第50話 誉めてくれれば頑張れるの

「どうして誰も彼も、情報を出すのが好きなんだろーな。誰も見ず知らずの奴のことなんか興味ねーってのに」


 隼人は百合子を抱えたままで美濃との距離を詰めると、彼の手中の小さな画面を覗き込んだ。


『相島百合子が鍵ってマジ? つーか鍵って都市伝説じゃねーんだ』

『フロプトが魔神を撃退して人助けとか、慈善事業乙』

『SSDはどうしたんだよ』

『馬の魔神に咥えられて避難した俺は勝ち組』


 美濃の携帯の中、メールの差出人は雅である。インターネットに散らばっていた書き込みを拾い合わせ、美濃への報告に載せたのだろう。

 その下には、SSDの対応が箇条書きで書かれている。


「……人が死んでるのに」と複雑そうな隼人は、嫌悪感を隠しもせずに眉を吊り上げた。

 全員が全員、こんな人間ではないにせよ、一握りはこうなのだ。

 百合子の気概をかって行動に出た隼人には、彼女の意思や、命が死んでいく様を面白おかしく書こうとするのは不快でしかない。


「俺もだが、SSDもこの事態をよく分かってない。――そして、一ノ砥もだ」


 断定的な言い方に、隼人は納得がいかないと首をひねる。


「え? なんで? 一ノ砥が仕掛けたんじゃないの?」

「一ノ砥の話は基本的に虚言がない。定例放送の無駄話一つにしても、ちゃんと根拠のある事柄だったり、誰もが共感し得るような普遍的な内容ばっかだ」


 若桜に対する考察に、隼人はピンと来るものがなかった。

 真面目に定例放送を見たことがない、というのもあるが、世界境界線になり、世界征服を宣言した人物の考えを理解できるわけがない、と端から投げている節もある。


「いや、えー、でも。……それだけで、言い切れる?」

「さっさと研究所を晒したって、一ノ砥にはこれといったデメリットがない。それなのに、律儀に猶予期間を守った上で、ちょっとずつ小出しにしてるのは、一ノ砥自身がそう宣言したからだ」


 やけに自信満々に明言する美濃に、隼人は「でも、実際に今日から事変は起きた」と反論を始める。

 少年は話題の戦場から、帰って来たばかりなのだ。

 先ほどの駅前で隼人の目の前にいた魔神の傀儡たちは、一人残らず、一ノ砥組の白い法被を羽織っていた。

 フールを造り上げるのも、タイミングを見計らい暴走させるのも、一ノ砥の他に適任が思い当たらない。


 美濃に体験したことを洗いざらい告げ、隼人は腕の中の百合子を抱え直す。未だ起きないお嬢様には、激論になりそうな気配など関係ない。

 隼人の報告を聞き入れていた美濃は、隼人の行動に「重そうだな、降ろせば?」と配慮に欠ける提案を口から滑らせる。


「え、地面には降ろせないよ」

「どうせ汚れてんだから一緒だろ」


 意識のない身体は重い。百合子自身が重心を移動してくれれば、それなりに長時間でも抱えていられるが、今は期待できないだろう。

 緩やかに脱線した話題を、隼人が元の道筋に戻す。隼人は魔神を狩り終えたところまで話し終えると、美濃の考えがまとまるのをじっと待った。

 空の色は橙色を濃くしている。


「俺にはSSDでも、一ノ砥でもない、第三者の意思があるとしか思えない」


 美濃の推論は、隼人には訝しい方向に帰結した。

「俺はそう考える。でも、その何かがさっぱり分かんねえ」と美濃は唸る。


 消去法で導いたのか、見通しのきかない考えに顔色は難しい。隼人にいたっては、美濃がどういった方法でそこに辿りついたのかもさっぱりで「俺に、もうちょっと、考える時間をください」と絞り出した声は、恐ろしく情けなかった。

