第99話 朝焼けは最悪を照らす
「本隊はアメリカの本部から派遣されるって。僕らの仕事は、優秀なパイロットと機体とが、素晴らしい作戦と共に日本へ来るまでの時間稼ぎ」
「……俺はともかく、エースパイロットと完全戦略を使い捨てるのか」
「大胆でいい案でしょ?」
不敵に笑う未来は、自信に満ちていた。
表情の意味を理解し、隼人はつられてもらい笑う。
「お前の提案か」
「本部のエリートさんたちに、無駄足踏ませるのは忍びないけど」
完全戦略は本当に三人で作戦を完遂させる気でいる。
隼人も異論はない。簡単にやられてやるつもりは、主戦力となる兵器の少年にもなかった。未来との結束が、押し隠した殺意を上書きしていく。
同じ目的に向かう頭領の存在で補足すれば、隼人は揺るがぬ正気を保っていられた。
「君のスケジュールだけど、午前十時まで身体を休めること。あまりにも怪我が痛んで思考を苛むようなら、行動に支障が出ないぎりぎりまで薬投与するから言ってね」
「はーい」
「十時から機体との接続確認。昨日の夜に聞いたことを参考に、回路に抵抗器をつけてみたから、試運転しつつ設定の微調整」
「回路、抵抗?」
「レジスタンスのメルトレイドパイロットに対して開発してたシステム。神経伝達を邪魔するブロックを誤認識させ――簡単に言えば、君の操縦可能時間を引き延ばす装置だよ。本来なら、妨害用のシステムなんだけどね」
詳しい説明を省いた未来に、隼人は「おお!」と感心したように声をあげたが、きちんと理解しているのか、いないのかは本人にしか分からない。
スレイプニルと未来とは、疑わしさを顔には出さなかった。
「九時五十分に迎えに来るから、それまで寝てるかぼーっとするか、無理を言うようだけどリラックスして待ってて」
「そんなに時間かつかつでいいのか?」
「君の精神状態をベストにしてもらわないと、どんなにハイスペックのメルトレイドを用意しても意味なくなっちゃうからね」
未来はわざとらしく肩をすくめた。
おおよその説明は終わりのようで、未来は手に遊ばせていた帽子を目深かぶる。幼い顔が隠されると、友人としての親近感も覆い隠された。
すっかりやり手の軍人の様相になった未来は「質問はある?」と締める。
「……前哨戦の情報、教えて欲しいって言ったら?」
隼人はちらり、と未来の顔色を窺う。無理を言っている気はあったが、あと十数分後に起こる事変を思えば、気分は勝手に浮足立った。
若桜に対する警戒はしすぎて損はない、と隼人の中にある敵対心は大きく膨らんでいた。
「考えあぐねてる」
未来は隼人の要望を無下に排することはしなかった。
「一応、中継の準備はある。気になって集中出来ないなら見せた方がいいんだけど、見たせいで精神が揺さ振られるようなら、見せるわけにはいかない」
「見せて欲しい」
食い気味で被せる隼人は息巻いている。興奮を滾らせる瞳は、必要があれば無理やりにも未来を説き伏せようとしていた。
「どんなにショックなことが起こっても、十時までに持ち直すから。後から聞いて、現場で使い物にならないのは嫌だ」
「……」
帽子のつばを掴むと、未来は視界を広げる。
二対の眼光が未来を刺していた。ベッドの上、今にも転げ落ちそうな隼人以上に、スレイプニルの方が酷く燃える目をしている。
ギラギラと焦げ付くような彼らからの催促は、未来の優柔不断を容易く処理させた。
「前哨戦に関しての明確な情報はまったくない。でも、一ノ砥若桜のとる行動は予測がつく。ここ数日と変わらず、魔神を使った強襲。で、四条坂都内に人員とメルトレイドとを配置済み」
「その予測を裏切られたら?」
「裏切られないよ」
椅子から立ち上がった未来は、かつん、とつま先で床を叩いた。皺になった腰元の服を直しながら「僕の考察の結果だけど――」と続きを口にしながらも、退室をするための準備に身体は動いている。
