第93話 願っても望んでも繋がらない

「こんにちは、お邪魔しますね」


 すらっとした高身長の人影は軽快な足音を立てながら部屋へと侵入を果たした。

 輝かしい金髪を揺らし、細めたペールグレーの瞳に少年たちを映した白服は「イオン博士を心配するなんて、なかなかの優しさですね」と隼人に感心を見せた。


「仲良く作戦会議はいいですけど、不用心じゃないですか」

「……入ってくるなら、ノックしてよ」

「しましたよ。聞こえてなかったみたいですけど」


 セキュリティをかけるイオンがいない今、この研究室は来客を拒めない。

 若桜の放送終了後、SSDは当然のように混乱に陥った。建造物の被害もあり、人員への被害もある。手をつけなければいけない事が山積みだ。


 事後対処にどんな指示が出てるか、未来はほとんど把握していなかった。

 イオンの部屋の使用権を無理やり取りつけ、少年はずっと隼人が起きるのを待っていた。

 カトラルと未来が顔を合わせるのも、通信機越し以来である。


「イオン博士なら、そう簡単に死ぬような人じゃありませんから」


 カトラルは愛想に満ちた顔で、隼人に声をかける。

 メルトレイドに乗ったままでの会話を引きずっている隼人は、唇を巻き込むようにして口を噤んだ。

 先の出来事のせいで、カトラルは隼人の”苦手な人物”にカテゴライズされていた。


「……イオンのこと、よく知ってるんですね」


 ただでさえ好ましいとは思えない青年から、イオンのことを説明されたことが隼人の気に障る。


 不細工に不満で頬を膨らます隼人を、カトラルはきょとんとした顔で見つめ、それから、声を上げて笑った。

 蚊帳の外にいる未来は、ぺしん、と自分の額を軽い力で叩き、抑える。


「……はあ、少尉。やめなよ、そういうの」

「はは、ごめ、ごめんなさい。何がっ、はは、面白いってわけでも……、ないんですけど、ふふ」

「……」

「日名田君が懸念しているような関係ではありませんよ。そもそも、俺、彼女みたいなタイプ、殺したいくらい嫌いですし」

「――えっ」

「少尉、敵意ありすぎ」


 ぎょ、と驚愕した隼人は、未だにこみ上げる笑いと戦うカトラルと、適当なフォローを入れる未来を見る。

 カトラルは冗談を言っているようではなく、対応する未来もおふざけを窘めるようではない。少年は青年の不謹慎な言葉をなじっている。

 考えの見えないカトラルは、美しく口元を釣り上げて見せた。


「……隼人、あんまり気にしない方がいいよ。少尉、人の好き嫌い激しいから」

「え……、ああ、うん」


 カトラルの物言いが本心なのか、戯言なのかは、青年本人にしか分からない。

 隼人は白服を視界から追い出す。ほんの些細なやり取りが、少年の中に既にある少尉への苦手意識を、更に根奥深いものにさせた。


「いうて日名田君も、イオン博士のこと取り乱して心配しているようには見えませんけど」


 無言の拒否を見つつも、カトラルはめげずに隼人の頭に向かって声を投げる。

 隼人は白を目に入れないままで「心配は心配ですけど、……絶対助けるって決めてますから」と律儀に返答をした。

 言葉の通りであった。


 どんな手段を取ろうと、イオンの身を助ける。一ノ砥に対する敵意よりも、イオンに対する懸念が勝っているようで、隼人がまとう空気はぎすぎすとした近寄り難さではなく、静かな悲哀であった。

 カトラルは珍しいものでも見るかのようにして、隼人を凝視する。


「あと、俺、日名田じゃないです。……改めまして、雛日隼人って言います」

「――雛日?」

「そ、あの雛日博士の息子だよ」

「博士の息子がSSDの兵器なんですか。なんだか倫理に反しているとしか思えない境遇ですね」


 どうでもいいように聞き流しているのは、傍目に明らかであった。

 ふうん、と相槌を入れると、カトラルは少年二人の目に分かっていた通りを「そんなことはどうでもいいんですけど」と音声でも知らせる。続けて「二つ報告がありまして」と、未来を見やった。それから隼人を一瞥する。


