譲れない信念

第64話 気づけば足場が崩れようとしていた

 国立第一世界境界博物館。

 ここには隼人の住まう学生マンションと同じく、第一世界境界と外界とをスレイプニルの足で繋いだ道があった。隼人が五月後半にあった名もなき英雄の追悼式に、間に合うために使用した道である。


 あの日同様、一度、薫の部屋を経由した方が、時間も労力も使わない移動が可能である。が、少年はわざわざと正規のルートでここまで来た。

 最寄りのバス停は市民会館前、そこからふらり、とまるでコンビニ寄るかのような気軽さで博物館に訪れる。

 しかし、その足は敷地内への侵入を許されなかった。


「……まさかの休館日」


 閉められた門に掲げられた看板。

 いくら長居しようとどうなることもないのに、隼人の足は動かなかった。


「……」


 立ち尽くす隼人は頭の位置こそ、休館を連絡する看板を見ているようだが、文字に焦点は合っていなかった。

 白昼夢にでも入り込んでいるのか、隼人の心はここに在らずといったようである。


「……」


 少しだけ猫背気味に丸まった背中で、博物館の前に立ち尽くす高校生。


「……」


 ぼけっとした隼人を見かね、スレイプニルが声をかけようと口を開く寸前――「入ってくか?」と、さも当たり前かのように、救いの声がかかる。


「学校帰りに博物館なんて、くそ真面目かよ」


 からかうように笑う声の主に、隼人は首だけで振り返る。

 彼の予想通り、立っていたのはこの博物館の館長。見せつけるように開かれた右手、人差し指にかけられた鍵がちゃり、と音を立てた。


「……いいの?」

「悪かったら言わねえよ」


 重く立ちふさがっていた門は、小さな鍵で簡単に解錠される。

 人ひとりが通れるだけの隙間を開け、先に通り過ぎた青年は門に手をかけたまま、隼人が来るのを待った。

 早くしろ、と視線が急かし立てる。


「美濃君」

「あ?」

「……」

「んだよ、何でもないなら早くしろ」


 両目を晒している青年は、怪訝そうに顔を歪める。隼人は美濃の名を呼ぶだけで、それ以上に会話を振らなかった。少年が小走りで博物館の敷地に飛び込むと、すぐに門は閉じられる。

