っ赤に充血した目を擦る。涙を拭い、どうにか開けた視界に見える光景は絶望だけだった。
緊張感を張り詰めさせるイオンと薫。
イオンは隼人を守るために不得意な武器を握る。薫は隼人と対峙した時と同じく、殺す気で彼女と戦闘を起こすのだろうか。
多種多様の奇跡でも起きない限り、決して良い状況には見えない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます