第49話 騒がしい帰宅

 夏が近づき、太陽は長々と空に居続けるようになった。夕暮れにはまだ早いが、時間帯は夜に片足を突っ込んだくらいだ。


 第一世界境界点、影響圏内。

 命を吸う大森林と呼ばれるそこを上空からみると、ぽつんと緑色で隠されていない場所が一ヶ所だけある。

 フロプトの住まう屋敷とメルトレイドの格納庫だ。

 屋敷の裏、格納庫の近くへ、英雄の遺志は公然と降り立った。ぎしぎしと古い金属の軋む音が聞こえる。

 巻き起こる風に木々が揺れた。


「いやぁ、無事たどり着いてよかった」


 メルトレイドは流れるような動作で跪き、待機を維持する。一斉にモニターの電源が落ち、戦闘行動に必要だった操縦補助装置が、スレイプニルの意思によって片っ端から停止していく。


 手早い片付けを耳で聞きながら、パイロットの少年は、長い安堵のため息をついた。抜けきった気と共に、身体もずるずると背もたれを滑る。


「近いとこまでこれてて、ホント良かったよ」

『そウだな』

「こんなでかい迷子、誰も面倒見てくれないよな」


 道案内を申し出た百合子は、過去に攫われたまま、まだ戻らない。

 安らかな顔で、操縦席にもたれかかったまま、ぴくりともしない彼女は、隼人たちにはどうしようもなかった。

 結局、途中でエラーしてしまったナビゲーションの代わりになったのは、隼人の直感と根気だ。


「百合子さん、どんな過去を見てるんだろう」


 隼人はだらしない体勢のまま、百合子に手を伸ばした。真っすぐと垂直に落ちる髪を、優しい手つきが梳く。

 触れたところで、同じ光景を見ることはできない。


『七代目、降りなイのか?』


 隼人はのけ反った身体を引き上げ、操縦席の上で体育座りした。待機状態のコックピットの中、いつもは聞こえないようなかすかな機械音も鮮明に聞こえる。


「……降りたくないな」


 ぼそり、と心の声が外へ逃げ出た。


『まァ、気持ちは分かるが、このメルトレイドは逃げなイぞ』

「知ってる」


 そうは即答するものの、隼人が動く気配はない。

 何が見えているのか、過去を見るなどと特殊な力は持たないはずの隼人は、時に眩しそうに、苦しそうに、百面相に忙しい。


『七代目』

「んー?」


 焦点の置き場を失っている少年は、無意識の奥、自分の世界に入りかけていた。


『迎エが来てイるぞ』


 一人、空想と遊んでいた隼人を、スレイプニルは現実に引き戻す。

 独断でハッチを開き、操縦席からの退席を推奨した。

 外の風が吹き込み、湿気の含まれた空気がコックピットの中で、殺伐としていた空気を濁していく。外界の匂いを嗅いで、隼人は自分から香る血生臭さに、眉を顰めた。


「これ、あんま意味なかったな」

『勇んでしたわりに、竜面もメルトレイドに乗った直後に外したしな』

「警戒しすぎて損はない、と思いたい」


 死体から調達した服を脱ぎ、ぐしゃぐしゃと丸め、開かれた外へと投げ捨てる。


『ゴミを主の庭に捨てるな』

「後で拾うよ。あの服と百合子さん一緒に持つのは、ちょっと遠慮してあげたくて」


 隼人は開かれた道を行くために、立ち上がり、くったりとする少女のすぐ傍へ寄った。


「よっ、と。……やっぱ首かくかくして怖い」

『首など簡単に抜け落ちなイよ』


 隼人は百合子の背中と膝とに腕を回し、慎重に彼女の身体を抱え上げる。隼人は操縦席で愚図っていたのが嘘かのように、軽快に外へと出た。


 ふわり、と新鮮な風が少年少女を吹きぬけていく。

 地に降ろす為のエレベーター代わりに、とメルトレイドの掌が彼らの搭乗を待っていた。隼人は百合子を落とさないように気をつけながら、全自動の順路に身を任せた。


 両足を地面につけた少年に「随分、派手なお帰りだなァ?」と声がかかる。

 びくり、と少年の肩が震えた。

 隼人はスレイプニルの言う、゛出迎え゛とは雅だとばかり思っていた。


