襲来と喪失

第87話 人形遣いは糸を手繰る

 夕暮れの橙。

 真っ赤に燃える太陽は、今日最後の仕事をやりきるかのように、じりじりと地を焦がす。夏を前に空に長々と居座る太陽――もうしばらくはこの黄昏の時間だ。


 SSDの敷地、血だらけの隼人は夕日にも染まって、暖色に身を包んでいた。そんな彼を完全戦略が直々に回収に出て、救護室に押し込めたのが先刻のこと。


 隼人が手当を受けることになる少し前、血生臭くはないが、確かな戦いが起こっていた。


「……」

「……」


 フロプトの本拠地であり、頭領とその側仕えたちの住居である屋敷のリビング。

 沈黙の戦争は勃発していた。


「……」

「……」


 美濃はいつもの定位置に座り、普段と変わらずに共有のテーブルを我が物顔で占拠している。そんな彼を百合子はソファーで体育座りしながら、横目に睨んでいた。


 軍の通信機を利用し、軍内でしか放送のされていない今日の定例放送は、SSDにいる軍人以外に知ることができない。

 若桜の放送がないことを気に留める人は、どれくらいいるのだろう。


 少なくとも、戦地がSSD日本支部、と知る一般人が二人、第一境界点の影響圏内にいた。


「……」

「……」


 百合子の心情からしてみれば、美濃の顔など見たくもない。

 しかし、情報を得るには美濃の傍を離れることはできなかった。隼人の無事も、若桜の襲来も美濃の元に届いた雅の報告から知れたことだ。


 昼過ぎまでは、百合子に心強い味方がいた。

 今や同じ感情を持ち、同志となったスレイプニルが彼女と一緒になって、美濃を非難の目で責めていたのだ。

 しかし、宿主の危機の知らせに、スレイプニルは文字通りに空を駆けて行った。


 残された百合子は、隼人を想って顔を曇らせるのと、美濃を咎めるのとを繰り返すばかりに、時間を費やしている。


「……」

「いい加減うっとおしい」


 美濃も美濃で視線が邪魔ならば、自室に戻ればいいものを、自分の流儀を曲げずにリビングに居座っていた。博物館から持ち帰った書類に目を通しながら、美濃は目障りを舌打ちで訴える。


