第41話 どこにでも立場ってものがある

「うちはレジスタンスでも最大規模、足取りつかませないことに関しちゃあどこよりも自信あるし」

「じゃあ、なんで乗り込んでこないのよ」


 百合子の言葉に部屋が静まる。


 会話に混ざっていなかった美濃は、至極嫌そうな顔をした。非常に面倒くさい、と誰にでもわかるような顔。それを見たならば、百合子は間違いなく喚き散らすだろう。


 白熱する口論を見越し、隼人は先手を打って不思議そうな顔をする彼女の名を呼んだ。


「聞きたかったんだけどさ。百合子さんて、ここがどこか分かってる?」

「フロプトの本拠地」

「あー、じゃなくて、住所」


 そんなことを言われても、と百合子の眉が歪む。

 彼女は自分の足でこの屋敷まで来たわけではない。

 確かに近くまでは自分の足で来たが、最後は倒れていたのを隼人に拾われたのだ。正確な場所など分かるわけもなかった。

 一度、屋敷から抜け出してみたことはあったが、命の危機を覚える遭難を体験しかけただけで、成果は何もなかった。


 もちろん、追跡を恐れて携帯の電源は入れていない。GPSの情報もない。


 出ない答えを出そうと没頭する彼女を見かね「ここ、境界点の影響圏内なんだよ。第一境界の」と隼人は早々に正解を提示した。


「……第一、世界境界点?」

「そう」

「…………汚染国有林? 命を吸う大森林?」

「そう」


 隼人は質問すべてに肯定を返す。


「だからレーダーとかそういう索敵機能はここじゃあ無力だし、入ってこようとする人間はいない。軍人だって、偉人だって立入禁止区域。まあ、その前に入ろうとする人間がいるか、って話だけど」


 この場所を説明する隼人の言葉は、ぐるぐると低速で百合子の頭の中を廻った。

 彼女には自分が危険領域に入った自覚がなかった。辺鄙な場所であるとは気づいていたが、それも魔神の力か何かで、カモフラージュしているだけだと思っていたのだ。

 土地自体が異質であるとは微塵も考えてもいなかった。知っていれば、屋敷から飛び出す愚行はしなかった。


「あ、携帯の電波は通じるよ」と呑気な声が補足を入れる。


「貴方達、なんでそんなところに住んでいられるの」


 頭を殴られるような衝撃に動揺を押し殺し、百合子は当然の疑問をつきつける。

 虚勢を張ってはいるが、傍目にも絞り出した行為であるのは一目瞭然であった。


「そっくり返してやろうか。お前、なんでそんなところに紛れこんできた」


 間髪入れずに、百合子の努力は撃ち落とされる。


「相島百合子、何を隠してる」


 ごくり、と少女の喉が鳴る。

 ここが境界圏内であることに、衝撃を受けている余裕は奪われた。取り繕おうと口を開くが、言葉はでてこない。


 美濃は百合子と目を合わせたまま、背もたれに大きく寄りかかった。ソファーは音もなく、緩やかな反発を返しながら、主を受け入れる。


「話すまで待ってやろうと思ったが、今日で終わりだ。猶予は十分にあったろ?」


 厳しさだけの片目は、少女を問い詰めていた。

 百合子の心臓の鼓動が、緊張ときまりの悪さに激しく乱れる。


「偶然に現れた? 違うだろ? ここに俺たちがいると分かって来たな。どうして知り得た」

「は――」

「軍から逃げてきたんじゃなくて、派遣されてきたの間違いじゃないのか」

「ち、違っ」


 慌てて否定を口にするも、どもった声はしっかりと発音されない。

 百合子の対応は、まるで図星を突かれたかのようなものに聞こえた。それが、美濃の意見を取り消したい彼女を更に焦らせる。


「じゃあ、どうやってここに来た。洗いざらい話せ」

「――――っ」


 ――不都合があるから、黙っているわけではない。

 事実無根であるなら、美濃の言葉を撤回するのは簡単であるはずだ。

 しかし、百合子にはそれがどうしてもできなかった。


「じゃあ余計なことも言ってやろうか。お前、初めてスレイプニルを見たとき、取り乱さなかったな?」

「何……」

「知ってたんじゃないのか? ヒナがマグスだって」

「それ、は」


 声帯が上手く機能しない。

 短い音だけが口からこぼれ、息苦しそうにする百合子の顔色は蒼白だ。百合子の視界に映るのは、感情も熱も持たない黒い男の姿だけ。


 ――真実を話してしまえばいい。

 それだけなのに、素直な心はかたくなに拒否をする。


「信用できない相手に手札を晒せない道理はわかってやる。けどな、ここまで来てなにも喋りたくない? なら、こうやって騙して引っかけてを繰り返して、確信してくしかねぇ」


