第92話 人間、改め、兵器

 第一境界点の影響圏で起こったことを知る由もない隼人は、白服として救護室に押し込められていた。

 偽装軍人を連れてきたのが作戦課に所属する完全戦略であり、反論を許さない命令は混乱していた救護室の中で強く響いた。

 結果、隼人の治療は誰よりも優先されることになった。


 隼人は一通りの手当てを受けた後、消毒液の匂いが充満する部屋からイオンの研究室へと、医務班の手で運ばれて来た。

 扉の前に放置された隼人は、おずおずと扉を叩く。


「はい」


 応答したは部屋の主ではないが、隼人のよく知る声であった。


「……失礼します」

「こんな短期間のうちに、二度も生きていて良かった、って思わせるのは君ぐらいだよ」

「無茶するのが取り柄でさ」

「……知ってる」


 まともに歩くことができず、車椅子に座った検査着の少年は怪我だらけである。検査着の隙間から、肌色を隠す包帯が見え隠れしていた。


「何してんの?」

「情報整理、だといいけど」


 未来は神妙な顔で、イオンの端末をいじっていた。

 車椅子の隼人は未来と机を挟んだ位置を目指して動き出す。隼人には上手く動かすことのできなかった車輪は、軍服の少年に対して妙な角度で止まる。


「俺、ドールとして、第八境界線の討伐作戦に参加したい」


 隼人は真面目な顔つきで、はっきりと言葉を口にした。

 端末画面に向けていた視線を身体ごと隼人に向けた未来は、苦虫を噛み潰したように顔を歪める。予測はしていたが、実際に面と向かって言われても、やはり気に入らなかった。


「僕が言った言葉、覚えてる?」

「……一般人は何も知らずで帰りなよ、だろ? でも、帰れない。そもそも、一般人じゃないし」


 機嫌がいいとは言えない未来の態度を知りつつ、隼人も後には引けなかった。目の前でイオンが連れ去られた後、少年の心には情けない、という感情が蔓延していた。

 後悔しても遅いが、隼人はあの出来事を何度も脳内でシミュレーションしてしまう。なぜ、あそこでこうしなかったのか。こうやって対処すればよかったのに、ああした自分は愚かではないのか。


「なあ、未来――」


 隼人は自分の決意を譲らずに、未来の頑固を打破する魔法の言葉を、一つ持っていた。


「SSDはイオンが――始まりの雷鳴がいないのに、第八世界境界をなんとかできるのか?」


 しん、と冷たい沈黙が部屋を支配する。

 隼人の言葉は真実で、未来は言い返せなかった。正体が何であれ、イオンが生体兵器保有していたからこそ、特別作戦に隼人は不要だと言えたのだ。

 しかし、頼りの第一世界境界はここにない。


「未来」

「……」


 軍人ならば、隼人の希望を受け入れない手はない。自我を持つ兵器が駄々をこねず、自ら戦場に立つと言っているのだから。


「分かってる。軍人としてとるべき道は分かってるよ。――けど、須磨未来として、イエスとは言えない」


 納得できない、とぶすくれる未来はそっと目を伏せる。目に映るのは、散らかった机の上。自分のものとは違うそこに乗っていたのは、一つのバインダー。

 挟まれた書類は、隼人の身体検査の結果であった。


 イオンの手書きの書き込みがなされたそれは、隼人が人間でありながら、人間でないことが記されたもの。


「でも、そんな悠長なこと、言えなくなっちゃった」


 赤い軍服を着た少年は、バインダーを伏せる。

 信じたくない事実を目で見るのはもう充分であった。


「隼人の作戦参加は絶対だ。……君と言う存在が死ぬことになっても」


 未来個人の強情は、疎かにも軍人としての在るべき姿から目を背けたかった。しかし、現実はそれを許しはしない。

 ほんの数日前までは大きな動きをしていなかった一ノ砥若桜が、突然、目まぐるしく働きだした。


 結果、人狩りと称し、襲撃された場所の一つはSSD。

 そして、魔神と世界境界の研究に従事する天才科学者が、第一世界境界と共に若桜の手で奪われた。どちらか一つがなくなろうとも、SSDには大打撃であるのに、それらは纏めて略取されてしまったのだ。


