第42話 すべてはその手の内
そもそも、百合子が能力を晒すことを嫌うのは、過去の経験のせいであった。
百合子の五歳の誕生日。彼女自身は告白するつもりなどなかったが、結果的に母親に鍵であることが知られることになった。
その後、百合子を待っていたのは、家族の崩壊とSSDの所有物となる宿命。
普通の生活を保障されてはいるが、見えない首輪は何時だって百合子から自由を奪う。
「第八世界境界の能力は、過去を見ること」
すべては自分が鍵であったために、起こったこと。
それを口にすることは、絶望だと、百合子は五歳から今までの生活で嫌というほと実感していた。
「……百合子さん?」
――覚悟は決まった。震えも止まった。
背中に添えられていた隼人の気遣いを止めさせると、百合子は遠い目をして「八番の能力よ。過去を見るの」と繰り返した。
「所詮、鍵でしかない私には、強い残留思念のある物品の過去しか、見れないけど」
百合子はポケットの中を漁る。
ずっと肌身離さずに持っていたのは、手のひらで十分と隠せる大きさの白の破片。
「祖父は私に能力の鍛練をさせたがってて、これは今回の課題だったの」
見る人間には、ゴミにしか見えないだろう鉄屑。
隼人は百合子の手の中にあるそれを拾い上げた。金属片、ひびの入った塗装。
どれかの覚えはないし、まったく関係のないものかもしれない。だだし、よく知っているものだとは分かった。
「――これ、メルトレイドの外装?」
「フロプトの情報を知りたい、って祖父は言った」
メルトレイドから剥がれ落ちた外装。
「これに見えたのは、機体が体験した出撃の光景」
深い黒い瞳は、垣間見た過去の光景と今の光景とを重ねる。
スレイプニルを含有するマグスで、メルトレイドのパイロット。へらへらと優しさをまき散らし、赤点に怯える馬鹿な少年。
「――貴方を見たわ、雛日隼人」
呼ばれた名前に、隼人は全身が粟立つのを感じた。
「俺が乗ってた機体の、破片?」
「そうよ。魔神捕縛を邪魔しに出てきた、フロプトの少年」
誰が分かるだろうか。
剥がれ落ちた破片から、名前も所属もばれるなどと。過去を見る、という行為で、そこまで情報が奪われるなどとは、予想もできなないし、防ぎようもない。
隼人は血の気が引いていく感覚に苛まれる。ぐるぐると回る視界に吐き気を覚えた。
隼人は縋るように、胸の上に当たるピアスを服の上から握る。
「出撃の間に見える景色を見て、調べて調べて、調べつくして、ここにたどり着いた」
「ちょっと、待って。ごめん、話し遮るけど」
「ええ」
「俺の、その、情報は、SSDにばれて……? ここも? フロプトのこと、どれだけ」
隼人の頭を占めるのは、百合子がここにたどり着いた方法よりも、己の情報がSSDに与えた恩恵はどれほどなのか、である。
隼人自身の失態ではないが、責任を覚えずにはいられない。
「そんな顔しなくても大丈夫よ。私、能力は上手く扱えない、ってことにしてるから」
世界の終りかのように嘆く少年の肩を、百合子が柔らかく叩く。
「えっと、どういう」
「まあ、本当に使いこなせてないんだけどね。自分の意志で見えてたら、私はSSDの道具街道まっしぐらだわ」
百合子は自分が持て余し、拒絶する能力を嘲笑った。
「私が見た光景は、誰も知らない」
隼人はゆるゆると肩の力を抜き、血の気を取り戻す。
肩に置かれた百合子の手を握ると、ぎゅうと握りしめた。先ほどまで、安心感のある温もりを持っていたはずの少年の手は、冷や汗で濡れ、指先が冷たくなっている。
百合子は弱々しく、その手を握り返した。
「相島」
絶対零度、冷徹をまとう美濃の口調は、例え百合子が真実を語ろうと熱を持たない。
「第一世界境界点影響圏内のおおよその位置は知ってるな?」
「勿論」
「ここは第一境界だ。影響圏の境目に沿って、無人だろうと監視装置はある。主要道路には検問もあったはずだ」
「……貴方たちがいるのが境界圏の傍だっては、分かってた。でも、圏内だとは思ってなかったの。それに、検問があるのは知ってたから、本当に駄目で元々、家を飛び出て来ただけ」
美濃の聞きたいであろうことを汲み取り、百合子は淡々と答えを返す。
「――警報器の警備メンテナンス」
雅は視線を落とすと、思い当たる節を口にする。