 動揺する少年をよそに、メルトレイドからは紫の色が消え失せる。代わりに、本来の姿を描いたスレイプニルは宿主に寄り添った。

 頼もしい相方の影に隠れたいのを我慢し、隼人は出迎えに立つ青年の顔を恐る恐ると伺う。


「……ただいま」

「ああ、おかえり」


 隼人にだってメルトレイドの信機器のオンオフはできる。しかし、通信相手の指定や拡張機能の使用などは、オペレーターの操縦補助に全権任せっきりにしていた。

 隼人は何の報告もいれずに、第一境界内に入り込んだのだ。


 雅がいれば屋敷側から連絡がくるのでは、と呑気に構えていたのだが、生憎と頼りのオペレーターは不在だったらしい。

 この状況が導き出した結果は一つ。


「お前は相島と水族館に出かけたんだったな?」


 腕組みし、仁王立ちする美濃の表情は薄ら笑い。

 外に出て待っていたということは、少なくとも第一境界への侵入者には気づいていたのだろう。異変を感じたのはアイスワールドか、と隼人は意味のない算段をつける。


「そう、ですね! ちゃんと行ってきたよ。イルカショーは見てないけど」

「へえそう。で、どうやって帰って来たんだ? ん?」


「――い、一機回収! なんちゃって!」と少年は果敢にも、精一杯の作り笑いで冗談をぶつける。


「は?」


 しかし、無謀な勇気が功を奏することはなかった。


「すみません」


 自然に頭が下がる。身に刷り込まれている上下関係には抗えない。


「ヒナ」 

「えっーと、その、何から話せばいいか」


 言葉通り、隼人の頭を悩ませるのは説明の順番である。

 視線を泳がせながら、ばつが悪そうに呻く。脳内の整理はできているが、上手い出だしが思い当たらない。


「……お前、一ノ砥の放送は見たか?」


 隼人の分かりやすすぎる態度を流して、美濃は淡々とした口調で問いかける。


「え、ううん。見てない」


 ぶんぶん、と大きく首を振った否定を見た美濃は、小さく首肯して返した。

 怒られるを飛び越し、殺される、と観念していた隼人は心の中で首を傾げた。

 隼人は、頭領の声色が冷たいのは、彼の癖だと認識していた。殺気に似たいらつきさえ含まれていなければ、どんなに底冷えする物言いをされても、彼の機嫌自体は悪くないと知っている。

 まさに、今のような場合である。


「端折って説明すると、明日から全面的に人間を力で捩じ伏せてく、って宣言だ」


 隼人の予測通り、美濃は怒声を上げることない。

 メルトレイドで帰宅しているのだから、隼人らが水族館デート以外の行動を取ったのは明白だ。美濃が何も感付いていない、ということはないだろう。


「ん……ん? 明日?」


 美濃の態度にほっとするのも束の間、不審な単語をそっくり聞き返す。


「そうだ。けど、実際には人狩りがあった」

「ん!? っと、わ!!」


 隼人はしれっと言い渡される美濃の言葉に、危うく眠り姫を落としそうになる。バランスを崩し、ふらつく隼人を支えるのは、言わずもがなスレイプニルの役目である。

 無言のまま、そつなく助太刀をこなす相方に礼を言うと、隼人は美濃に向き直った。


「四条坂駅でのこと――」

「大筋は把握してる」


 美濃の手の中に収まる携帯端末を見て、隼人は「あ」と言葉を失う。

 思い付かなかった自分が馬鹿らしい。

 なにもメルトレイドで連絡を取らなくても良かったし、ここまでの道順だって地図アプリで一発だった。


 危うく大きな迷子になりかけた恥に、じわじわ頬に熱が集まる。両手で顔を隠したいくらいだが、両手は塞がっている。

 しかし、そんな事情を知らない美濃は、隼人の思慮の足りなさを悟らせるために、携帯を見せたのではないだろう。

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