時計の針が差す時刻は、六時五十分。
「一ノ砥若桜は世間知らずで子供っぽい。選択肢が異様に少ない。思考の幅が狭いんだよ。おそらく社会経験が浅く、まともな環境で育ってないんだ」
「つまり?」
「魔神を使った攻撃以外、一ノ砥に発想できる別案がない」
言い切られた言葉は、隼人にはぴんとこない。
「でも、アスタロトが入れ知恵したり――」
「するなら、前哨戦なんて意味のないことを止めてるよ。わざわざ十七時まで待つ、なんて猶予を出した理由もないと思う。危機感を煽るためでもないでしょ」
後半の意見には隼人も賛同できた。
――桃々桜園で待っているよ。
若桜が隼人に向けて送った言葉。十七時までの猶予は脅威に抵抗するために与えられた時間ではなく、若桜が来訪者を待っている制限時間。
隼人も強制的に招かれている一人である。
「……時間だから行くね。中継、そこのモニターで見れるようにいじっておくから」
「ああ、ありがとう」
「でも、君の一番の仕事は身体を休めることだからね?」
「分かってるよ」
ぶらぶらと足をばたつかせる隼人は、椅子代わりになっているベッドを揺らす。未来が聞き流されているような気になるのも無理もない。実際、隼人は話半分で、これといって休息に専念する、と固く決めているわけではなかった。
「……スレイプニル、僕は君を信用している」
釘は刺される。
「ちょっ」
『期待には応エよウ』
肯定的なスレイプニルに、未来はゆっくりと頷く。
むっとする友人を見ないふりで、未来は手を挙げるだけの挨拶をして部屋から出ていった。扉が開き、また閉まれば、再び部屋には隼人とスレイプニルだけ。
隼人は上体を寝っ転がらせた。慣れのせいか、痛みも気にならなくなりつつある。
「……一ノ砥若桜、何考えてんだろう」
『さァな』
未来がどこか足早で消えたのも仕方ないだろう。
SSDは戦闘態勢で事態に対処すべく待機している。未来は作戦用のメルトレイドの設備をしつつも、現状を把握するために情報を仕入れ続けるのは当然。
前哨戦の対処行動に関係ない、と言っても、完全戦略は思考の手を止めることなく、対策を練り続けるのだろう。
『……七代目』
「ん?」
七時までの時間はそう残されていない。
『後でで構わなイ。良ければ身体を貸してくれ。ワタシが出来る限り、怪我を治す』
「……その手もあったなあ」
『長イ目で見ればするべきではなイが、今は急を要する。酷いイ外傷を負ってるよりはイイだろウ?』
「うん、頼む」
魔神の自己治癒能力は人間の比ではない。メルトレイドに自身を反映させ、故障個所を修理するのと同じく、人間の身体の修復も不可能ではない。
しかし、機械とは違い、生体である肉体の再生は複雑で多くの時間を要する。
隼人の自我も戻り、この世界での宿に出入りできるようになったスレイプニルには、ようやくそれも出来るようになった。残された時間で、足に開けられた穴くらいは塞げるだろう。
ごろん、と隼人が寝返る。
反転して見える景色、天井近くに吊り下げられたモニターから電子音が鳴り、勝手に電源が入った。ノイズが走ってはいるが、、段々と鮮明さを表していく。
「未来、仕事早いな」
ぐっと腹筋を使って起き上がった隼人は、モニターを見上げる。
ノイズが消え、映った映像に、画面がついたのは友人の仕業ではないとすぐに判別した。見開かれた薄く黒い瞳に、愛想のいい笑顔が映る。
『おはよーございまぁす、皆の宿敵、一ノ砥若桜さんでーす』
目を糸のように細め、ふんわりと笑う若桜。
軍の放送機器を使った中継ではなく、第八境界点からの強制放送。四方八方で散る桜は朝日を浴びて、柔らかな桃色を発色していた。
『どうしたら前哨戦が盛り上がるかなって、ずーっと考えてたんだけど難しくてさ』
