第39話 新しい力を手を手に入れる
「パイロット捕縛作戦成功後、君たちに一ノ砥掃討作戦の全容を説明する」
未来とカトラルは、相島の言葉に同じように目を細めた。僅かに眉間にしわが寄る。
「……ふーん。キミたちって俺と須磨君ですか。ってことは、博士たちは既に知ってるんですね」
責めるカトラルに、肯定も否定も返されない。
部屋の空気を不穏に陰らせるのは主にカトラルが原因だが、それを緩和させようという人間がいないのも問題である。
ここに集まっている人間は、全員、個の主張が強すぎる。
誰もが誰も他人事のようで、協調性の欠片も見受けられない。
「元帥」
未来の声は、覚悟を孕んだもので、無秩序を絵にかいたような室内を制した。少なくとも、イオン以外の視線は彼が奪った。
「さっき言った僕の条件だけど、この件に関して知らない情報をなくしたい。第八境界のことにしても、鍵のことにしても、一ノ砥の放送の真偽についても、です」
ぎらり、と未来の欲望に満ちた目が光る。
カトラルは合点がいったと横目で隣に座る少年を見やった。
軍の扱う情報は地位に応じて公開範囲が決まっている。秘密が大きければ大きいほど、地位のある人間にしか公開されない。
今回の議題はそういった機密だ。
未来が世界境界に関する機密情報を手に入れようと思えば、それは幾度も出世を重ねなければ実現できない。
そして、今、少年に舞い込んできたのは地道な道をないものとする足掛かり。
未来は功績を挙げる引き換えに、特別の立場を寄越せと主張している。
「いいだろう。君たちには情報開示においての特別権限を与える。が、話はフロプトのパイロットと引き換えだ」
自らの希望通りの返答に未来は綻びそうになる頬を引き締め、歓びが滲む声で「了解」と了承する。感情の高ぶりを、拳を握ることで誤魔化した。
カトラルには未来がどうしてそんなに嬉しそうなのか、ちっとも分からなかった。
軍事なんて仕事でしかない。仕事なんて、そこそこにしておけばいいのに、というのが青年の主張だ。
第一世界境界の行方、若桜が公開したがっている研究所。この作戦には明かされていないことが多すぎる。
そのすべて――更には、その先の情報までをも引き出す鍵こそが、フロプトのパイロットを捕縛すること。
カトラルは仕方なさそうに肩をすくめた。
乗り掛かった舟である上、相方とも呼べるオペレーターが何よりも乗り気だ。カトラル自身もフロプトのパイロットとの交戦という楽しみも見つけられた。
今更、嫌とは言わない。
「それまでは理由も知らずに働けってことですね。あ、俺はそんな権利いらないですよ」
「……ただ素直に、了解って言えないの?」
「俺のお口は素直ですよ。だから、正直に言いました」
戯れ始める二人を置いて、相島は進行役である雅に「菱沢、須磨へ必要説明をしておけ」と指示を出す。
「須磨の準備に不足があってはいけない。彼の質疑には可能範囲ですべて回答しろ」
「……了解」
鉄壁をまとっていた秘書の表情がわずかに崩れる。真一文字であった口元がひくりと痙攣していた。
雅にしてみれば是非とも遠慮したい命令であった。
「吉木、アクロイドも同じくだ」
「え? 博士たちにも質問していいの?」
未来の声色の喜びは増すばかりだ。
浮足立っている未来は、どこか遠い目をしている雅を見上げ、こてんと首を傾げた。
無遠慮に年上の博士らを指差す少年に、吉木は喉で笑う。
「私たちはそのために呼ばれたからね。私に答えられることならなんでも」
吉木は楽しそうにぱちん、と一度だけ手を叩く。
笑う以外の表情をしない白衣の男を見据え、未来は小さく頷いた。
「そ、じゃあお言葉に甘えて」
――聞きたいことは山のようにある。
未来はまず疑問点をまとめることから始めた。口元に手を当て、目が泳がせる。
まるで、彼には見える文字があるように、きょろきょろと動く視線は確かに何かを追っていた。
黙った未来を前に、吉木はカトラルの放った作戦概要を拾い上げ、雅は変わらず明後日を見つめている。イオンは自分の役割を分かっているかも定かでない。
脳内整理を始めたオペレータを横目に、カトラルは勢いよく立ちあがる。