 見た目には厳かなセキュリティが再びしかれ、美濃は手にしていた鍵を雑にポケットへしまう。

 美濃を先導に、隼人は遅れて続いた。


「……」

「……」


 門から本館までは、緩やかな上り道になっている。歩道に添って並ぶ街路樹も緑の色を濃くし、日差しに当てられる葉は夏の到来に備えているようだ。


 青年の歩調は少し早い。

 警備上、隼人には突破できない道が、するすると開かれていく。

 二人は正面口からではなく、職員用口から建物内に入った。当然ながら、そこは関係者用エリア。隼人は見慣れない光景に、興味深そうに視線を動かす。

 空調はきいていないようだが、直射日光を浴びていた身としては、十分に涼しく感じられる。


「好きに見ていい。気が済んだら、その辺の非常口からスレイプニルの足で帰れ」


 博物館の管理者とは思えない許可を出す。

 博物館を見学するのに不要な警備システムを解除し、美濃は一つの扉を指差した。展示エリアのプレートに、隼人はこくんと頷く。

 美濃は隼人の返答を目視してから、かつかつと革靴の音を立てて、遠ざかっていった。最奥の部屋――館長室へと姿を消す。


「……お邪魔します」


 残された隼人は美濃に教えられた扉を押し開け、展示エリアへと足を踏み入れる。

 懐かしさを感じるような匂いが鼻をついた。

 展示物の保存のために、ほとんどのスペースが日光から遮られている。休館日で換気もされていないそこは、ひんやりとした空気を滞留させていた。


「……」


 第一世界境界点に応する、第一世界境界、始まりの雷鳴。

 フロプト内ではオーディンと呼ばれているその世界境界は、番号と名前の示す通り、十三か所の世界境界点の出現後、一番初めに現れた世界境界であった。


「人類審判をするための世界境界」

『……人とは強かだ。その身が及ばぬはずの神にまで、簡単に抗ウ』


 スレイプニルは声だけで、隼人に寄り添う。


「森羅万象の上に立つ世界境界に抗うって、人間の思考は無謀なのか、勇敢なのか」

『人間審判の結果の一つには違いなイ』


 世界境界の存在と役割を人類に伝達し、そして、己の仕事を全うできずに、支配すべき相手から、手酷い仕打ちを受けることになった異形の力。


「抗うまではいいけど、命をエネルギーとして使うのは、ね……」

『数多の人の考えが、皆、七代目のようであれば、こんなに拗れた現在にはなってイなかったかもな』

「俺は受け売りで綺麗事言ってるだけ。俺だって、レプリカなしで生活はできないし」

『アナタの意志でどうこウできる規模の話ではイからな』


 そして、世界と世界を繋ぐ世界境界点は、世界と世界の混じる場所を作り出す。

 世界境界点の境界圏、魔神の生息する土地。

 若桜の根城である”桃々桜園”や、フロプトの隠された本拠地が所在する”命を吸う大森林”は国に汚染国有林と名され、不介入の土地とされている。


 貸し切りの博物館、隼人の足はオーディンの軌跡を辿っていく。

 足音は一つ、見学の邪魔はない。

 第一世界境界を知ることは、自ずと一番の鍵についても知っていくことにもなる。


「……」


 薫の写真が飾ってあるわけではないが、その見えない姿はあちらこちらから窺い知れた。

 隼人は瞳の色が、懐かしみと悲しみを孕んでいく。

 しかし、感傷に浸ることに抵抗する少年は、歯を食いしばって自分の情けない心情を呑みこんだ。


『七代目、酷イ顔だ』

「……オブラート、オブラート」


 スレイプニルの声に肉声で答える隼人は、傍目には独り言を呟いているようにしか見えない。そんな傍目など休館日のここにはないが、あり得るとしたら一人だけ。


「そんな顔しにわざわざ来たのか?」


 沈んでいた少年の背後、離れた位置で壁に寄りかかる美濃はいつからいたのだろうか。

 腕組みした青年は、隼人に存在を気取られても、彼に近寄ったりはしない。


「友達ご飯に誘ったら、断られちゃってさ」


 へら、と眉を下げて笑う隼人は「ここに来るの久しぶり」と続けた。


「目新しいものはここにはない」

「うん」

「ここには、過去ばかり」


 美濃はゆるりと館内を見回した。

 興味のない人間には全く価値のない施設。

 そこで館長を勤める青年は、見慣れて、見飽きたそれらを守るために、自分の手元に置くためにこの職に着いた。自分の立場も利用せず、実力で勝ち取った立場。


「オーディンは、どこにいるんだろうね」


 隼人は世間話のつもりか、第一境界点を模したレプリカを眺めながら口を開く。


「俺が聞きたい」

「……俺、百合子さんに、オーディンがいないのは天命なんて説明しちゃった」


 手を触れないでください、と書いてある注意書きを無視し、隼人はレプリカに手を伸ばした。中身のない結晶だけのそれは、隼人の中に潜むエネルギー源を察して淡い光を灯らせる。


「お前にはそうなんじゃねーの。俺はあんな可愛げのねえ”天”は願い下げだけどな」

「薫は可愛いってより、美人だしね」


 美濃は隼人の規則に反する行為を咎めない。

 ふわふわと輝くレプリカの光は、二人と一体には懐かしいものであった。

 第一世界境界点は隼人が六歳、美濃が十六歳の頃――十一年前は、オーディンが境界線を有し、煌々と機能していた。


「美濃君は、毎日のようにここにきて、どう思うの?」

「……」


 隼人の瞳はどこか遠くを見ていた。

 少年が手をどけると、スレイプニルに影響され、柔らかく光ったレプリカの灯火が消える。


「お前、最近変だぞ」

「美濃君も、最近元気ないね」

「俺の話はしてない」


 隼人はレプリカから、隣の展示物へと立ち位置を移す。

 始まりの雷鳴の声明の刻まれた石板の前には、接触を妨げるための柵が立てられていた。そこに手を置いて、隼人はぐっと身体を伸ばす。

 ぱき、と乾いた骨の音が鳴った。


「俺さ、ドールって、新型のメルトレイドかなんかだと思ってた」


 平淡とした声、感じられる熱がない。

 握る手を離し、くるりと美濃へ振り返った隼人は、腰を柵に預けた。


「でも、違った」


 薄笑いの隼人と、表情のない美濃が視線を交わらせる。

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