カメラを見ながら遠ざかり、若桜は腰元までを画面に収める。
『とりあえず、若桜に足りなかった、ファンサービスを実施しようと思います』
若桜はその場でしゃがみこみ、全身を画面の枠外に消すと、色の薄い髪だけがゆらゆらとフレームの下で揺れた。まるでたんぽぽの綿毛のようで、風に吹かれて飛んでいきそうだ。
『じゃじゃーん、お揃い法被!』
勢いよく立ちあがった若桜は袖を掴み、真っ白の法被を見せつける。どこで手に入れたのか、背中には一ノ砥組の文字が刺繍されており、駅前でたむろする若桜を崇める集団が着ているものと同じだ。
若桜は上機嫌にくるくる回った。ひらひらと裾が踊る。
『さあ、時は来たれり』
腕を真っすぐに空へ伸ばし、若桜は天を指差す。法被の袖が肩へと滑り落ちた。
そしれ、画面は暗転する。
挨拶もなく、これからの行動を示唆することもない。若桜は時報の役割しかしなかったが、これで前哨戦が終わりのはずがない。
隼人とスレイプニルは消えた画面を見続けていた。
「……映った」
モニターはほどなくして、改めて映像を流し始める。
『地点A、予測通りにアスタロトと思わしき影の出現後、多くの低級魔神が現れました。一ノ砥組の法被を着た集団も同じく現場に居合わせています』
今度は間違いなく、SSDの中継であった。カメラが収める視界には、戦闘行動をする数台のメルトレイドと牙を剥く数多くの魔神。正確な場所を判断できるような目立つ建物はないが、オフィス街であるようでメルトレイドと同じ高さのビルが乱立している。
未来の言う通りの光景が広がっていた。
急遽、見られるようになった研究室のモニターでは、メインカメラの映像だけしか映らない。作戦司令室では何台ものカメラや、メルトレイドに搭載されたカメラからの映像を、まとめて壁一面の巨大モニターに流している。
隼人の目では知り得ないが、戦闘行動は都内各地で起こっていた。
小さく数が多い魔神に覆い隠された一機の汎用機を助けるように、星が空から降り落ちる。輝く飛礫はメルトレイドもろとも魔神を貫いた。
「……アイス、ワールド?」
覚えのある現象に、隼人は思わず声を漏らす。
『我らはフロプト、審判の執行者である』
呟きに応えるように、機械音声は鳴り響いた。
『魔神の命は、世界境界だろうと、世界境界線だろうと、決してお前たちのものではない』
拡声スピーカーからの声は、現場でも同じように聞き取れているはずである。声に後づいて、白に青い光と灯す機体が空から降臨する。
氷雪を纏うメルトレイド――アイスワールド。
パイロットは言わずもがなである。
『敵機確認……、フロプトです……』
中継を務める軍人の声は愕然としていた。
これも隼人には確認できていないが、別の場所でも同じようにフロプトの所有する機体が乱入をしていた。
フロプトと魔神掃討機関と一ノ砥組。
『裁かれるべきは、第八世界境界とその境界線。審判を下す』
どの場所でも、機械で隠された美濃の声が響き渡っていた。転送され、各地で鳴る音声は、若桜に対する宣戦布告。
アイスワールドは魔神ではなく、その宿主たちに向かって手を差し出す。開かれた機械人形の手のひらは、見えない何かを握りつぶすように閉じられた。
空気が圧縮されるように、宙に氷の粒が作り上げられ、それは勢いよく飛び散った。攻撃性に染まった氷塊が、白い法被に数多の風穴を開ける。
『ふ、フロプトと一ノ砥組で、抗争です!!』
フロプトの狙いは一ノ砥組と魔神だけのようであるが、邪魔になるようであればSSDに攻撃することも躊躇わない。
戦場の熱は一気に過熱していった。
「……美濃君」
六月十四日。
誰の記憶にも残ることになる最悪の朝は、狂いもせずにやってきた。
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