 部外者がいるが、話しても構わないか、という無言の質問に、未来は頷いた。

 この状況での報告となれば、一ノ砥若桜関連しかあり得ない。ならば、隼人の耳にも後々入れることになる、と許可を出す。


「実は、さっきの敵襲騒動に乗じて、相島元帥が殺されました」

「……え?」

「殺害場所は元帥の駐在している司令統括室。死因は失血死だそうです」


 カトラルの顔つきはいたって平常である。

 軍人として、人の死をいつまでも引きずる事のできない。

 しかしながら、死んだのはカトラルが属する機関の最高権力者である。にも拘らず、青年は四条坂で一般人が大量虐殺された時と同じような反応をしていた。


 隼人は一層、白服の青年が分からなくなった。

 死、という報告を抱えてきたにもかかわらず、この部屋に入ってきた直後の彼はにこやかでそんな不穏な空気を微塵も感じさせなかった。あまつさえ、自然に笑ってすらいたのに。


「…………それ、どこまで情報下りてるの」

「上層部で握り潰してます。俺には吉木博士から、須磨君にも伝えるようにと。他に知っているのは、居合わせた医務課の数名ですかね」


 未来はぐっと眉間にしわを寄せる。

 既にこれ以上の悪くはならないと思っていた状況が、更に下を目指してよくないものになった。騒ぎ立てたりはしないが、驚きと絶望は確かに未来の精神を削る。


「建前上は重傷を負って意識不明、しかし命に別状はない、ということにして、死体に延命措置をしながら医務棟に運び込むところを一般兵に目撃させてます。派手に演技してましたし、既に死んでるとは思われないでしょう」

