第88話 完成された道から外れ落ちる

「第八境界と戦ってるのも、貴方の思惑なの?」

「それは予想外、昨日に博物館が狙われたのもな。でも、一ノ砥がSSDを襲ったことで、俺の予定は確定に変わった」

「……」

「スレイプニルが行ったんだ、ヒナは嫌でも帰ってくる」


 美濃には自信も、確信もあった。

 例え、第八境界とその境界線を前にしても、隼人は死にはしない。

 少年の誓った覚悟が自身の死を許さない。それはSSDだからこそ生きる条件。あそこには隼人が命を張って守るべき存在――イオンがいる。

 少年は四肢を、眼球を、半身を失うことになっても、必ず生きて彼女を守り抜く。


「ヒナが傷つくかもしれない状況で、スレイプニルが黙っていられるわけがねえからな」

「……意味が、分からない」

「そのまんまだ」


 隼人が死に隣接することがあれば、スレイプニルは宿主を丸めこむ言葉を言って、どうにか彼を逃がす。

 安全で、他の侵入を許さない地へ。

 そのために使う言葉も、行く先も、美濃には手に取るように分かる。種をまいた張本人であるのだから。


「ヒナは帰ってくる」


 例えば、今日の定例放送で、若桜が指定した攻撃対象がSSDでなかったとしても、スレイプニルは同じ行動をとったはずだ。

 彼女は隼人がSSDいること自体を、良しとはしない。

 つまるところ、結果は一緒。


「俺の欲しいものを連れて、な」


 スレイプニルはオーディンを口実に隼人を説得する。そして、その保有者である彼女を連れて、少年共々まとめてこの第一境界点の影響圏内へ逃げてくる。

 美濃は意地悪く笑む。青年の企ては成功への道しかない。


「待ち遠しい」


 第一境界点への、オーディンの帰還。


「……スレイプニルが逃走向きなのは分かるわ。でも、SSDで監禁されていたら、いくら魔神でもそう自由には動けないでしょう」

「監禁なんてされてねえよ。検査されて、血も出ない擦り傷も手当されるくらいに、手厚く保護されてるだろうぜ」


 隼人に害があるとすれば、突拍子もなく出てきた第八世界境界とその境界線だけ。

 SSDはそもそも少年に害を及ぼす存在ではない。


「どうして、言い切れるの。隼人の処遇について、菱沢雅からの報告はないでしょ?」


 一緒にいたくもない美濃にべたりと張り付いて、雅からの報告を百合子は盗み聞いていた。が、隼人が無事であることと、若桜が現れたことの二つしか報告は届いていない。

 隼人がレジスタンスとして捕らわれていると思っている百合子は、核心を明かさない美濃を問い詰める。

 細められた視線は、鋭く敵意に満ちてた。


「軍の研究室からしてみれば、喉から手が出るほど欲してる人材だからな。――お前も知ってるだろ?」


 美濃は百合子の態度を気にも留めない。

 深海のような瞳を見つめ、青年は口元を釣り上げた。


「”ドール”」


 窓から差し入ってくる赤い日光が、青年の均整のとれた笑みを照らす。


「魔神に対抗するために作られた人間兵器。メルトレイドのパイロットとして改造された人形」

「……どー、る?」

「ああ――、認められないならそれでも構わねえけど、事実は変わらねえぞ」


 美濃の声が百合子の頭で反復する。

 ドール、人間兵器、メルトレイドのパイロット。

 元々少なかった外野の音が、百合子の耳から更に遠ざかり、消えていく。彼女の聴覚を支配するのは、血液を流す脈動。

 百合子は何度も、何度も美濃の言った言葉の意味を考える。

 隼人を形容する言葉であると信じられず、百合子は覆しようのない最悪に身体の力が抜けて行った。

 だらりとした手は、握ることもできずに地に向かって垂れる。


「隼人が、――兵器ドール?」


 美濃はわざとらしく小首を傾げた。

 お前の想像に任せる、とでも言いたそうであるが、美濃は表情はそんな余地はないと言っている。

 息をするように嘘を混ぜて隼人をかどわかした青年の言葉。しかし、百合子はそれを鵜呑みにすることを躊躇わなかった。


 相島博士が記した端末の中の論文、ドールがメルトレイドのパイロットだとは書かれていなかった。唯一の手掛かりであった論文以上を、美濃は知っている。

 姿を見せ始めた真実。


「私、彼に、なんてこと……」


 ――母のいかれた愚作。

 決して、隼人に向けての言葉ではなかったが、巡り巡って、それは隼人を突き刺すことになった。百合子は論文を読んだ隼人が、呼吸の仕方を忘れて、動揺していたことを思い出していた。

