戦場へ

第98話 吉報も悪報も受け手には選べない

 会議だ、と言う未来と別れ、隼人は気絶に近しい形で意識を手放した。

 睡眠薬を処方されてはいたが、薬の力で深い睡眠を得ることはしなくとも、心身ともに疲れきった少年は落ちるようにして眠りにつく。

 夢もみず、意識は深く沈み、回復を求める。


「……」


 隼人は目を瞑っていても分かる明るさに、目を覚ました。

 感覚的には数分のうたた寝であるのに、室内はどうにも眩しい。きょろきょろと研究室を彷徨う隼人の視線は、ブラインドの下ろされていない窓で止まった。

 輝かしい日光は夜に見られるものではない。


「……あ、れ?」

『オはよウ、七代目』

「…………朝?」


 隼人は敵地での一晩を、主の戻らない研究室で知らぬ間に過ごしていた。無用心にもレジスタンスを監視する見張りはなく、隣室では、ナースコール代わりに医療班が待機している厚待遇。

 しかし、隼人はSSDからの特別対応など微塵も知る由はない。


『朝だ。もウすぐ七時になる』


 足を折り畳み、座り込んでいるスレイプニルは首をあげて隼人の顔色を窺う。


「……はよ」


 車椅子から急遽設置されたベッドに移動させられているのも、少年は今更に理解した。中途半端に起こしていた上半身を立てると、足をベッドの外に出す。


「……ごめん、スレイプニル。お前のこと迎えらんなくて」

『むしろ、休んでイて安心した。しかし、逆に疲労を覚えさせてしまったな』

「いや、これくらいなら大丈夫」


 隼人の自我がなく、その身体に戻ることの出来なかったスレイプニルは、ずっと姿を描き出したままでいた。無意味な具現化は、隼人の体力と精神の回復速度の足を引っ張っていたことになる。

