第69話 首を刎ねるのが仕事なの
『これで――』
「終わり!」
終結は隼人らの予想よりも早く来た。
確かに魔神の数は多く、長期戦は避けられなかった。――ように見えただけで、時間にして一時間どころか、半時間も経っていないくらいだ。
血の汚れを残し、動く影はスレイプニルと英雄の意志。
そして、第八境界アスタロト。
「……」
アスタロトはその緑の宝石に英雄の意志とスレイプニルを焼き付けると、後腐れなく飛び去っていった。
呆気にとられるような引き際に、隼人は「帰ってっちゃった」と呟く。
敵影はない。
隼人はずるずると背もたれを滑った。たたでさえ自他ともに認めるスタミナ不足、加えてオペレーター不在の負担過多。
本来ならばこの程度の戦闘は序の口である。
確かにまだ余裕で戦えるが、隼人の身を蝕む疲労感はいつも以上に蓄積していた。
「……さて、こっからが問題だけ――」
『七代目、メルトレイドだ』
「え?」
操縦席に座り直し、これからの相談を口にしようとした隼人の言葉は、無情にも打ち砕かれる。
スレイプニルの指示に合わせてモニターを切り替えると、一機のメルトレイドが確認できた。アスタロトの代わりに現れた白い機体に、隼人の瞳孔が静かに開かれる。
「……SSDの、専有機?」
レプリカで動く汎用機は、人間の動かす機械でしかない。
しかし、赤の命を持つあれは違う。機械人形の皮をかぶった魔神。人の意で操られる魔神。
「あー、このタイミングかー」
隼人はあからさまに項垂れた。正直を言えば、汎用機であるなら問題なくあしらえた。しかし、専有機となると話は違ってくる。
あまりにタイミングを計った登場に百合子は「掃討を終えるのを、待ってたの……?」と猜疑心を隠しもせずに落胆した。
モニターが見える位置に出てくると、隼人と一緒になってその姿を見やる。
「こっちにオペレーターがついてないの、分かってるみたいだね」
『……美濃の差し金か、本当に嫌味な男だ』
三者三様、それぞれの思うままに接近してくるメルトレイドを迎えた。
お互いの射程圏内にぎりぎり入らないところで止まったメルトレイドから、英雄の意志へと通信が入る。開線を求めるアラームに、隼人は抗わずに従った。
ついでの動作で英雄の意志は、シャットアウトしていた外界の音をも拾うようになる。
「ワガママ言っていいなら、キミが元気一杯、ベストコンディションだと良かったんですけどね」
挨拶もなく、自分の心情を吐露するかのような独り言。
「でも、やっぱり嬉しいなァ」
聞き覚えのある声に隼人は懸念を覚える。
「ずっと、ずっーと戦ってみたかったんです」
隼人には顔が見えずとも、相手が笑顔でいるだろう事が声から判断できた。
「まずはお礼を言わせて下さい。試力実験の日、仲間を助けてくれてありがとうございます」
「……どういたしまして」
百合子は驚愕の眼差しで、しれっと対応する隼人を見た。
彼女には過去に何があったかは分からないが、和やかに世間話をしている場合ではないのは分かる。
「先の市街地での、防衛行動は素晴らしかったみたいで」
「どうも」
「……なんだか感慨深いですね。まさか竜の女帝とこうして話せるなんて」
「……俺は虚飾です。俺も貴方のこと知ってますよ。アーネスト・グレイ・カトラル少尉」
「わ、嬉しいな、大正解です」
SSDの保有する専有四番機鮮麗絶唱、パイロットのカトラル。
隼人とカトラルとの、妙な空気に耐えられないのは百合子だけであった。
隼人はそれなりに壁を作った話し方であるが、カトラルの方は和気藹々を体現して話している。少なくとも、世界政府公認機関とレジスタンスとの会話ではない。
「俺、キミの性別は知ってたんですけど、声を聞く限り、オトコって言うよりオトコノコって感じですね」
「はあ」
気の抜けた返事にカトラルはくすくすと控えめに笑った。
「じゃあ、俺からのお話は終わりです。キミからは何かあります?」
「えーと、じゃあ、カトラル少尉はここへ何しに来たんです?」
「決まってるじゃないですか――キミと交戦しに、ですよ」
ぱちん、と鮮麗絶唱のコックピットで指が鳴る。
開戦の合図ではなかった。
標準の型であったメルトレイドは、命を吹き込まれたように瞳を赤く染め上げると、その姿を変化させて行く。
余分な外装が削ぎ落とされるように変形する。限界まで軽量化したフォルムはか細く、能力を開放する前から、レプリカに囚われた魔神の大まかな異能を感知するのは難しくない。
「音に溶けろ、スレイプニル」
鮮麗絶唱が魔神の力を開放した形へと変わるのを観察しながら、隼人は己に付き従う魔神に声をかけた。
専有機には、専有機でなければ足掻くこともできない。
スレイプニルの力を反映した英雄の意志は、機体の姿こそ変わらない。外見では身体に走るラインを鮮やかな紫に変えるだけの変化だ。
そもそも、スレイプニルの固有能力は”オーディンへの回帰”であり、美濃の乗るアイスワールドのような戦闘向けの能力ではない。
スレイプニルはメルトレイドのスペック数値だけを跳ね上げるだけで、戦闘で頼れる特殊能力はない。
「準備も良さそうですね。じゃあ、やりますか!」
カトラルは馬鹿正直に飛びかかってくる。
武器も構えず、武装なしで突っ込んできた鮮麗絶唱に隼人は動じずに対処した。
回避動作は極力抑え、衝突をすれすれで受け流すと簡単に背後に回る。その背を蹴り飛ばそうと足を振り上げるが、突進の勢いを殺さずにそのまま回転した鮮麗絶唱は、上がった足を取って投げた。
「!」
ぶん、と地面に向けて放られた英雄の意志は、地面にぶつかる前に態勢を整えると、無様に転ぶことなく、地面を滑るだけにとどまった。
土煙りが視界に舞う。
鮮麗絶唱も地に足をつけ、敵影へと駆けた。
十数メートルある機械人形とは思えないほどに静かに動く。とん、と軽い踏み切りで大きく飛び上がると、英雄の意志の脳天に目がけ足を振り落とした。
隼人は動かない。
「!」
砂埃、軽度の目眩しの先――いつ手にしたのか、隼人は魔神狩りの時に投げ捨てていた銃を構えていた。二歩だけ後退し、鮮麗絶唱からの直撃を避けると、隼人は遠慮なく引き金を引く。
カトラルは銃声が鳴るのと同時に、地面を抉った足を軸にして、拳銃を弾き飛ばした。
暴発音と共に銃が弾け飛ぶ。
二機は一斉に跳び退いた。
「期待通りですね」
「……」
「やっぱり、様子見なんて必要ないじゃないですか。全力で行きますよ」
鮮麗絶唱は背に収まっていた砂時計を含有したロッドを手にした。
四条坂駅での血液の回収分、砂の量は増えている。ロッドの中点を基準に半分は砂、半分は空だ。
砂の入った方を上側にロッドを持ったカトラルは「始めますよ」と、恐らくはオペレーターに向けたであろう開始宣言を告げた。
砂時計の中、砂が落ち始める。
落ちていく砂はロッドの中でその粒を消していく。くるくるとロッドか上下を無視し、鮮麗絶唱の手の中で回ってもその法則は変わらず、砂は減る一方だ。
刹那。
能力の発動に構える隼人の視界から、鮮麗絶唱が消えた。
「!」
隼人は目を見開いた。
見失ったと思った影は、次の瞬間目前に迫っていた。
咄嗟に上体を後ろに倒し、ロッドでの突き一撃を避け、そのまま後転して距離を作る。
隼人は今の現象に見立てを立てる。
「はは、これに反応しますか」
鮮麗絶唱。
能力は”血液摂取による速度強化”である。条件は見えなくとも、速度強化を認識し、隼人は操縦桿を握り直す。
隼人は一度目を閉じると、見えないものまで見えるように目を開いた。
「……」
カトラルは再びに攻撃に出る。
隼人は息を呑んだ。稀なる視覚を全開にしても、ぎりぎりで追える程度。
残像しか見えなくとも、その軌道を追えば、自ずと動きの流れは見えてくるが、それでも追い切れていない。
「くっそ、早ぇ!!」
瞬きも許されない。
ちょっとでも目を離せば、隙にもならない瞬間が、命取りになる。
鮮麗絶唱はロッドを構えたまま、英雄の意志へと突っ込んでいった。ただの突進であるのに、人の目には追えぬスピードのせいで必殺の一撃のようにも思える。
衝突間際、隼人は異様な視覚と移動予測を合わせ、きっちりと鮮麗絶唱の姿を追えていた。防御用に改変された腕の装甲でロッドを受け止める。
金属同士ぶつかる音は鋭く、パイロットたちの聴覚を裂く。
隼人は開いた瞳孔に空中へ弾き飛ばされる鮮麗絶唱を映し、カトラルは期待通りの手ごたえでないことに驚愕した。
ぶつかる衝撃の勢いのままに、反発してそれぞれが後退するように弾ける。
「でも追える!!」
隼人は汗の滲む手で操縦桿を離すまいと握り締めた。
機体は両足を地面につけ、土埃を巻き上げながら滑り止まる。一撃防げたからと言って、気は抜けない。
「…………あはっ、嫌だなあもう」
宙で留まった鮮麗絶唱の機内、カトラルは口角を歪めた。
立場でいえば、世界政府公認であるSSDに属するカトラルが善であり、レジスタンスの隼人は悪であると言える。しかし、今の青年を彩る表情は、一般的に言われる正義の味方らしさは皆無だ。
「このスピードに追いついてくるんですか」
青年は与えられる刺激のままに興奮し、血の気に躍るというよりは、官能の喜びに溺れている。
「楽しくなっちゃいますよどうしましょう!!!!」
「っ」
隼人は反射的に片手を浮かし、叩き壊すような勢いで通信機を切った。
要因は二つ。
一つは、ぎゃーぎゃーと愉悦を喚くカトラルの声は騒音でしかないから。二つは、エースパイロットの声から伝わる猟奇さに、隼人の背筋を走った寒気が思考の邪魔になるから。
余計な動揺をしていられる余地はない。
「……あー、すごいな。やっぱり」
感嘆する。少年の声に不安や絶望は滲んでいない。
隼人は恐怖や戦慄よりも、カトラルへと尊敬の念を持った。
フロプトとしてメルトレイドに乗って、対人戦闘で苦戦した過去は隼人にはない。魔神相手にも自分の自意識過剰からの失敗はあっても、能力的な敗北を実感したことはなかった。
「これがSSDのエースパイロット」
一度、目にしていた汎用機に乗っているカトラルは、ここまで畏れる相手ではなかったはず。
今、目の前にいる最強の敵に、隼人は心が震えた。
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