 少年はあの瞬間までは何も知らなかった。


「隼人……」


 あの時、隼人は、何を思っていたのだろう。

 少なくとも、少年が自分はドールと呼ばれる兵器だと、論文を読んで気づかないほど鈍感ではない。


「気にすることはねえだろ。むしろ、隼人は責められたがってる。その方が、精神的に楽だから」


 美濃は後悔に打ちひしがれる百合子に対して、乾ききったフォローをいれた。いや、フォローのつもりはないかもしれない。

 気遣いでもなく、思ったままを言っただけが、心無い心配りに聞こえただけ。

 しかし、百合子の頭は適当を音にした声を聞いていなかった。


「隼人……、なんで私、あんなこと……!」


 少女の頭には、たくさんの表情を見せる隼人の姿だけがあった。


「まあ、お前の母親が残したレポートを見る限り、失敗作だけどな。あいつら二人とも」


 百合子が美濃を受け入れていないのと同じように、美濃も百合子の反応など目に入れていない。二人は相手がいるにもかかわらず、自分勝手に会話を繰り広げていく。

 随分と遅れて百合子は反応を示す。


「二人……?」


 一人は隼人。では、もう一人は――。

 聞かずとも、百合子の頭には真っ先に思い浮かんだ存在があった。


「隼人とイオン」


 冷静な頭でいれたなら、あまりに口数の多い彼の奇行を指摘もできたかもしれない。

 実際は、百合子は半笑いで次々に手の内を晒していく美濃を見つめることの他に、できることがなかった。

 薫のピアスから見た過去。

 隼人と共にSSDの研究所にいた幼少の彼女。事実は百合子の思考を離れ勝手に繋がりを見せていく。


「彼女も、ドール? じゃあ、小さい頃に研究所にいたのは――」

「なんだ、研究所にいたのは知ってたのか」


 百合子は息が荒くなる息を押さえることができず、美濃を見ることも辛くなってくる。きょろきょろと落ち着きなく視線を漂わせた。


「まー、イオンはどう足掻いても使い物になんねーだろうな。頭良くても、メルトレイドの扱い方は下手だったし」


 青年はひとりごちる。

 珍しく口軽い青年は、浮かれているようだ。

 オーディンに心馳せる美濃は上機嫌である。ずっと浮かんでいる笑みは、青年の無意識でしているようで、意識しなければ消せないようだ。


 相反する感情がリビングを支配している。

 絶望を突き抜け、ただへこんでいくだけの百合子。希望の道が開け、今か今かとずっと求めていた世界境界を待つ美濃。


 自分一人の世界に没頭する二人を現実に引き戻したのは「まったくもー、また喧嘩ぁ?」と間延びした声であった。


「ああ、おかえり、雅」


 赤の軍服のまま現れた雅は、リビングに漂う空気に呆れているようだ。

 実際は彼女の思うほど、優しい状況ではない。


「ふふ、ただいま。美濃、百合子ちゃん」


 美濃からの声に雅は幸せそうにほほ笑む。いつもは一方的、雅から美濃へと流れる空気の甘さが、今日に限って共有のものである。

 それほどに美濃はいつもと違う。雅はそんな彼の異変を知りつつも、指摘はしなかった。


「菱沢、雅?」

「はぁい?」


 焦点の会わない目が、帰宅を叶えた雅を認識する。

 ほんのりと疲れが顔に滲んでいるが、雰囲気は変わらず、おっとりとしていた。


「隼人は……?」


 百合子は思うよりも先に声を出していた。どくどくと高なる心臓を堪え、百合子は光の灯らない視線を雅へと送る。

 受けた彼女は頬に手を当て、困ったように唸った。


「それがねえ、隼人ったら軍に残って動くって聞かなくて」

「……は?」


 真っ先に反応を見せたのは、己の企てに絶対の自信を持っていた美濃。続いた百合子は「帰ってこないの?」と弱々しく質疑を繰り出す。


「何があった。過保護のスレイプニルが敵しかいない場所にヒナを置くのを良しとするわけ――」

「それが困ったことになって」


 美濃の剣幕を押さえて、雅は意見を通した。

 一転して、リビングに重い空気が圧し掛かる。首尾よく進んでいくと踏んでいた美濃と、隼人の一挙一動に不安を覚える百合子とは、状況を知る雅に言外で訴える。

 何が起こっている、と。

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