 スレイプニルは立ち上がると、隼人の胸元にぴたりと顔を寄せた。


「こっちこそ、無理言って悪かった」


 まるで心音を聞いているかのような仕草をする魔神の頭を、隼人は緩やかに抱き締める。


「お帰り、スレイプニル」

『ただイま、七代目』

「……なんか、あったんだな」


 無事であれ、と隼人は強く願っていたが、星に願いは届かなかったらしい。

 スレイプニルの想いは、言葉にしなくとも隼人に届く。拠点の屋敷で異変があったことに対し、確信に満ちている少年は受け入れる覚悟を決めた。

 悪い報せであるのは、分かりきっている。


「皆は無事? 怪我してなかった?」


 隼人はスレイプニルのたてがみをすきながら、落ち着いた声で尋ねた。寝起きでの働きが鈍いせいか、スレイプニルが不安に溺れているせいか、隼人はたおやかだ。


『屋敷が第八境界とその境界線に襲われたのだ』


 端的でありながら、隼人には重すぎる一言。

 緩慢な動作で上下していた手がぴたりと止まる。目は一瞬にして醒めた。

 スレイプニルは重い口を動かし、拾い上げた真実と託された言葉を告げる。全壊に等しい屋敷のこと、無事である美濃と百合子。


 相方からの報告を邪魔せずに、隼人はおとなしくしていた。

 言いたいことがないのではなく、何も言い出せなかった。一概には信じられない、信じたくないことを突きつけられ、考えるという行為が難しくなる。


『……』

「……スレイプニル」


 スレイプニルは一番大事な情報を伝えることを躊躇った。しかし、伝えていいものか、と悩む魔神の心の苦味は、身体を共有する宿主には筒抜けである。

 少年は先を促すために視線を交わらせた。

 隠し事が許される状況ではなくなっている。スレイプニルもそれは重々承知である。


『先代が……、境界線に連れ去られた』


 ぐっ、と隼人の喉が空気を詰まらせる音を鳴らす。

 見開かれた目、絞られた瞳孔。


「薫……」


 覚悟は決めていたはずなのに、動揺は隠せない。

 だらり、と力の抜けた腕がスレイプニルの首にしだれかかった。スレイプニルはすぐそこにある隼人の心臓に耳を当てる。


 激しく鼓動をする忙しい音。

 スレイプニルは隼人の腕の中から抜け出し、首を使って震える身体を引き寄せた。抱きしめていた側から抱かれる側になった少年は、抵抗せず慰められるままである。


「…………お前も、辛い、よな」


 肯定を示すように、隼人の背に回っている首の力が強くなる。

 宿主を元気づけようとしているスレイプニルも、本心は一緒になって悲しみの限り、嘆いてしまいたかった。

 隼人はスレイプニルに頬擦りしながら「悲しんでても、解決はしない」と弱々しく言葉を紡ぐ。


「第八世界境界点に行くしかないのは一緒。取り返すものが増えただけ……」


 まるで呪文のようであった。


「あれだけ人は殺したくないって、思ってたのに――」


 言い聞かせるようにゆっくりとした口調で呟かれた声は、暗く、抑揚がない。


「一ノ砥若桜」


 混濁している感情の収束する先は、純粋な殺意。

 隼人にとっての薫とイオンは、信念を曲げる価値がある存在である。

 激情に身を任せてしまえば楽であるが、少年はそれをしなかった。暴走したがる殺意の息の根を止めるように、隼人は意識して呼吸の速度を落していく。深く息を吸い込み、細く長く吐き出せば、余計な肩の力も抜けていった。


「薫……、イオン……」


 隼人の耳元では白金の輝きが、遮りのない窓から差す朝日を受けて輝いている。

 しばらく研究所の中では何の音もしなかった。混雑した少年の心の中は、正常な状態を求めてのろのろと整理をつけていく。


「ところで、百合子さんと雅さんは……?」


 隼人は事実から目を背けるように、ふと気にかかったことを質問する。宿主と魔神とは依然くっついたままで、声を発すれば振動が相手に伝わった。


『百合子は無事だ。雅は――、第八世界境界の器になってイるらしイ』


 一番の爆弾を放ったスレイプニルはどうにでもなれ、と自棄になったかのように言葉を放る。情報を知り、時間を隔てているスレイプニルと違い、隼人は一々と伝えられる真実に脳を揺さ振られた。

