第48話 暴いてはいけない裏側

 オペレーターがいない今、周囲の情報を得るのに、メルトレイドのモニターだけでは不完全で頼りない。それを補わずとも隼人は戦えるが、彼の希望からすれば、スレイプニルの参戦は願ったり叶ったりだった。


「さっすがスレイプニル」


 オペレーターの穴を埋めるのは、メルトレイドの原動力と、魔神としての存在とに、力を分散させるスレイプニルである。


「スレイプニル、喰い千切れ」


 勿論、危険を察知して、伝えるだけがスレイプニルの仕事ではない。

 一ノ砥組を背負う人間を宿に、食事中であった魔神たちは総じて下級魔神である。人の言葉を理解し、行使する脳もなく、本能で動くだけの魔神。


 比べて、隼人の指示を実行する魔神は、知能指数からして桁が違う。下級と上級。同じ生き物であるのに、天と地以上に次元の差があるようだ。


『食事の嗜好くらイ、選ばせて欲しイものだ』

「食せとは言ってないよ」


 いっそひと思い殺された方が楽だと、思わされる。

 スレイプニルに文字通り、身体の肉を引き千切られた魔神は、懲りずに臨戦態勢を崩さない。顔半分を失う攻撃を受けたとは思えない様子である。

 それも、当然だ。

 彼らの受けた痛みの感覚を背負うのは、宿主であるのだから。


「……フールって、魔神に精神を掌握された人間のことなのよね?」


 どんなに身体を欠損しても、向かい立つ魔神。

 無傷の魔神は一体としておらず、数も半分以下まで減った。


「……違うよ」


 百合子は瞬く。

 隼人が何も手出ししていないのに、一体の魔神が消えたのだ。確かに負傷はしていたが、他に比べれば酷いものではなかったはずだ。


 何かの能力の行使かと「今、魔神が――」と隼人に忠告しようとすれば、「宿主が痛みに耐えられなくて、先に死んじゃったんだよ」と突然の消失の答えが静かに返ってくる。


「マグスは人間だけど、フールは人間じゃない」

「え?」

「人に取りつく、っていうのは魔神が持つ本能の一つ。特に知能の低い下級魔神は、馬鹿みたいにそれに囚われてる」


 隼人はまるで書かれた文字を音読しているかのようであった。抑揚もなく、作業的に読み上げるだけ。現物の文章はないが、あるかのように受け手には思えるのだから、何度もそうやって言い聞かせているのだろう。


「取りつかれて、精神を乗っ取られ、身体を魔神へと明け渡したフールは人間じゃない」


 向かってくる魔神を掴みあげると、簡単に首をへし折った。姿が消えるだけ、魔神は命を失わず、元の世界に戻るだけ。


「そうじゃないと――、やってられないよ」


 魔神が霧散する裏で、人であった命が一つ消える。

 百合子は何も言わずに、手を握りしめた。


 隼人にこれをさせているのは、自分の決断である。自分の選択が招いた結果、と偉ぶった発言をしたにも関わらず、百合子はモニターを見てはいられなくなった。

 浅はかさと無力さが、歯がゆい。


「!」


 一匹の魔神がメルトレイドではなく、対象外となっていた逃げる人間の一人に向かって行った。

 避難は終わっていない。足が動かなく、逃げられていない人もちらほらと見受けられるのだ。魔神が走って行った先も、それに当たる。

 座り込み、逃げ遅れた人に手を貸す少年。

 モニターに見える人影に、隼人は動揺する。


「あんのお人好しッ!」


 この機体に乗って、この現状に陥って、初めての焦り。

 こんな状態で他人の命を気遣う者がいれば、それは異質で、奇怪で、変人だ。そして、それが気のおけない友人であると、隼人は見間違えなかった。


「くそっ、いかせるか、っよ!!」

『七代目ッ!?』


 変則な動きをしたのは隼人も一緒である。未だに生きる二人の人間の前、素早く割り込んだメルトレイドは、飛びかかる魔神の身体を蹴りあげる。


 飛ばされた先、転がる身体は二度と起き上がれないだろう。喉を目がけ、スレイプニルの逞しい脚が振り落とされた。


「……スレイプニル。こっちはいいから、避難援助してくれ」

『アァ、任された』


 スレイプニルは隼人の言葉通り、動けない人間を咥え、荷物のごとく駅中へと運搬を始める。

 最初に咥えられた青年は、命乞いを喚き散らしたが、自分の身体が駅に放られると、情けなく自分の五体満足を確認する。顔中を汚す液体も止まったようだった。


 人を拾い、駅と広場とを往復する軍馬に負けじと、隼人も手当たり次第に魔神の命を摘み取っていく。フールは人間ではない、と言いつつも、魔神よりも楽に殺せる宿主に手を出さないのは、彼の意地であった。