「それでも、動揺は避けられないだろうけどね」

「その辺は、今から対処するしか」


 淡々と一つ目の報告を成したカトラルは「……二つ目ですが」と手にしていた紙袋を漁る。


「報告、というか、伝言です。日名田君――じゃなくて、雛日君に」

「……俺、ですか?」

「はい」


 カトラルは隼人に近づくと、紙袋の中から、更に袋を取り出す。ビニール製で中身の見えるそれを、怪我人である少年に差し出した。

 中身は元の形状を申し訳程度に残した小型の機械。見覚えのある色と形に、隼人は受け取るための手を伸ばす。


「え、俺の携帯……?」

「これなんですが、元帥の部屋で壊れてました。今から解析に回そうとしてたんですが、吉木博士がキミに持って行け、と」

「はあ」

「それから、繋がらなくとも、心配する必要はない、とかなんとか。ぶっ壊れてるんだから、繋がらなくて当たり前だと思うんですけどね」

「……繋がらない?」


 隼人の脳裏に、嫌な予感が過る。

 繋がらない、と言われて隼人に思い浮かぶのは、二つ。

 一つは携帯。

 しかし、隼人の手の中にあるものはもはやガラクタである。それをわざわざ繋がらない、とは誰も言わないだろう。


 心当たりは、もう一つ。

 吉木がどうしてそれを知っているのか、までは思考が回らなかったが、一度浮かんでしまった悪い予想に隼人は心音を跳ね上げる。


「雛日君? どうかしました?」

「……」


 黙りこくり、手の中の携帯電話であったものを見つめる隼人は表情が硬い。

 隼人は膝の上に壊れた携帯を置くと、車椅子に手をかけた。一番手近で出入り口に成り得るのは、ブラインドに隠された窓。車椅子は真っすぐに窓へ走る。


「隼人!?」


 隼人には未来の制止の声は届いていない。

 窓に辿りついた隼人は、がしゃがしゃと騒音を奏でながら無理やりに目隠しを捲り上げ、鍵を解錠した。


「……頼むから、繋がれ」


 小さく願いを告げる。

 心を駆りたてる疑念には抗えなかった。

 背後の軍人二人のことなど考えもせず、開け放たれた窓、繋がる先は――。


「……どう、して」

『何故……、繋がらなイ……』


 夕日に暖められた外風が室内に流れ込む。何も変わらない景色。

 どんなに目を擦ろうと、隼人に見えるのはSSDの施設敷地。重厚ある赤色の絨毯でも、細工の美しい照明器具でも、派手な民族装飾品でもない。

 隼人と同じく、スレイプニルにも信じ難い光景であったらしく、隼人に身を隠す魔神は絶句していた。


「…………薫?」


 隼人は再びに窓を閉じると、すぐに開いた。

 何一つとして、前の動作と変わらない。何の異変もない。


「どうして……、開かない……! なんで!」

『駄目だ……。場所が、分からなイ。主の力も、先代の力も――分からなイ』

「そん、な……」


 屋敷に帰らずとも、携帯さえあれば美濃たちと連絡をとれる、と高をくくっていたが、問題はそれどころではなくなっていた。

 スレイプニルの足が、オーディンの力の前に回帰できない。


「薫……? 皆……、無事、だよな……?」


 第一境界で、薫の身に何かが起こったことを示す。

 もしかしたら、薫が扉のない場所にいるだけという可能性も微量はあるが、そんな気休めに縋れるほど、隼人は現実逃避することはなかった。


 どん、と窓ガラスを叩く隼人は荒く、短い息を繰り返す。

 絶対に安全圏と思っていた拠点で、何かがあったというのなら、美濃たちの身にも危険が生じているかもしれない。

 寝たきりで動作のとれない薫は、襲撃に合えば負傷する確率が高い。守るために逃がしたはずの百合子に何かあればどうすればいい。屋敷に戻っているはずの美濃と雅は、どうしている。


「くそっ!」


 隼人は気が気ではなかった。


「隼人?」


 未来は前兆のない隼人の行動を不審に思いながらも、未来は気遣うように名を呼んだ。

 繋がらない扉の意味も分からず、隼人に潜むスレイプニルの声が聞こえない未来とカトラルには、隼人が突然に乱心したようにしか見えなかった。


「……」

『七代目。ワタシが道を駆けて行こウ』

「……でも」

『すぐに戻る。任せてく――』

「お前は本当にあの姉弟が好きだな」


 スレイプニルの隼人を想うからこそ紡ぎ出た言葉が、聞き覚えのない声に遮られた。

 隼人は車椅子をそのままに、首だけを音の方向へと捻る。


「久しぶりだね、サンプルC」


 未来とカトラル以外に、もう一人の男が研究室内に立っていた。

 よれよれの白衣に、皮と骨ばかりで肉がないのでは、と疑ってしまうような痩せ細った身体。僅かばかりに猫背気味な背中、不健康そうな顔色。

 隼人は見開けるだけ大きく目を開く。


「おやおや、嬉しいな。その顔だとお前は覚えているようだ」


 瞳孔は縮小し、少年は分かりやすく動揺していた。にたりと笑う男の胸元、名札を見て、隼人の顔は更に険しく歪む。


「彼と話したいなら、私の携帯を貸してあげよう」

「……吉木博士って、あんたのことだったんですか」


 隼人の声色は冷たく、嫌悪を隠そうともしていない。そんな隼人に、吉木は音もなく笑った。楽しげにしている吉木からは狂気すら感じられるようだった。


 すっかり展開に置き去られた未来とカトラルは、一方的に一触即発しそうなレジスタンスの少年と、変人と名高い奇怪な科学者とを交互に見やる。

 夕方の風が研究室の膠着した空気を流すように、柔らかく吹き入った。

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