 隼人は掠れた声で「……美濃君はなんて?」と弱々しく絞り出す。


『雅とは美濃が話すと言ってイた。ワタシたちには、雅を信用するな、と』

「美濃君……」


 目の前で姉を拐われ、仲間の裏切りを見せつけられた頭領を思えば、少年は自分が一人勝手に絶望することは愚かに思えた。


『先代のことは任せろ。主とイオンのことは任せた、と。美濃からはこれで全部だ』

「…………了解」


 隼人は無表情でいた。考えうる最悪の事態が束になって起こっている。

 スレイプニルと熱を分ける行為を止めた隼人は、ぱちん、と頬を叩いた。ただでさえ軋む身体に、攻撃を加えれば、頬を始点とする痛みと熱が隼人の脳に痺れを起こさせる。

 視界が澄んでいくようだった。


「勝つぞ、スレイプニル。――何もかも、俺たちフロプトが勝ち取る」

『……アア、絶対、だ』


 一転、悪戯っ子のように笑う隼人は、こつんとスレイプニルと額を合わせると、ベッドの上で身をよじった。

 すっかり心身ともにスタンバイを終えた隼人は、自分がどうしたらいいのか、という議題にぶつかり、部屋の中を見回す。


 研究所の中には見慣れない解熱剤と鎮静剤が並ぶラック、時間を止めた机、開け放たれているブラインド。

 イオンの痕跡があるのは当たり前の場所であるが、隼人には新鮮であった。現状を動かす何かを探す隼人に応えるように、リズミカルなノックが来訪者の存在を伝える。


「入るよ」


 返答を待たず、扉が開いた。

 姿を見せた唐突の来訪者を、隼人とスレイプニルはきょとんとした顔で迎えた。二人と一体は視線を交わらせると、動きを止める。

 妙な沈黙を壊したのは「なんだ、起きてたの」という未来の声であった。


 意外そうにする未来は、着崩さずに教本通りに軍服を着ている。派手な柄のパーカーも蛍光色のシャツもなく、軍帽までを被り、どこへ出しても問題のない出で立ちだ。


 軍靴で床を鳴らしながら入室した少年兵士は「おはよう。隼人、スレイプニル」と魔神に臆する様子も見せずに、朝の挨拶をする。

 隼人とスレイプニルも軽快に挨拶を返した。常夜のような、明ける兆しのない感情を抱きながらも、それを感付かせたりはしない。

 いっそ、その軽さが目に余るほどだ。


「痛みが酷い傷はある?」

「あー、身体は重いけど、特に、ってのはないな」


 隼人は大きく肩を回す。動きは鈍く、節々が鈍痛を訴えるが、激痛に苛まれることはない。少年の言葉を聞きつつも、未来は表情でその真偽を測っているようだった。

 茶色の瞳は隼人の挙動を一瞬たりとも見逃さない。


「足に開いてる穴は?」

「感覚すらない。傷が開いてても気づかないかなーみたいな?」

「君の許可は得なかったけど、鎮痛剤を過剰投与してるからね」


 使用制限を破った鎮痛剤の効果は抜群であった。感覚の鈍った足は上手く扱えないが、それは痛みがあっても同じことである。


『……大丈夫なんだろウな?』

「制限ってのは大事に大事を重ねた数値だから、昨日の投与分は理論上、問題はないよ」

「へー」


 どうせ動かせない足なら、痛くない方が勝手がいい。

 未来の問題ない、に無条件の信頼を置く隼人の思考は単純であった。


「今から、事務連絡しても?」

「だいじょーぶ」

「良し」


 未来はイオンの机の椅子を引っ張り出し、隼人と向かい合う位置に座る。軍帽を脱いだ未来の顔には疲れが滲んでいたが、目には好戦的な色が隠し切れていない。

 ぎらり、閃光の走る目は、向かい立つ作戦に心が奮っている。隼人にはよく分かる感覚で、イオンや薫のことさえなければ、同じように興奮に身を投げていたかもしれない。


「昨日の午後七時――君が寝た後に、境界線の放送があったんだ」


 少しの間を置いて、隼人は困ったように笑う。

 ほんの少し寝ていただけのつもりが、事は二転も三転もしている上に、最悪の道を真っすぐに突き進んでいる。


 異議が唱えられないのをいいことに、境界線の宣言の存在を隼人に教えた未来は、そのまま内容の説明へと移った。彼が理解しているかどうかは、今は問題ではなかった。


 なぜなら、若桜の言うあれこれで彼らが念頭に置くべきなのは、タイムリミットが午後五時であることだけだからだ。

 説明を受けていない隼人は、午前七時の前哨戦という不穏に自然と時計に目をやっていた。

 猶予はあまり残されていない。


「あと十四分だね」


 丁寧にも、正確な分数を口にした未来は時計から自分へと、隼人の焦点を奪うとわざとらしい咳払いをする。

 前哨戦についての説明を省きます、と言外で訴えているようだった。


「僕らはそっちには関与しないから、今、話したことは頭の隅にやっていいよ」

「じゃあ、俺たちは……」

「第八世界境界点での第八境界線掃討作戦を実行」


 彼らの本題は、世界境界戦との決戦。

 隼人はわめきたてることはなく、未来の行動確認を聞き入れていた。スレイプニルも同じで、薄紫のかかる黒の瞳に未来を映すだけである。


「時刻は正午、参加人数は三人」

「……三人?」

「境界点の影響圏外で別班が待機するけど、僕らとは別管轄。境界圏に乗り込むのは僕と君とカトラル少尉」


 立てた三本の指を突きつける未来に、隼人は首を傾げる。

 境界線を潰す、という作戦はSSDにとって大仕事だとか、重要性の高い作戦だとか、そういう問題で済むようなものではない。

 魔神掃討機関という組織の存続すら危ぶまれるような事態であるのに、参加人数が三人。しかも内、一人は戦闘兵ではないし、一人は軍人ですらない。


「――もしかして、特攻隊扱い?」


 思い当たった結論に、ひくりと隼人の口元が引きつった。期待の兵器の立場からすれば、何とも言い難い扱いである。

 未来は特に気にしている様子もなく「そ」と簡素に肯定を示した。

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