 未来と隼人は知り得ないが、彼は一番の鍵をも手中に収めた。

 第八世界境界点を根城にする若桜ら以外に、状況は芳しくない。


「そんな顔しなくてもいいだろ」


 隼人は気の抜ける笑みを浮かべた。

 事の深刻さと残された道に潰れそうである未来とは対照的である。隼人は車椅子を操り、未来に手の届く場所まで近づくと、ぺしり、と励ますように腕を叩いた。

 包帯の巻かれた手首には、擬似コネクタではなく、救護室での治療を受け、医務課の病棟へ入院患者として登録された証である紙バンドが巻かれている。


「お前の作戦は完璧。なら、世界境界線を掃討した時、俺は必ず生きてる。それから、日常生活に戻るんだ。未来の手を借りて」


 勝手に膨らんでいる隼人からの期待に、未来は首を振って否定を返す。


「作戦はもうできてる。作ったのは、僕じゃない。特務作戦班の一人で、雛日博士の代理。……作戦書を見る限り、多分、君の知り合いだと思う」


 笑みを絶やさないままの隼人は、ようやく答えの見えた彼の立ち位置に心中で納得した。

 フロプト――美濃自身が思い描く総取りのために、事態は動かされていた。青年は情報の海に浸かっていて、最高の道を模索していたのだろう。

 隼人の心は、落胆よりも安堵が占めていた。


「でも、未来が作り直さなきゃ、だろ?」


 大まかな筋は変わらずとも、戦力に数えられていた存在がない。

 作戦を立て直すにしても、竜の女帝捕縛作戦を立てた雛日博士の代理が行うだろうと踏んでいた未来は、隼人の言葉に怪訝そうな顔をした。


 しかし、隼人には確信があった。

 母親の代理――美濃が横から口出しをしているだろうが、作戦を立てたのは雅。不測の事態となった今、頭領はSSDの動きを雅に押し付け、自らは自らで対策に出るはずだ。

 そうなれば、雅はSSDではなく、美濃と一緒の行動を取る。後先を考えない行動だとしても、オーディンがかかっている以上、美濃も雅の提案を無下にはしないだろう。


「イオンを助けるためにSSDの案に乗るって決めたけど、作戦対応のオペレーターが未来ってのは、俺はついてる」


 作戦特務班に、美濃と雅は残らない。

 後釜に据えられるのは、決まっている。


「お前になら、命を預けられるよ」


 美濃と雅の隼人に対する真意がはっきりしない今、隼人は第一境界点に戻るよりも、ここで力をふるうのが得策だと選択した。

 イオンの救出、と目的は明確だが、そのために頼れるものは多くない。


「完全戦略なんて呼ばれてるからじゃない、お前が須磨未来だから」


 未来には隼人の中で完結した予測は分からなかったが、素直な信頼だけは感じ取れた。

 へらへらと緊張感なく微笑む少年に、未来は思わずつられて頬を緩める。


「…………隼人、馬鹿じゃないの」


 自信満々でいる友人を前に、未来は困惑と同じくらいに嬉しくも思っていた。

 避けられない掃討作戦に嫌々と隼人を用いるより、彼を兵器と認識し、覚悟を決めた方がよっぽど利口で、勝算がある。

 未来の胸中では、負ける気は更々なかったが、勝ちに行く気も霞んでいた。その心構えが改まる。


「元帥がこれから作戦をどういう方向に持ってくかも分からないし、一ノ砥の動きが読めないから、行動目的を見つけて、行動予測しないとならない」

「うん」

「……例え、代案が出てこようと、僕が作戦を立てる。ドールを使って、境界線を掃討するために」


 一番に有益かつ、綻びのないものを。誰もが黙って従わざるを得ないような、完璧なものを。

 陰っていた目に意志が灯ったのを見て、隼人は「さすが、未来。カッコいいー」と軽口を叩いた。とりとめもない褒め言葉に、未来は肩をすくめる。