 二人の距離は出会った頃から縮まることがなく、むしろ乖離の一途を猛進している。


「俺が悪かった、とでも言えば満足か?」


 ふん、と高慢に鼻を鳴らす態度に、百合子の苛立ちは最高潮に達していた。


「私の満足なんてどうでもいいのよ」

「ヒナの心配なんて、するだけ無駄だ」

「っ!」


 二人がいつも以上にぎすぎすとしている発端は、当然に昨日の出来事。


 博物館から屋敷へ。

 隼人に背を押されてこの屋敷に戻された百合子は、置かれた状況に打ちひしがれることなく、すぐに前向きの姿勢を構えた。


 装飾品と扉に囲まれた部屋で、スレイプニルと百合子は膝を突き合わせ、共に隼人を助け出すためのあれやこれを相談し合う。


「私の身柄と彼とをの交換を申し出れば」

『心意気に文句はなイ。だがな、小娘――』


 百合子は己の身を引き換えにすることも選択肢にいれていた。

 しかし、彼女が一番と有用に思っていた案を、スレイプニルは首を振って却下する。


『引き換エ、とイウ交渉は簡単なものではなイ。下手に出れば、全部奪われる』

「……分かってるわ。でも、他にSSDの気を引ける材料なんて」


 百合子たちの論議が白熱を極めている途中、開け放たれたままになっていた扉の一つから人影が現れる。


「博物館にも聞こえてる。この部屋で騒ぐな」


 開口一番の台詞は、何事もなかったかのようにしれっとしたものであった。


『美濃ッ!!』

「それがうるせーんだよ、スレイプニル。声を張るな」


 帰宅を果たした青年は、怒りを背負う彼女らに一瞥をくれるだけであった。博物館で履いていた外履きを引っ掴み、寝たきりの薫の隣を通り過ぎていく。


 さくさくと部屋を抜け、リビングでいつも通りに足組んだ美濃は、後を追って来た一人と一体の大激怒をかった。

 その瞬間から、今の今まで、百合子はソファーを居所にしている。

 美濃は平常の生活サイクルを流しているが、百合子にはそんな気にはなれなかった。


 屋敷の毎朝は、パンの焼ける匂いと、紅茶の芳しさに包まれる。それを準備する人間がいない今日は静かで、味気ない朝であった。

 百合子の心は行き場をなくし、溢れたやるせなさに溺れてしまいそうだ。


「……自分のしたことを考えなさいよ。この悪魔」


 百合子は抱えた膝に顔を埋めた。

 美濃を責めても意味はない、と彼女は分かっている。美濃自身に後悔を見てはとれないし、彼を論破したところで、隼人が帰ってくるわけでもない。


「俺は話をしただけだ」

「屁理屈をこねないで!」

「実際、何もしてないだろーが」

「何もしてない? いつだか、私のことSSDの回し者扱いしたけど、貴方の方じゃないの?」


 無視されるか、馬鹿にされるか。

 百合子の口から出たのは幼稚な悪口。美濃なら倍々で罵倒を返しそうなものである。


 塞ぎ切った少女の耳に入ったのは「ああ、そうだな」と淡々とした肯定であった。


「ッ――!」


 百合子の予想を裏切った回答。

 百合子は顔を上げると、すまし顔で仕事を片付け続ける青年を睨みつけた。


「ふざけないで!!」


 性質の悪い冗談だとしか思えなかった百合子は声を荒げる。

 美濃は目玉だけを百合子に反応させた。その瞳は少女を値踏みしているようで、そんな目つきが百合子の癇に障る。

「馬鹿にするのも――」と少女は息巻くが、言葉は最後まで続けられなかった。


「SSDの第八境界線討伐作戦には一枚噛んでる。ヒナを出したのは、あいつをイオンに会わせるためだ。吉木が欲しがってうるさかったってのも、少しあるけどな」


 すらすらと、滞りなく美濃の口が述べる内容に百合子は息を呑んだ。

 吉木、イオン。どちらも知っている名前。

 前者は母親の端末に見た過去でドールについて語っていた男、後者はいわずもがな隼人が心酔する天才科学者。

 ――どうして、その名前を並べて出すのか。


「…………嘘」

「ヒナを騙すのに価値はあっても、お前を騙すのに価値はない」

「……本当に、なの?」

「そう言ってるだろ。ついでに言ってやるなら、ヒナの説得に使った理由は全部嘘だよ」


 美濃の心境としては、面倒くさくなった、というのが一番大きい。

 青年の思惑通りに、事は進んでいる。


 隼人は魔神掃討機関の手の内にあり、百合子は第一境界に戻って来た。彼にとって、少し予想外だったのは、スレイプニルがほんの数時間とはいえ、隼人と離れることを良しとしたことぐらい。


 それも、つき先ほど解決した。

 宿主を至上とする魔神は、今頃、合流を果たしているだろう。


「雅も承知の上」


 ネタばらししたって、痛くも痒くもない。


「……喜里山美濃、貴方、一体何を考えて」

「別に心配しなくても、あいつがSSDに殺されるなんて有り得ない」

「何をそんな自信満々に! 彼は貴方の道具じゃないのよ!」


 聞き覚えのある台詞に、美濃は思わず嘲笑をこぼす。

 まるで同じことを、隼人が百合子を庇うために使っていた。


 他人を毛嫌いし、硬くに心を見せなった彼女が、心底から必死になって隼人を求めている。青年の目から見て、百合子は随分と少年に感化されているようだった。


「でも、ヒナはそう思ってる」


 笑いを噛み殺しつつ、美濃は当然と事実を告げる。

 百合子は嫌悪に満ちた顔で美濃を睨んだ。隼人の美濃に対する謙虚さは、彼女も知っている。確かに、美濃の言葉通りを隼人が思っていても、百合子は驚きはしない。


 それでも、許せないものは許せなかった。

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