丁度、百合子が来た日、第一境界圏の警備メンテナンスがある、とSSD内だけでの業務通達があったのだ。何の前触れもなく沸いた話しに、雅はすぐに情報収集に乗り出した。しかし、彼女の手腕を持っても、詳細は不明であった。
「百合子ちゃんの行動を黙認するためだったのね」
急遽の予定を不審がっていた雅は、納得したと何度か頷く。
「警備がなかった上、第一境界点は沈黙してるから、境界圏を示す線も光ってない」
「境界圏内に入っても気づかなかった、か」
圏内と圏外を分ける境界線は、境界点が機能していなければ同じく働かない。明確な線は常人では、感づくこともない。
「一歩間違えば、死んでたかもしれないわね」
過去の自分の行動が、危険で軽率だったと知り、百合子は自嘲する。
彼女の乾いた笑いは「それはないよ」と、事の深刻さに顔を暗くする隼人の否定で遮られた。
「私たちがここを拠点にしている以上、侵入者を放ってはおかないもの」
「……鍵は、用途の幅が広い。どんなにくそ生意気でも、ポイ捨てなんて勿体ない事できねぇ」
全員の頭の中に、一つの考えが浮かぶ。
「ってことは、SSDはフロプトが第一境界を根城にしてるのを、知ってるってことになるね」
代表して意見をまとめた隼人の言葉に、空気が冷え切る。
室温が下がったわけでもないのに、悪い予感は肌寒さを覚えさせた。
「どうなんだよ」
予想外が発覚し、ぶすっとした美濃が、SSDとフロプトとの情報パイプである雅に尋ねる。
「知ってたら言ってるに決まってるでしょ! でも、こうなるとそうなんでしょうね」
百合子の祖父、元帥の役職に収まる男は、本当に重要な情報は秘書にもこぼさない。
鍵があることは知らされていても、それが百合子であるだとか、能力、番号などについては知らされていなかったのがいい例だ。
百合子が鍵だと知らされたのは、公開捜索に踏み切る一週間前のことだった。 フロプトが第一世界境界点の影響圏内を拠点にしていることを、SSDが把握していると知り、一番驚いているのは雅であった。
「じゃあ、SSDから逃げてきた百合子さんが、フロプトに転がり込んできたんじゃなくて――」
「SSDが百合子ちゃんをフロプトに隠した」
導き出された結論に、誰も有益を見出せない。
「……結局、おじい様の手の内」
百合子は拳を握り、悔しさに唇を噛みしめた。
その手から逃げたはずなのに。命を取引材料にされるのが嫌で、自分の感情で動いたつもりであったのに。
「落ち着いて、落ち着いて」
今に血の涙でも零しそうな百合子を前に、隼人は引き換えて冷静になる。とんとん、と緩やかに背を叩く動作は手慣れていた。
百合子は鉄の仮面をかぶって、他人行儀を努める。しかし、本質はネガティブであり、落ち込みやすい。そんな百合子を慰めるのは、世話係である彼の仕事だった。
度々と繰り返されている行為。パーソナルスペースを侵す距離感と生温い優しさに、百合子も慣らされていた。
「……無理しないで、休む?」
今日も今日で発揮される隼人の気遣いに、ふるりと首を一振り、退室を拒否する動作。
百合子の傍を離れた隼人は、ホワイトボードの前に戻った。
「じゃあ、百合子さんの潔白も確認したし、次はSSDのこれから取りうる動きについて、と」
重苦しい空気は簡単に払拭できない。
せめてもと、元のテンションを装い、隼人はマーカーのキャップを外した。きゅっきゅ、とマーカーがボードの上を滑る音が鳴る。
「SSDは一ノ砥を討ちにいくわ。どうしても研究所――ああ、遺跡って言った方が百合子ちゃんと隼人には伝わるかしら?」
「一ノ砥が交換条件に持ってきてた、公開したい遺跡?」
「ええ。遺跡じゃなくて、研究所だったんだけど。表に出るのは避けたいみたい」
百合子も隼人の行動に乗りかかり、ホワイトボードの前に立つと、隼人の手からマーカーを奪う。
バインダー片手にさらさらと文字を並べて行けば、空白は半分まで埋まった。
同じマーカーを使ったとは思えない筆の遣いである。
「SSDの作戦は?」
入れ替わり、雅の席に腰を下ろした隼人は、挙手して質問を投げかける。
「主戦力は例の兵器。カトラル少尉を補佐で使うわ」
「機動一班じゃなくて、カトラル少尉単体が補佐?」
「ええ。誰かさんたちのせいで、機動一班は強制休止だもの。少尉の専属オペレートに須磨少佐がつくの」
雅の手によって、アーネスト・グレイ・カトラル、須磨未来と名前が並列する。
「……そう、完全戦略が」
