第65話 ここが運命の分かれ道
睨み合っているわけではないのに、殺伐とした空気が二人の間に流れる。腹の探り合いをしているようで、和やかと言う言葉とは程遠い。
「美濃君、どうして――」
『うひゃあ、遅くなりました。こんにちは、第八世界境界線、一ノ砥若桜です』
二人は弾かれたように、天井近くに設置されたモニターを見上げた。
本来ならば、レプリカの説明映像の流れているはずのモニター。来館者が一人であったために、スイッチを切られていたそれは、強制的に仕事へと駆り出されていた。
強奪した放送権を握る青年は『お久しぶりですね、皆さんっ』と、きらきらと星を振りまいてる。楽しそうな顔、舞い散る桃色の花弁。
連休明けでも、青年は絶好調のようだ。
「……定時より、二時間近く遅ぇな」
美濃は腕時計を確認し、忌々しそうに若桜を見やった。
うやむやに流された会話に戻ることなど、二人はしなかった。それどころではなくなるのは三日前から分かっている。
今日から、本格的に人狩りが始まるのだ。
『緊急指名手配っ』
若桜が挨拶とちょっとした談話の後に提示した話題は、二人の気構えを無視するようなものだった。
『この子を若桜ちゃんの所に連れてきた人には、この先、身の安全を死ぬまで保証してあげます』
若桜の手に持たれ、映る写真。
SSDが捜索用に使用しているものと同じで、写真からでも高潔さが伝わるお嬢様からは、変わらずに儚げな印象を受ける。
それが外面だと、二人はよく知っていた。
「百合子さん……」
「本腰入れて来たな」
驚くことはない。
元々、百合子が屋敷に転がり込んできた日に彼女本人が言っていた通りだ。若桜は八番の鍵を手にしたがっている。
『ちなみに、デッドオアアライブでーす。本当は生きてる方がいいんだけど、なんかもう面倒くさくなっちゃった!』
後ろ頭を掻きながら、困ったように笑う若桜は『成り済ましの別人を連れてきた人は、もれなく罰ゲームあるからね』と説明を加えた。
焦ることもない。
百合子が第一境界点の影響圏内にいる限り、若桜や若桜に仄めかされた人間が、気軽に手の出せる存在ではなくなっている。
『あ、連れてくる先は、彼女の元までっ! 紹介は不要だよねぇ』
百合子の写真を持つ手とは逆の手に、違う写真が握られている。
「どうして……」
ひらひらと揺らされる写真に写る女性。
「イ、オン……?」
隼人は思わずに名前を零す。
SSDに所属し、世界境界を専門にする科学者。
二人の女性の写真を顔の両脇において、若桜は白い歯を見せた。
『じゃあ、おまたせしました、デモンストレーション』
ぽい、と写真を放り投げた。
桜の花と一緒に紙切れが飛んでいく。
『この子をこの人のところに連れてきた人は、こんな危険から身を守れるということで、ね。あ、征服は区域全滅方式と、時間制限方式を併用していこうと思います』
飛び込んでくる人を待ちうけるかのように、大きく開いた若桜の腕。
青年が目を細めると、ぶわっと桜吹雪が舞う。背後の桃色は、壮絶な華やかを演出した。
影響圏内でも、境界線に天候は操れない。
『さあ、アスタロト』
風を起こしたのは、彼の契約した世界境界。
『いってらっしゃい』
赤の竜は滞空していた状態から、若桜の指示を受けて飛び立っていった。この放送を見ている人間の頭には、最悪の予感がいとも簡単に浮かんでいるだろう。
『あ! 安心してね。アスタロト自身は戦闘参加しないから。さあ、初日だし、今日は事前アナウンスしてあげよう』
若桜は人差し指を立てると、びしっとカメラを指差した。
『彼女の行く先は、第一世界境界博物館』
隼人と美濃はそっと目を合わせた。
「機体取ってくるから」
ご丁寧に放送の終了を待ってやる必要はない。
若桜の世間話をバックに、隼人は宣言すると、一番近い位置にある非常口へと向かった。スレイプニルだけで応戦できるほど、単純な話ではないはずだ。メルトレイドは必要である。
「ヒナ」
その背中を、美濃の声が引きとめた。既に歩み始めて隼人は、時間が惜しそうに振り返る。
――早ければ早い方がいいに決まっているのに。
「……選べ。反軍組織のフロプトとして生きるか、一般人として普通の生活を送るか」
唐突の質問に、隼人はきょとんとして首を傾げた。
問われる理由はさておき、それをするタイミングは今でなければならないのだろうか。隼人は心に思ったそのままを「それ、今じゃないといけないの?」と尋ねる。
もっともな疑問であった。
対して、即答で肯定が押し付けられる。
「これが最後のチャンスだと思え」
美濃の表情は真顔で、茶化しているような雰囲気はない。
隼人は前触れのない美濃の態度と、切羽詰まっている質問に頭を捻った。
身の振り方の選択を迫られている。それも、最後、と再選択というやり直しを摘まれている。
「美濃君?」
「薫とイオンを理由にするな。お前には、自由に生きる権利も、綺麗な身分もあるんだ」
意味が、分からない。
「……そうだよ。だから――やりたくなかったら、もう逃げ出してる」
しかし、この質問はいつ何時に聞かれようと、隼人の中に答えは一つしかなかった。
「俺はフロプトの雛日隼人。それが俺の答え、今までも、これからもずっと変わらない」
真っすぐに頭領を見据える。
満足か、もう機体を取りに屋敷へ行っていいか、と隼人が目線で訴える。美濃は目を閉じて、少年の視線を断つと、緩く首を振った。
否定。
「じゃあ、逆らうなよ」
「? 美濃君?」
隼人には、美濃の言葉が本当に分からなかった。
今はこんな問答を繰り返すことよりも、メルトレイドを取って戻り、この場所をアスタロトの率いる魔神から守らねばならない。
本音を言えば、頭領にもここに居座らず、避難してもらわねばならないのに。
「相島百合子はSSDに引き渡す」
忙しい隼人の頭が、硬直する。
まるで、冷水がかけられたようだった。
これから先を考えることを止めさせる一言。冷たい声。
隼人はこれでもかと目を開いて美濃を見やる。冷徹そのものをした両目が、隼人にもう一度同じ台詞を言って聞かせた。
「なんで……、そんなこと……」
頭領の命令が受け入れられず、動揺する頭はおぼろげな否定を叩きだす。
「オーディンがいない以上、すぐさま境界点を消せるわけじゃない」
「でも……、必ず鍵は必要になる。だから、百合子さんを客人で迎えて――」
「あれが薫と同じ状態でいるっていうなら考えてもいい」
「!」
隼人の脳裏で、二人の薫の姿が、絶え間なく切り替わった。
不敵に微笑み、白服を翻す薫の凛々しい薫。黒い髪をベッドに散らし、一生と瞼を開けることのない薫。
一瞬、それが、百合子に置き換わる。
「道具じゃ、ないんだよ」
隼人は非常口に向かっていた足で、美濃との距離を詰めると、胸倉を掴み上げた。
感情的な行動。
頭領本人や仲間の身を案じて、美濃に声を荒げることは少なからずあった。しかし、根本から逆らうことは珍しいどころか、隼人がフロプトに入ってからはなかったことだ。
「百合子さんは道具じゃない!」
少年の叱咤を美濃は鼻で笑った。
首元を締める手首を掴むと、力で振りほどく。自分を睨みつける部下に美濃は、いらつき交りの舌打ちを送った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます