第47話 虚飾を名乗る審判者
日曜、真昼間の駅前、魔神と人間とフールとメルトレイド。
生きている人間と死んでいる人間、どちらの数が多いのだろうか。血の雨が降ったと言ってもいい駅前広場は、赤黒いまだら模様に地面を染めていた。
「……とりあえず、困ったな」
『人が多すぎる』
四条坂駅前、駅と併設される駅ビルは建物の形は残っているが、無事なのは遠目に見た外見だけだ。
中身は荒れ果て、予想の上をいく有り様であろう。
侵入経路であり、脱出経路でもあったのか、所々の階層で窓が割れていた。
「百合子さん、ちょっとこっちまで来て」
「何?」
狭い床を這いながら、隼人の顔が見える位置にまで来た百合子は、更に近くへ来るようにと要求される。隼人が良しを出したのは、彼女の身体が、隼人とモニターの間に挟まろうかという位置だった。
「無事に出てきたってことは、駅とかビルに魔神はいなかったんだよね?」
「え、えぇ」
「じゃあ、避難アナウンスして。マイクはこれね」
「えっ?」
「ちゃんと名乗るんだよ? よし、しーっ、ね?」と操縦席から半分身を乗り出した隼人は、人差し指を唇に持っていき、静かにするようにとジェスチャーする。
まるで幼子に対するような扱いに、百合子はぽかんとしながら、突然の勧告に首をかしげる。
隼人は正面に向き直り、拡声スピーカーを入れると、すう、と音がするほどに空気を吸い込んだ。
「我はフロプト、審判の執行者である」
機械に変成された声が、堂々とした響きで戦場に介入する。
人間だけでなく、言語を理解していないであろう魔神もメルトレイドを見ていた。静止状態となった場で、隼人の機械変換された声だけが鳴る。
「名は、虚飾。我は、虚飾」
あとはよろしく、と口パクで言うと、隼人は百合子がマイクの位置までくるように、腕を引き寄せた。
「っ、わたっ――」
百合子は思わずと口を噤んだ。両手で口を塞ぎ、隣を見上げる。
スピーカーから流れた声は、何の影響も受けていない、百合子自身の声であった。隼人は心配事はない、とばかりに百合子を急かす。
ばくばくと打つ心臓を押さえながら、百合子は決心した。
自分の意思を最大限に汲み取られ、ここまでお膳立てされて、逃げるわけにはいかない。
「……私の名前は、相島百合子。――八番目の鍵」
百合子は御三家相島の一人娘であり、SSD日本支部元帥の孫娘。自分の名を口にする機会は、万回では足りないほどにあった。そして、これからはもっとあるはずだ。
しかし、少女は自分の名前が相島百合子である、と今以上に胸を張って宣告することは、この先ないであろうと悟った。
「今は駅の中が安全です。どうか、逃げてください」
「――ここは我らが引き受けた」
百合子から発言権を奪い、よく出来ましたと顔で語る少年は、にこりと笑った。
「裁かれるべきは、何か。審判を下す」
外へと言葉を投げる術が切られる。
百合子の見上げる先、隼人の感情がすっと引いていった。モニターの先を見据える瞳に映るのは、堰を切って動き出した生存者の逃亡と、それを追わない魔神の姿。
仲良しこよしのお仲間ごっこをするような知能は、この場を占めているような魔神にはない。
本能だけで動くからこそ、すべきことは一つのようだ。
凶悪な害は、どんな手を使っても消す。その結果が、魔神たちに共闘を構えさせる。
「……貴方がフロプトを名乗る必要ってあったの?」
「あるよ。俺、魔神掃討機関のパイロットじゃないから」
「でもっ!」
「いいのいいの。うちの心配はいいからさ――って俺が言うなよ、って感じ?」
隼人は百合子をモニターの直前から、操縦席の後ろへと移動するようにと促した。
「それとも、虚飾の方? 恥ずかしいけど、美濃君にそう言えって言われてるしなー」
フロプトは秘密行動を徹底している為に、人目につかないことがを基本である。
目撃者の多い市街地で、メルトレイドに乗ることは珍しいどころか、ほとんど無に等しい。しかも、少年の独断であるのだから、美濃の逆鱗に触れるのは確実だと、百合子にだって察しはつく。
「さて、粗方の人もはけたところで」
多種多様な覚悟を決めている隼人の心情を、百合子が理解するのは難しい。
立場も、持っている情報も、現状の捉え方も違う。そして、まさに今、頭に置いている考えが根本的に違っていた。
「行くか。スレイプニル」
『それが七代目の意志ならば』
悲惨な状態で、再起すら危うい交通網の要を背に、一機のメルトレイドはフールと魔神のなす群れと対立する。
「……この声、あの時の魔神ね」
足は依然として床と仲良しであるが、百合子の声は冷静さを取り戻していた。
外界と隔てられた安全圏にいるからか、状況が状況であるばかりに、少しの余裕も随分と心のゆとりになる。
暴れる心臓は限界を迎えそうであるが、思考回路は正常に働いている。パイロットに従う声だけの存在を、初対面で背中に一撃をくれた相手だと百合子は認識した。
「ちゃんと紹介してなかったっけね。彼女はスレイプニル」