 直接的で、緩衝材を持たない矢は、一本も外れることなく百合子の心臓を射る。


「面倒だろ? 気力も、時間も無駄だ」


 一方的に受けるばかりで、百合子はちっとも反撃には出られなかった。

 嘘で取り繕うことは、不可能であると本能が訴える。


 かたかたと小刻みになる音が、自分の身体の震えで共振した椅子の音だと気付いたのは、視界が淡い色で隠されてからだった。


「やめてあげてよ、美濃君」


 恐怖の対象でいた男が消え、少年の背中が百合子の視界を遮る。


「甘やかすんじゃねーよ、ヒナ」


 甘やかす。美濃の言い分は、すでにボロボロと満身創痍な百合子の心にとどめを刺した。 


「相島。俺はお前を受け入れる気はない。うちの馬鹿二人がどう言おうとだ」


 百合子は動きの鈍い頭で、なぜか美濃が苦手であるかを悟った。

 彼には遠慮がない。

 それが彼女には慣れないことで、どう対処していいかの経験がないから、判断ができない。

 だから、近寄りたくない、会話を深めたくない。自分のぼろがでるかもしれないから。

 苦手にうろたえる自分は、自分らしくない。


「これ以上、御姫様ごっこしてみろ。お前のむかつく態度が、元帥の孫って価値を越すようなら、すぐにでも殺す」


 隼人と雅の尊厳を損なわない扱いを、百合子は当然だと思っていた。


「ああ違うな。命は奪わねえから、殺すはおかしいか」


 百合子の心臓が金切り声を上げる。

 隼人たちの能天気さと、緊張感のなさのせいで麻痺していた感覚が急速に戻ってきた。


 ――自分がどんなに足掻いても、彼らに力で敵わないことは初対面で体験済みであるではないか。こうして、言葉を遣ってやり取りをされているだけで、恵まれている。


「よかったな、鍵で」


 もっともな台詞に、百合子は顔を伏せた。

 特別な力を持つことが嫌で、鍵という異能を憎まない時はなかったというのに。この屋敷にいた自分はどうだ。嫌悪していた特別扱いをされなければ、不満をすべて孕ませた文句を投げていた。


 心臓を始点に、羞恥が身体を支配する。


「百合子さん、大丈夫?」


 なだめるように、背中をさする手は優しさの温もりがあった。その体温が、百合子の胸中を一層に情けなくしていく。


 百合子の瞳を涙の膜が覆う。


 決して滴を零さないように、耐える彼女の顔を覗き込んだ隼人は、悲痛を伝染させて顔を顰めた。


「本当に百合子ちゃんは、SSDの意図と関係ないんじゃないかしら」


 美濃からの棘を持つ懐疑を受けた百合子を気遣ってか、反応と状況でそう分析したのか、雅は悪びれもしない頭領に考えを訴える。


 完全にいじめっ子といじめられっ子の図である。いじめっ子の方は「どうだか」と雅のフォローも撥ね退け、ふん、と鼻を鳴らして悪態づいた。 


「百合子さんが、自分の意志でここに来たのか知りたかったから。っても、酷い聞き方になっちゃって、ごめん」

「ごめんねぇ。こっちも立場上、いろいろ考えなきゃいけないの」


 謝る二人は、傍観していたことを申しなく思っていらしいが、彼らに対する誹謗は百合子の中になかった。むしろ、一緒になって責められたとしても、悲しいかな、文句は言えないと考えていた。


「美濃君がああいう風にするのも、仕方なくて。俺がもっと頭が良くて、口が上手ければ、美濃君があんな役割しなくていいんだけど」


 頭領の尊厳を守ろうとする言い訳を一生懸命に伝えようとする隼人に、百合子は静かに決断を抱いた。


 少年は誰も彼もが傷つかない方法を、考え付かなかったと嘆いている。怒る気配もない彼は、百合子の目にはどうしようもない馬鹿に映った。


 それは百合子には絶対にできないことで、彼女が諦めを決める駄目押しにもなる。

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