第68話 一人ぼっちの防衛戦

 隼人が第一世界境界博物館に再び辿りついた頃には、とっくに定例放送は終わっていた。メルトレイドに乗り、律儀にも守衛に来た少年は短い息を吐く。

 周囲には魔神どころか、人の姿さえ見えない。

 どうやら避難も進んでいるようだし、人狩り開始時刻にも間に合ったようである。


「……」

「……」

『……』


 コックピットの中は、静寂に包まれていた。

 隼人の決定を尊重したい半面、難癖もつけたい百合子とスレイプニルは、搭乗してからずっと黙ったままだ。口を開けば、隼人に対する否定しか出てこないのが嫌なのだろう。

 そんな気遣いを汲み取り、隼人も倣って沈黙を貫いていた。


『……七代目』


 久しぶりの音であるスレイプニルの声からは、緊張感を窺える。

 魔神を階級で見るなら、全体の九割を下級魔神が占めた。その残り一割に中級と上級が分類する。そして、その階級ピラミッドごとを手のひらの上で転がすのが、世界境界。


 モニターに拡大される影は、段々とこちらへ近づいてくる。

 それが何かなど、決まりきっていた。


「さ、頑張ろ」


 今回の出撃もオペレーションの補助はなく、隼人が自力単独で全てを賄わなければならない。


『ワタシも出よウ』

「うん、よろしく」


 スレイプニルは四条坂駅での対処と同じく、メルトレイドの原動力を残しつつ、同時に本体をも描き出す。

 隼人の死角を潰すには、最適の方法であり、戦闘が激化してしまえば諸刃の剣になり得る戦闘スタイルだ。


「……SSDはどう出るかしら」

「避難活動はしてると思うし、多分、機動班も出てくると思うけど――もしかしたら、カトラル少尉が単体で出てくるかもね」


 隼人は首筋のチェーンを引き、取りだしたフープピアスを握った。メルトレイドに乗る度に繰り返すルーティンを行い、集中を高める。

 今日も今日とて、審判者として間違えない誓い。

 瞳を閉じて、神経を研ぎ澄ます。再び、視界を開けた隼人は、くるり、と首を捻った。


「百合子さん、ちゃんと捕まっててね」

「ええ。邪魔にならないように、引っ込んでるわ」


 四条坂駅での経験と反省からか、百合子は操縦席の後ろに座り込んでいて、観戦しようという気すらなさそうだ。

 隼人は困ったように笑う。


「ねえ、百合子さん」


 出会ったばかりは澄ました態度で、強気で勝気だった彼女は、良くも悪くも素直になった。


「美濃君は俺達を差し出す、って言ったけど、俺は百合子さんを逃がそうと思ってる」

「逃がそうって、……隼人は?」

「俺はSSDに行くよ。竜の民のことも、母親のこともあるし」


 隼人の心中は複雑だった。美濃の命令に背くことは避けたいが、百合子をSSDに引き渡してしまえば、現状、助ける打開策は少年の中にはない。


「……そう」

「うん」


 実行できるパターンは多くはない。

 美濃を苛む取引材料がある以上、どちらも顔を出さないのは以ての外。しかし、二人で仲良くSSDの道具になることも避けたい。

 ならば、どちらかが交渉に出るか、一人が二人分の犠牲となるしかない。だが、後者はSSDの趣旨が理解できていない以上、成り立つかどうかも判別つかない。


「喜里山美濃が私達をアクロイド博士に引き渡すのは分かるけど、どうして一ノ渡若桜まで同じことを言ったのかしら」

「SSDに対する不信感を煽ってるのか、はたまた、なんの意味もなく陽動のつもりか」

「……貴方には考え、あるんでしょうね?」

「うーん、とりあえず、一番可能性がある手段を取ってるはず」


 行動は交渉、実行は隼人。

 お互いの自己満足の自己犠牲を差し引いても、手札の数が違う。交渉役には自分が出るべきだ、と隼人は決断した。

 百合子も冷静に決断できるなら、隼人の思考に頷くだろう。


「百合子さん、すげー不満そうだね」

「……私に貴方を救える術があるなら、行かないでって言えるのに」

「――何か悪いものでも食べた?」


 真面目に聞き返され、百合子は唸った。勇気を持って言った訳ではなく、ぽろりと零れただけの心情。思い返せば、恥ずかしく、百合子はぐるぐると喉を鳴らす。


「冗談だってば、ありがとう」


 対して、隼人はくすくす、と笑いを堪えていた。 


「気持ちだけで、十分だよ」


 穏やかな声。

 床に体育座りで小さくなっている百合子は、自身の膝に額を擦り合わせた。

 隼人の位置からだと、彼女のつま先しか見えない。正面、モニターに向き直ると隼人は「大丈夫、大丈夫。百合子さんも死なせないし、俺も死なないよ」と再度宣言した。


 百合子は一層に縮こまる。

 己に関して不安はない。心配なのは、隼人のことだけだ、と口に出せない心音が鼓動する。


『紅蓮の竜』


 スレイプニルの張り詰める感覚を共有し、隼人も表情を消した。一瞬の集中のほつれが、不結果を招くようではいけない。


「……あれが第八境界」


 黒く、点であった影は、紅く、竜の姿になった。

 導かれるように博物館に接近してくる世界境界。

 隼人は続く限り息を吐き出す。

 身体の中のすべての空気を吐き出し、余計な力も抜けるように。少しだけ前傾になった身体、排出した反動で本能的に、空気が身体へ流れ込んでくる。


「スレイプニル」

『アア、来るぞ』


 第一世界博物館の上空、アスタロトはその足を休めず、咆哮した。

 喚び声に、境界から現れる魔神たちは、文字通り、瞬く間に増えていく。

 空を覆い、地を隠す。


「……ん?」


 数は山積みだが、一体一体はさほどの大きさではなく、成人男性並みの高さしかない。姿形もアスタロトのように竜であったり、スレイプニルの脚ような特殊な特徴の目立つ外見ではない。