隼人は気落ちを含ませて呟く。
居合わせる仲間の耳には、優秀な人材の投入に委縮しているように聞こえた。
隼人と未来は気ままに顔を合わせては、他愛ないことを話す。意味もなく連絡を交わし、親友と称して間違いないと二人とも思っている。
一ノ砥を討つ作戦ならば、戦場は境界圏内。そうなれば、境界影響で障害を受けるオペレーションも、正確な情報を得るために、同じく圏内から行うことになる。
立場上、敵対していても、その身を心配するのは友人として当たり前であった。
「で、俺達はどうするの?」
隼人はくるり、と座ったまま首を後ろに向ける。
思考する間もなく「俺らはオーディンを探す」と美濃が方針を述べた。オーディンを探す、と声に出しながら板書する雅は「いつも通りね」と笑った。
「一ノ砥が死のうが生きようが、フロプトには関係ねえだろ」
境界点を消すことを目的にしているのだから、完全に無関係とは言えない。
しかし、状態が整っていないフロプトが安全を確保したいのは鍵くらいのもので、SSDも境界線も境界も好きに争ってもらってからで、損得勘定は遅くない。
「だが、これからの展開が分からない以上、とにかく機体のストックが欲しい」
美濃の言葉に隼人は短く唸る。
第八境界圏付近での回収作戦は失敗した。その上、前回の出動、スレイプニルの行動を縛りきれなかったせいで、機体ひとつを破棄せざるを得なくなったのだ。
増やすどころか、減らしてしまったことへの罪悪感は彼の心に溜まっていた。
「行ける日は全部、機体回収だ。ヒナは空いた時間は寝とけ。雅は放置機体の情報収集。決行日は午後六時までに招集かける」
美濃の物言いは、総括にかかっているようである。
「今日は回収に行くからな、用意しとけ」
「はあい、了解」
「了解。……美濃君は何するの?」
「俺は仕事がある。じゃ、解散」
おざなりな閉会の言葉に、隼人と雅は一瞬のアイコンタクトを交わした。お互いの考えに相違がないことを察し、二人同時に落ち込みを隠せない百合子へ向き合った。
「百合子さん、おなか減ってない? もうすぐお昼だけど!」
「減ってない」
「ええと、じゃあ、お茶でもしましょう――」
「悪いけど、遠慮するわ」
俯いたまま、とっとと退室してしまう少女を引きとめる声も動作もない。
「美濃君……」
「あー?」
美濃が座れば、ただのソファーも王座と化す。周囲のものすら自分の影響下に置く頭領は、酷く落胆していた百合子のことなど、どうでもいいらしい。
隼人の咎める視線の意味が分からないように、青年はこてんと首をかしげる。
「さすがに、あんなに酷いこと言わなくてもよかったんじゃ」
「ヒナ、下手は打つなよ」
会話のキャッチボールは成立しない。
「……弱みに付け込むみたいで気乗りはしないなぁ。もっと正々堂々さ――」
「さっさと行け」
隼人へと投げられる球はどんな暴投でもこぼれ落ちないが、隼人から美濃への球はどんなに取りやすいものでもスルーされるばかりだ。
「はーい、いってきます」
「無理があれば、スレイプニルの足で帰ってこい」
「ああ、うん。多分大丈夫だと思うけど、了解」
軽い足取りで百合子を追いかける少年が消えると、次は雅が美濃を咎める番である。
「ねえ、美濃。本当にいいの?」
気乗りしない、と言う隼人と似たり寄ったりな表情の雅に、美濃はようやく表情を変える。
彼女が言いたいことは分かっているらしい。
「何が悪い」
口を出る言葉と、表情が噛み合わない。不機嫌の中に、どこか後悔を陰らせる表情に、雅は浴びせようと思っていた暴言を飲み込んだ。
そんな顔をされては、責め立てることもできない。
「……ううん。美濃がいいなら、いいの」
美濃は何も言わず、足を組み変えると、ぼんやりとホワイトボードを眺めた。
相島百合子誘拐事件から始まり、オーディンを探す、に収束する。
これから起こりうる先を思い、美濃は静かに視界を塞いだ。関与する人々の心中には、複雑な感情とそれぞれの譲れないものがある。
「俺達が総取りで、勝ち取るためだ」
事はもう動き出している。止められる術を持つのが誰なのかは、誰にもわからないし、その術を持つ本人ですら自覚を持っていないだろう。
止まらないことだって、あり得るのだ。
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