『七代目に勝てるわけがなイだろウに、無様だな』

「俺っていうか、スレイプニルにだろ? 下級魔神ばっかりだし」


 最後の一体。

 メルトレイドの足に蹴り殺された身体が消えると、スレイプニルも隼人の中へ姿を消す。


「SSDが出てくる前に逃げよう」


 普段ならば、雅のリモートコントロールする補助装置が、位置情報の照らし出された地図を示しだす。それを頼りに、帰還案内の指示に従いながらの撤退をするのだ。


 しかし、今日はそうもいかない。


『ワタシの足を使えばイイ。この機体のハッチから出ればイイだけだ』

「……この機体、持って帰りたいんだ。けど、道が分かんない」


 現在位置は四条坂駅であると分かっているが、スレイプニルの足を多用する隼人には、第一境界の正確な方向などさっぱりである。

 東西南北でいうなら北だと分かっているが、それだけで帰れるほど道は容易くない。


「……私が案内する」


 百合子は再びモニターに視線を向けた。動く影は一つもない。


「え?」

「ここから第一境界まで、一回は辿った道だもの。忘れられないほど、見返したんだから」


 使いこなせない力を、何度も何度も使って得た情報。

 この瞬間まで、何もできなかった自分に出来ることが、道案内だけなのは不甲斐ないが、隼人の要望を守ってやれる。

 百合子の頼ってくれ、という視線に、隼人は緩やかに頷いた。


「……うん、お願いします」


 帰路への道案内を申し出た百合子は「まずは北西に」と方角で指示を出す。

 すると、疑問符を頭の上に浮かべた隼人は、先ほどまで穏やかであった口元をひきつらせ「えっと、向こう? 左?」と混乱し始めた。

 沈黙が痛い。


「…………真後ろに方向転換して、斜め右。あっちにある複合ビルの方」


 それからは、上下左右の主観的な方向指示と、建造物を使った丁寧なナビを百合子が努めた。


「地図があれば分かるんだよ」と豪語する隼人を問い詰めれば、隼人の出撃と帰還時に使用している地図は、常に進行方向が上になるように回転している、ということが発覚する。