少年少女を乗せた機械人形は、地面を走りだす。
機械の手は一番手近な魔神の首を掴みあげ、無遠慮に圧力を加えた。メルトレイドの手の大きさに簡単に収まった魔神は、苦しさに身を悶えさせているが、それもほんの一瞬で終わった。
生々しい、肉を潰す音。同時に、辺りを汚す赤と同じ色を噴き出しながら、魔神は姿を霧散させる。
瞬殺。
操縦席の影、モニターの見えない位置にいる百合子は、機体が動いたことは認識しているだろうが、既に応戦しているとは思っていないだろう。
「俺の契約する魔神で、相棒。そして、オーディンの忠実な僕」
心ばかり、と外界からの音声を断っている隼人の気遣いと、普通に会話をこなす態度も相まって、戦闘中とは思いも寄らない。
『目下、キサマと仲良くする気はなイ』
ふん、と鼻を鳴らすスレイプニルの姿はメルトレイドに溶けている。しかし、百合子を好意的に受容していないことは顔を見なくても分かる。
隼人も苦笑いで場を濁した。
異質を認めた魔神が、次々と牙を剥いてメルトレイドに飛びかかっては、蹴散らされる。
簡単に弾かれても、またすぐに飛びかかった。一匹ずつなら単に潰していくだけだが、数で来られば、そうもいかない。
メルトレイドを中心に、包囲網は着実に出来上がっていた。
「…………彼女?」
「うん。俺の可愛いお姫様だよ」
警報を皮切りに始まった一方的な捕食行動に対し、絶対的強者として反撃をする隼人は、取り乱した様子を一切見せていない。
テンションも、動作も、口調も、普段通りである。
「百合子さん、もう少し揺れるから、座席とかに掴まっててね」
「……どうするの?」
「魔神は全部狩るよ。――そしたら、一緒に帰ってくれる?」
返事をせず、百合子は無言で悔しそうに俯いた。
脳が働くようになればなるほど、自分のとった行動がいかに勝算がなかったかを認知する。あの瞬間は、先のことは一つも考えていなかったのだ。
隼人が項垂れた少女の名を呼ぶと、控えめに上目遣いが向けられる。
「うん、って言ってくれればいいだけ。ね?」
この状況をどうこうと詰め寄る気はない、と隼人は雰囲気で伝える。
有無を言わせない物言いではあるが、そこに透ける配慮に、百合子はこくり、と首を縦に振った。
「よし」
隼人は操縦桿を握り締めると、既に始まっていた仕事を再開する。
目の前にいる魔神たちは、メルトレイドに焦点を合わせて、戦闘態勢にあった。数の上では絶対的不利であるが、その計測に意味はない。
隼人の脳で処理された情報は、すぐに行動回路を動かす命令に変換される。少しの危うさも見せずに、隼人は淡々と魔神を討った。
「乗ってから言うのも、何なんだけど」
不安そうな感情の滲む声、百合子は言い淀む。
「うん?」とタイムラグを開けずに相槌を入れながら、隼人は要領よく魔神を裁いていく。手際の良さはSSDのエースに負けず劣らずで、反応速度だけでいえば、軽く凌駕していた。
「私のせいで操縦に支障が出たりはしないの?」
不安そうに機内を見やる百合子は、どの機材の意味も分からない。制御装置や操縦の補助装置に備えられた点滅するランプが、時たまに消えるのを見て冷や汗をかく。無駄に緊張していた。
「旧機じゃ駄目だけど、これは現行機だから大丈夫だよ。あ、でも、パイロットがマグスじゃないときはどうだか分かんないな」
「……」
「ほら、現行機はパイロットの精神回路と、メルトレイドの機動回路をレプリカでコネクトしてるから。でも、旧機だと――」
「聞いた私が馬鹿だったわ。大丈夫ならいいの」
つらつらと流れ出た説明に、百合子はすぐさま停止を求める。
のんびりと「そう?」と首をかしげる隼人の様子からすると、百合子が懸念しているようなことは、あり得ないようである。
隼人は逃げる人影にだけ注意を払い、魔神の相手をしていた。とんとん拍子に進んでいく行動。その視界の隅で影が動く。モニターの向こうではなく、こちら側で、だ。
隼人は手と脳を止めず、操縦席の隣、モニターの見える位置に出てきた百合子を横目に見た。
「……百合子さん、見ない方がいいと思うけど」
「私の選択が導いた、結果の一つだもの」
そうは言っても、顔色は悪い。
モニターに見えるのが、現実なのか、夢なのか。麻痺した感覚でいるのかもしれない。
メルトレイドという安全圏が、嗅覚と聴覚を侵す不快を弾いていても、この状態なのだ。おすすめはできない。しかし、ここで駄目だと強いても、百合子は反発するだろうと、隼人はため息を飲み込む。
「気持ち悪くなったら、目閉じててね」
見られることは構わない。
しかし、相手は魔神であろうと、直接的な殺害現場を見た百合子の反応を考えると、手っ取り早い終着をすべきだと隼人は判断する。
心の声はストレートに相方へと伝わった。
『七代目の手を、煩わせるな』
魔神へか、百合子へか。
不機嫌に言葉を漏らし、スレイプニルも戦場へと姿を現す。
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