 決意は固まった。

 隼人はイオンのために、未来は第八境界線を掃討するために。


「隼人」


 未来はイオンの机から立ち上がると、椅子ごと場所を空ける。怪我人の後ろに立ち、車椅子を押して、端末の前に連れて行った。退かした椅子を引き寄せ、未来は隼人の隣に並んで座る形を取る。

 モニターの前に連行された隼人は、こてん、と首を倒した。


「これは?」

「第八世界境界線掃討作戦の作戦書」


 ぐわっ、と音がしそうな勢いで隼人は隣に振り向く。

 作戦に名を連ねる七人しか知り得ない、機密中の機密。それを素知らぬ顔で提示する未来と、文字に黒く染まった画面とを隼人は忙しなく見比べた。


「……作戦中は武器の一つだとしても、考える頭があるんだから、知れることは知っといた方がいいでしょ?」

「え、ああ、まあ」

「予期しないことになった時、君が自分の意志で動かなきゃけないこともあるかもしれない。一応、廃案になる予定だけど、大まかな流れは変わらないだろうから、段取りは見ておいて損がないよ」

「……うん」


 隼人はおとなしく文字の群れに目線を走らせる。


「……」

「……」

「……うっ」


 が、すぐに文字から焦点が外れ、瞳は宙を彷徨った。

 同じ行を二度読んだりするのはましな方で、意味の分からない単語に適当な予測をつけて読み進めてみたが、途中で矛盾が生じ、また元の場所に戻る。

 愚行を繰り返しているうちに、話の脈略が思考の手から離れかけていく。


「……前書きは端折っても問題ない?」

「前置きも読んで。第八境界点の座標とか、境界点の影響圏範囲とか、そういう情報まとめてあるんだから」

「……」

「……やっぱりいい、後で読んでおいて。話が進まないよ」


 未来は端末をいじる主導権を隼人から奪いあげた。

 隼人は前置き、と言う名の細々とした情報が何ページか続くのを白けた目で見ていた。未来の手によって飛ばされていく文書は、作戦本案、の題字で止まる。


「君は第八境界線掃討作戦の、主戦力に組み込まれてる。とは言っても、君の相手は一ノ砥若桜じゃなくて、その背後――世界境界の相手」

「第八境界、アスタロト?」

「そう。一ノ砥を殺すのに何が一番邪魔か、って言ったら、第八世界境界だからね」


 端末を動かす手を止めず、未来はとん、と画面をタップしながら説明を口にしていく。隼人は促されるままに目を動かした。

 瞳に映る名前に、隼人は数度、瞬く。


「君が世界境界の相手をしてる間に、少尉に境界線を殺させ――」

「始まりの雷鳴を搭載した専有機に、イオン・アクロイドを演算機能として、接続……?」


 作戦書には隼人とイオン、始まりの雷鳴の名が続いている。

 オーディンをレプリカに収めたメルトレイドに隼人が搭乗し、その演算機能にイオンを用いる。隼人がメルトレイドを動かすのを補助する回路、隼人にかかる精神負担を分散する抵抗装置。


「……彼女への、危険性は?」


 実際、この作戦が行われることはなくなったが、隼人の口から思わず出たのは、イオンの身に起こるかもしれない影響を尋ねる言葉であった。

 これが実現されていたのならば、イオンはメルトレイドのコックピットの背景を彩る補助装置と同等の物として扱われていたはずである。


「さあ、俺は気にしたことないです」


 肩を寄せて談義していた二人の肩が大きく跳ねる。

 二人の視線はモニターから研究室の出入り口に向けられた。

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