「それは分かるとは言わないわ」


 百合子はため息交じりで、吐き捨てた。

 高い建物の数が減り、代わりに横に敷地を大きくとった建物が増えてくる。流れる景色を記憶と照らし合わせ、百合子は軌道修正を細々と口にした。

 改めて、メルトレイドを動かしている隼人を見て、百合子は思わず「……貴方、本当にメルトレイドの――レジスタンスのパイロットなのね」と感心した。


 方向音痴、と遠まわしに言われたことに拗ねていた隼人は、唇を尖らせたままで、ただの事実を壮大なことを言うように呟いた百合子へ首をひねった。


「え、今更? っていうか、今? 嫌味?」

『優秀なと言う冠が抜けてイるぞ』

「スレイプニルはちょっと黙ってようね」


 スレイプニルがメルトレイドを宿にしている今、原動力の声はコックピットにいる二人ともに聞こえる。

 スレイプニルからの鳴りやまない賛辞を聞き流す隼人は、眉を下げて「やめてよもう」と困ったように相方をたしなめる。


「っ――」


 血の流れる戦場にいたとは思えない和やかな空気に、百合子も油断していた。いや、こんなことに油断するな、と言われるのは百合子だけであろう。

 百合子の手が、操縦桿に触れる。

 脳裏で散る火花は、いつでも唐突で、百合子の声を聞き入れたことはない。


「百合子さん?」


 統制出来ていない力は、過去へと百合子を引きずりこむ。何度も試してはいるが、抗うことができたことはない。


「百合子さんッ!?」


 隼人はごつん、と操縦席に頭をぶつけた彼女の名を叫ぶ。

 身体をもたれかけさせて、ぐったりとした少女の名を何度も繰り返すが、返事はない。この状態を見るのは二度目であるが、こうも急に意識を飛ばされては、心臓に悪い。

 隼人が名を呼ぶ声は、百合子にはもう聞こえていない。


 一度、目を開けると、目を開けているとは思えない暗闇である。

 もう一度、瞬きをすれば、今度はほんのりと暗いながらも、周囲の状況が分かる。


「……時間だけ移動したのかしら」


 百合子は英雄の意思の操縦席にいた。

 ハッチは開けられており、外の音が入ってくる。耳に入る人の声に、百合子は何も躊躇わずに外へと顔を出した。


 視界を埋めるのは、悠々とした自然。

 百合子の位置から、建物は見えない。

 遠くの景色は木々に生い茂り正確には見えないが、近景は確実に人の手に整えられた植物であった。木の枝はきちんと剪定されているし、草花は順列を作っている。


 メルトレイドの目と鼻の先、百合子は探さずとも、人の姿をすぐに見つけた。

 均整のとれた顔をぐしゃりと顰める少年と、眼帯で左目を隠した苦笑いの女性。共通点は短い黒髪と鋭い目つきであるが、雰囲気は対極のようだ。


「薫、さんと――喜里山美濃?」


 先の時代に生きる彼女は、言い争う二人を知っている。

 薫と美濃。寝たきりの彼女とフロプトの頭領。


「俺は嫌だ。絶対に認めない」

「美濃なら大丈夫だって。な?」


 困ったように笑う薫は、百合子の見た寝たきりの状態と、ほとんど年が変わっていなかった。

 比べ、美濃は百合子と同じくらいの年齢である。十代後半であろう彼は、その年で完成された美しい顔を凶悪にひきつらせていた。


「俺が大丈夫かどうかが、問題じゃないだろ」


 おもむろに美濃が顔を伏せ、悔しそうにするのを前に、薫は左目を隠す鎧を落とす。閉ざされていた暗い紅色の瞳は、きょろり、と視線が動くだけで色が変わった。

 美濃にその行動は見えていないようである。

 薫は美濃との距離を詰め、顔を上げられない少年の両肩に手を乗せた。


「美濃が大丈夫か、が一番の問題だよ」

「なあ、あいつらを助ける方法はいくらだって――」


 不意に顔を上げた美濃は、彼女の両目と目が合った事に、息をのむ。

 身を引いて逃げようとするが、足は美濃の意に反して動かなかった。


「悪ィな、美濃」


 愛おしそうに名を呼び、薫は両手を肩から両頬に移動させる。

 顔を固定させたれた美濃は、薫の瞳に映る自分が失意の底にいるような顔をしているのを、他人事のように見た。

 薫は自分の左目と、絶望に染めて開かれた美濃の左目を重ね合わせるように、擦り合わせた。

 近すぎて焦点の合わない美濃の左方視界を埋めるのは、見飽きるほどに見続け、いつか手に入れるものと確信していたガーネット。

 しかし、今、これを受け取ることは不本意でしかない。


「あとよろしく」


 左目に焦れる熱と、裂ける痛みが少年を襲う。居場所が目玉だけでは狭いと騒ぎ立てる痛みは、中から外へと蹴破りそうな勢いで左目を刺激する。

 感じたことのない苦痛に、膝から崩れ落ちる美濃を、申し訳なさそうに一瞥し、薫は背を向けた。


「っ、う、あ」


 呻き声を上げ、左目を押さえる無能は、苦しみを耐えながら、届かない背中へと手を伸ばす。


「じゃーな」

「っ、ふざけんなっ! 薫っ! 行くなよ!!」


 少年が引きとめようと、声を張れば張るほど、薫は遠ざかっていく。

 痛みは激化して美濃の左目を苛む。だらだらと流れる冷や汗に、左目と対比して、体温が下がっていく感覚に脳内が揺れた。

 地面が揺れる錯覚に、身体は受身も取れずに倒れる。


「薫!! こんなのっ、こんなの――ぜってぇ、許さねェぞ……、馬鹿……」


 差し出されて手は、拳になり、地面を叩きつけた。

 悔しい、とぎりぎり歯を擦り鳴らす。彼女の背中を追う声は、段々と掠れていき、最後には涙に変わった。

 定まらない視点、ぼやける視界、痛む左目。


「姉上……っ!」


 悲痛を通り越した先があるのなら、きっと今の彼のような状態を言うのだろう。

 一瞬、薫の動きが止まる。

 しかし、振り返りはしないし、すぐに彼女は歩きを再開した。ひらり、揺れる裾。白い軍服。

 彼女が向かう先は、メルトレイドの操縦席。

 現代で、百合子が隼人と今、乗り合わせているそれであった。


 近づいてくる薫の耳に、ピアスはない。しかし、それに百合子は気が付けなかった。

 平静を装っているのは背中だけ。

 悲哀に満ちた顔で、ぼろぼろと音もなく泣く姿に、百合子は目を奪われる。何の事情も知らないはずの彼女にも、薫の悲壮さは痛いぐらい伝わってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る