 図鑑に見れそうな、こちらの世界の動物に似た姿。


「あれ?」


 隼人は警戒を緩めないままで首を傾げた。

 フロプトとして、魔神を元の世界に強制収監するために、少年は沢山の命を摘んできた。

 培われた経験が、目の前に広がる魔神の軍勢に違和感を感じさせる。


『……なんだ、拍子抜けだな』

「だよ、な」


 推論にだめ押したのは、スレイプニルの気の抜けた呟きであった。

 一帯に溢れるのは、下級魔神。

 それもカーストの最底辺。最悪、生身の人間でも応戦できるのではというレベルの魔神ばかりであった。


「……何だろう、様子見なのか? それとも、謀られてる?」


 隼人は魔神たちの作る壁の先へと目を開く。

 空に鎮座するアスタロトは、ペリドットの瞳で地上を見下ろしていた。

 若桜の宣告通り、世界境界自身が手を出す様子はなく、喚び出した魔神の動向と一機のメルトレイドの対応を見ていた。


『さアな、考エは分からなイが――』


 一番槍、スレイプニルは手近かな魔神を蹴り崩すと、そのまま踏み砕いた。


『遠慮してやる理由にはなるまイよ』


 鮮血が舞い、肉塊が散る。血痕だけを残し、魔神の身体は存在がなかったように消え去っていく。

 返り血に染まるスレイプニルは、手当たりしだいに暴虐を当たり散らす。


『弱くも数は多イ』

「……やんなるな」


 隼人は、緩やかに操縦桿を引いた。

 博物館までの直線上に居合わせる魔神を蹴散らし、美濃のいる建物まで走っていく。壁に衝突する寸前でくるりと旋転すると、メルトレイドへ搭載したばかりの二丁拳銃を構えた。


 四条坂駅から奪取した英雄の意志は、スレイプニルの応急処置で単純行動には問題がない。しかし、数年も人が乗らずに見た目だけを整えられていたメルトレイドには、なんの装備もされていなかった。

 フロプトの格納庫に運ばれた機体は、細部までのメンテナンスを施され、武器を備えた。

 武器一つがあるだけでも、選択肢は増え、戦闘行動の幅ができる。


「この博物館に――美濃君に手を出されるわけにはいかない」


 縦横無尽に駆ける軍馬とは異なり、メルトレイドは博物館を背にして防衛を第一に置いた態勢をとる。


「スレイプニル、地面の上は任せる」


 アスタロトの指揮なのだろうか。敵意に反応したのだろうか。

 世界境界が合図を出した様子は見受けられないが、魔神たちは群がるようにメルトレイドへと集まってくる。


『……宙もワタシだけでも十分だ。七代目は防戦に集中してくれて構わなイ』

「あー、その方が良さそう。お言葉に甘える」


 隼人は苦笑しながらも、先頭に立つ魔神の頭を撃ち抜いた。小さく、弱くとも、数があれば大軍となり、一か所に猛然と迫ってくる様は凄烈とした迫力がある。

 パイロットとしての隼人を百合子が見たのは、四条坂駅での一回だけ。他のパイロットを知らない彼女に、少年の評価は下せない。


 それでも、百合子と相いれない暴君美濃が認める腕前を持ち、殺人廃棄物扱いの旧機すら乗りこなす才能を持つことは知っていた。

 今も耳で聞くだけであるが、隼人の声からは油断は感じられないが、余裕は感じられる。


「……銃撃じゃあ、効率悪いな」


 マシンガンのような機関銃であれば違っただろうが、今、メルトレイドの手に構えられているのは、ダブルアクションの銃器。

 考慮から決断、行動までは迅速であった。

 一撃目、隼人は鈍器代わりに銃で手近な魔神を撲殺すると、二、三撃目に何の惜しみもなく空へと浮く魔神へと両手のそれを投げつけた。


 魔神一体の性能と能力が低いために、ささやかな攻撃でも致命傷になる。

 躊躇いなく武器を手放し、三体を仕留めた隼人は、射程圏内の魔神らすべてを消し飛ばす勢いで蹴りを回した。

「百合子さん、ちょっと揺れるね」と戦闘中の声色ではない、軽い物言いが注意を促す。


 隼人には格闘戦の方が性にあっている。才能的にも、性格的にもだ。

 メルトレイドを自分の手足以上に動かす少年は、武器を持っていた時よりも格段の速さで魔神を潰していった。

 元々、飛翔する敵影を見て構えた銃であった。しかし、敵の方からメルトレイドへと飛び込んでくる状況に、その武装の意味は見失われていた。


 隼人の宣告通り、コックピットの中は振動を受けるが、百合子は動じなかった。それほど、安定した運転で、彼女の胸中、根拠のない安心は消え去らない。

 外界では肉が潰れ、骨が砕ける音が耳触りを起こす。対して、コックピット内は駅での一件と同じく、百合子に気遣い、音を遮断しているために静かなままだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る