 ぐるぐると目を回しそうな隼人の状態を見て、美濃は少年のキャパシティオーバーの頭に、更に詰め込むように言葉を弾きだした。


「この機会に、俺はSSDを動きが取れないレベルまで崩壊させたい。今回の駅での騒動みたいなのは世間に不信感を抱かせる。効果のある良い手段だ」


 唐突に告げられた頭領の野望に、驚く間もない。

 正確には驚く余力がなかった。

 美濃の手は隼人の頭を捕らえる。混乱する頭で、流れていた説教が今来るのか、と隼人は感づく。少年の経験上、こうなれば、後は頭蓋骨が陥没しないことを祈るだけだ。

 反射で目を強く瞑る。


「何も言ってなかったし、お前の行動は偶然だろうが――」


 予想を裏切り、痛みはない。

 美濃の手は隼人の頭を滑った。


「ヒナ、よくやったな」


 ぐしゃぐしゃとかき混ぜられる髪に、隼人はぽかんと口を開いたまま、美濃の言葉を頭で反芻した。

 功績を褒める言葉。

 呆けていた口元が閉まり、それから、ゆるゆるとだらしなく緩む。


「っ――はいっ」


 一転、溢れかえるような歓喜に隼人は満面の笑みである。持て余していた情報も手放したように、すっきりとしていた。

 美濃は変わらずに感情の起伏の少ない顔で、阿呆面を晒す隼人から、その背後に立つメルトレイドへと視線を映した。

 英雄の遺志。

 四条坂駅前の広場に設置されているモニュメント――という名称を与えられていた魔神を掃討し捕縛する兵器。美濃は英雄の遺志と呼ばれる前、そのメルトレイドが現役で働いている姿を見たことがあった。


「とりあえず、無事に一機持って帰って来たみたいだし、雅もいねえし。今夜の回収作業はなしだ」

「っ! 了解!」


 首が振り落ちるのでは、と心配になるほど隼人は上下に激しく首を揺らす。

 褒められたことが嬉しいのだ、と傍目にも分かる。重要な話をしたことを、隼人は覚えているのだろうか。


「あれ? 雅さん、いないって……、招集?」

「ああ。多分、当分泊まり込みだ。しばらく飯は任せた」

「あ、うん。分かった」


 雅は可能な限り、屋敷での滞在を努めている。百合子という特例がない場合でも、だ。

 たまの不在は珍しい。SSDからの招集は急遽にあって、長期に渡って彼女を拘束することもあれば、日帰りで解放することもある。

 雅の軍滞在期間は、取り組む案件の重要度に左右される。


「で、相島は何でぶっ倒れてんの?」


 隼人の腕はそろそろ限界だと震え始めている。

 百合子を地に落とすまい、と頑なに腕を下げない少年に、美濃は帰還を迎えた時のように薄ら笑った。が、その表情も「過去を見てるんだと思う」という隼人の見立てに消えた。


「……あの機体のか?」

「他に特別思い当たるモノはないし」

「一応、内容聞いとけ」

「? 分かった」


 美濃は屋敷ではなく、格納庫の方へと向き直った。それから、さも当然のように歩き出す。

 明確な解散宣言はないが、情報交換はこれで終わりだろう。

 ようやく一段落だ。

 隼人はとっくに限界を迎えている腕を叱咤しながら、おぼつかない足取りで屋敷へと歩き出す。添え木のようにスレイプニルが並行した。


「ヒナ」


 背中にぶつけられた名前に、首をひねって後方を窺う。

 ポーカーフェイスは何も語らない。


「美濃君?」と無言のままの青年の名を呼んでも、返事はない。少しの間を置いてから「……いや」と美濃は言い淀んで、再び格納庫への道へ戻った。

 遠ざかっていく背中を見つめたところで、振り返ることはない。 


「ここんとこ、美濃君元気ないよね」

『どこがだ。イつも通り横暴だ』


 沈黙のまま、口を挟まないでいたスレイプニルは、宿主の問いかけに久しぶりに声を放つ。


「やけに静かだったな?」

『アまり美濃と話したくなイ』


 スレイプニルと美濃は不仲である。というより、一方的にスレイプニルが美濃を敵視している。

 しかしながら、スレイプニルが直接的に距離を置くことは珍しいことだった。


「……スレイプニルも、なんか変だし」

『そんなことは、なイ』


 美濃はさておき、隼人はスレイプニルの異変の発端時期は正確に把握していた。

 SSDの兵器の試力実験に介入した日。

 連れだって夜散歩に出た時には既に、何かを隠しているようだった。


 スレイプニルは宿主に対してどこまでも素直で従順である。隼人も十分にそれは体感しているからこそ、詰問するような気は未だに起きない。


「……悪いけど、あの機体、格納庫に仕舞っておいてくれるか?」

『構わなイよ』


 言うが早いか、スレイプニルは後ろに飛び跳ねると、すっと姿を消した。 


 メルトレイドの後を任せ、隼人は百合子を抱え直し、屋敷へと歩み始める。目の覚めない彼女の顔を見つめながら、隼人は静かに息を吐き出した。

 百合子の心情変化、フールによる人狩り、スレイプニルの隠し事、元気のない美濃。頭を悩ませる事柄には不自由していない。

 空には一番星が輝いていた。

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