希望と本音
第40話 作戦会議は穏やかに始まる
世の中的には休日である日曜日、フロプトが根城にする屋敷。
昼になる少し前、屋敷の談話室には、隼人と美濃と雅と百合子の四人が顔を揃えていた。
招集をかけたのは頭領である男だが、この場を仕切るのはそんな作業が一番不向きそうである少年だった。
「では、第四回、相島百合子誘拐事件の作戦会議を始めまーす」
一人だけ立ったままの隼人が、滅多に使うことのないホワイトボードの前で声を上げる。手に持った水性マーカーで、口に出した通りの表題を丸みを帯びた文字で書き記した。
小汚い字面からは、文字の表すの深刻さが微塵も感じられない。
「四回?」
怪訝そうに窺う百合子は、ホワイトボードから最前席に陣取っている。
その向かい側に雅が座り、隼人と合わせた三人で三角形を作っている。外れた位置に陣取る美濃は、部屋の一番奥、最も高価なソファーを定位置としていた。
女性二人の間に立つ隼人は、へらりと頬を緩ませて「一回から三回までは、俺達三人でやってました」と渦中の人物へ事後報告をなした。
「はあ? 私のことでしょう?」
「そうだね」
「とりあえず、議事録を出しなさい」
「へ?」
「……何よ」
きょとん、とした少年は丸くした目で、不機嫌そうな少女と見つめあう。
「いやあ、よく議事録あるって分かったなぁ、と思ってさ」
「百合子ちゃん、すっかり馴染んできたわねぇ」
司会進行役からではなく、隣から布表紙のノートが回ってくる。それを手にした数秒後、百合子は発火するかのように顔を赤に染めた。
会議、と銘打ってはいても、要は三人での座談会である。
提出する先もない議事録を用意する必要はない。が、確かにそれは存在する。
物事には形から入る隼人と雅は、自分たちの満足と達成感のために努力は惜しまなかった。
冗談など気の利いた会話スキルを使わない百合子が、知らされてもいないそれの存在を口にしたことは、議事録があると信じて疑っていなかったからだ。
フロプトというよりは隼人と雅にだが、百合子は確実に感化されている。
感染源である二人はほんわかと目じりを下げた。
「……っていうか、この題は何? 私、誘拐された覚えはないわよ」
誤魔化しきれない頬の色で、口調だけがつんけんとした彼女らしさを保つ。
「世間的にはそういうことになってるしさ」
「未だに末端軍人たちは街中を巡回してるのよ? 貴女を探して、ね」
彼女がこの屋敷に逃げ込んだ日から、おおよそ一ヶ月が経つ。
百合子の精神衛生は、閉鎖空間に閉じ込められているにしては良好であった。
三人のうち、誰かしらとは毎日と顔を合わせるし、軟禁状態の彼女を気遣えるお人よしたちは、できるだけ在宅を心がけている。
邪険にされるなら打ち解けることもないだろうが、親身に対応されれば、絆されるものだ。少なくとも、百合子は無意識とはいえ、彼らに心を開き始めていた。
「本当、SSDって暇ね」
「――お前が言えた義理か? よくもまあ飽きずに引き籠ってられんな」
変わらないのは、良い方には転がっていかない美濃と百合子の距離感。
そもそも、お互いの相性が悪いのであろう。二人を仲違させるのは、花の芽を摘むより簡単だ。
「貴方たちが不能だからこうなってるのよ。第一境界がいないと世界境界が消せない? それならそう公言しときなさいよ」
「そう公言してたとしても、どうせお前はここに来た。フロプトしか縋れる先がないからな」
二人が言葉を交わせば交わすほど、空気は張り詰めていく。そのうち、張りすぎた糸が破裂音と共に切れてしまうのではと心配になるほどだ。
「はいはい。喧嘩じゃなくて、会議をしようね」
ぱちん、と手を打って、淀んでいく空気を止めたのは、普段以上に浮かれている隼人である。
百合子が来てからのすぐの頃、隼人は不調の嵐であった。
寝不足での失態、失敗を連続する作戦、補習をかけたテスト。どれをとっても不名誉な実績を残している。
しかし、今は違った。
頭を抱えていたテストではなんとか赤点を回避し、毎日充分な睡眠を貪り、健康管理も雅が手を焼いている。
趣味という名のイオンの軌跡を辿る行為に、時間が許す限り没頭し、心の充足も申し分ない。
アンバランスでいた隼人の精神状態は、日常を謳歌することによって、すこぶる絶好調となっていた。
「まずは、百合子さん」
「……何よ」
「百合子さんが持ってる情報、全部出してもらえる?」
タンポポのような、素朴で可愛らしい花を周囲に咲かせるような笑顔を浮かべ、隼人はおねだりするように両手を合わせた。
これぞ議事録、とばかりに手本のような記録内容がまとめられている冊子に目を落としていた百合子は、笑みを絶やさない少年に視線を奪われ、かすかな動揺に肩を震わせた。
「情報……? ドールについては、この前話したので全部よ」
「え? ドール?」
「あぁ、隼人は途中で寝ちゃったからねぇ」
きょとん、とする少年に、雅は掻い摘んで説明をする。
こういった時こそ議事録を開くときなのだろうが、残念ながら、作戦会議でもない言い合いについては残されていなかった。
余談であるが、百合子の母親が使っていた端末は、この作戦会議が始まる数分前まで美濃に奪われたままであった。
ようやく、百合子の手元に端末が戻ってきのはついさっきだ。しかも、美濃からではなく、雅からの返却である。
「隠し事はなしにしようなァ。お嬢さん」
隼人が遅ればせながらの情報を仕入れ終えるのを待ち、美濃は薄ら笑う。
まるでこの部屋の中に物理的な高低差が存在するかのように、完全に見下した物言いで美濃が百合子を蔑んでいた。
「兵器のことでもSSDのことでもない、お前自身の話を聞いてる」
「……私?」
百合子は遠くに位置する美濃と視線を交わらせ、彼の真意を探ろうとする。
にたり、と器用に片方だけ持ち上げられた口角、誤魔化を許さないと伝える冷たい隻眼。彼の要求が強制的な命令であると、百合子が気づかないわけがない。
「一ノ砥からの取引があった。百合子さんがここに来た。その間には何があったの?」
「……家から、逃げ出した」
ここにいる誰もが分かっていることであろう。
百合子のどうしようもない返答に雅は苦笑する。百合子が詳しく語りたがっていないことは、態度で明らかだった。
しかし、それを放置する段階はもう過ぎてしまっていた。
「まぁ、百合子ちゃんがフロプトに保護されてるのは、SSDでも把握してるわよ」
「え?」
そんな可能性を考えてもいなかったような、呆けた呟き。
「百合子ちゃんがいなくなって約一ヶ月。さすがに見つからなさすぎるからね」
雅は手元に置かれたバインダーを捲る。
フロプトの作戦会議に持ち込んでいる雅の私物の中身は、SSDの持ち出し禁止の情報ばかりである。
重要機密を誰かから盗むことは難しいが、秘密を扱うことを許されている彼女には簡単なことであった。盗む相手は自分、正規の職務で手にする情報を連れ出すだけなのだから。
「どうしてフロプトだって……」
「分かるわ。反抗期の延長戦でレジスタンスをやってるような連中にしては、手際が良すぎるもの」
「組織としてきっちり確立して、機能してるレジスタンスってのは少ないからね」
隼人も入り混じって、雅の説明に色をつける。
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