――今、この瞬間を逃せば、チャンスはないかもしれない。
「さて、話も一段落。俺は須磨君みたいに質問もありませんし、見たくない顔もいるので、先に退室させていただきますね」
「丁度いい。ついてこい、カトラル」
カトラルの企ては瞬間に抹消された。
「……ちょっと遠まわしでしたかね。元帥のご尊顔を見ていると、緊張で胸がはち切れそうなので、先に――」
「行けよ、少尉」
おおよそ攻撃力のない蹴りが、面倒くささ全開の青年の膝の裏を襲う。力が加わるまま前のめりに、がつん、とテーブルに足をぶつけた青年は、恨みがましく相方を睨んだ。
カトラルはこれが逃げられるものではないことは分かっていた。
いくら当人に従う気はなくても、相手は最高権力者。力を持たない者が折れるしかない。
カトラルを待たず、先に部屋を出た相島は、颯爽と一人で歩いて行ってしまう。後ろに気を回す素振りは一切なかった。
カトラルはポケットに手を突っ込むと、嫌々という感情を隠すことなく部屋を出る。その顔には不本意だとはっきり書かれていて、日本支部元帥を前に無粋どころの騒ぎではない。
「……さて」
威圧感と不真面目がいなくなった部屋。
随分と居心地良くなった雰囲気に、未来はようやく肩の力を抜く。
本人が思っていた以上に強張っていたのだろう。少し動かしただけで、ばきばきと大きく骨が鳴った。
「僕、聞きたいことたくさんあるんだ」
普通の十五歳の少年が、社会見学に来た魔神掃討機関で発した言葉なら可愛げもあっただろう。しかし、実際に口に出したのは完全戦略とまで呼ばれる兵士だ。
残された面々はそれぞれが違った面持ちであった。
吉木は手にしたフロプトのパイロット捕縛作戦書を読むことを続けている。たまに感嘆の息が漏れ、その内容を噛み締めていた。
紙束をめくるスピードは、書かれた文量からすれば早いものであるが、未来と比べれば倍以上はかかっている。
彼の手が空くにはまだ時間がかかりそうだが、未来がそれを待つ理由はない。
雅は相島から告げられた命令に、これからどれほどの労力を必要とするのかを考え、溢れる憂鬱に胸中で泣いていた。
須磨未来は知的探求心の塊。そんな彼の満足がいくまで質疑応答をするなど、いつ終わるのか目処もつかない。
「――僕、退室して良い、なんて言ったっけ?」
突然に未来の冷ややかな声が響く。
丁度、未だに沈黙を守っていたイオンが、壁から背中を離したところだった。
完全に立ち去るつもりだったのだろう彼女は、ようやく濃紺の瞳に光の侵入を許す。
ぱちり、と瞬くその目は無感情なものだ。
「アクロイド博士にも山ほど聞くことあるから、ここ、座ってくれる?」
イオンは博士という肩書を持つ人間の中でも特殊な立場にいた。
機関総出の実験や、政府公認の研究など、特別な案件に関わることが多い。それはひとえにイオンが才能に溢れるが故であり、地位の高さは関係ないのだ。
どんなにイオンが優秀だろうと、彼女には軍事力を動かす権力はない。
今、この部屋で一番に権力を持つのは、元帥の後ろ楯を得た最年少の少年なのである。
出てきた扉の向こう側など露知らず。
カトラルは、答えのでない二択をぐるぐると脳内で回していた。
未来が生きる人間を並べ、情報データベースと扱っているあの部屋に戻るか、苦手でいらつきすら覚える元帥と施設内散歩するか。
――どっちも遠慮したい。
あの部屋から選択肢を選ぶなら、雅と施設外デートが彼の希望選択であったが、叶うわけもなかった。
軍事などという物騒さを微塵も感じさせない綺麗な廊下。
相島とカトラルは妙な距離を開けて、縦に並んで歩いていた。
たまにすれ違う同僚たちからの挨拶に、相島は口頭だけで返答をし、カトラルは手を挙げて応じる。
元帥とエースパイロットが、一列になって歩く様はどうしたって目立つ。こそこそと騒ぎ立てられるのは避けられなかった。
「……ところで、お孫さんはお元気ですか?」
不意に、カトラルは思ったままを口に出した。
理由はなにもない。本当にぽっと湧き出た疑問を投げただけ。
「居場所は知らないが、生きてはいるだろう」
「……本当に行方不明なんですか? 先ほどの作戦を聞いて、てっきり嘘かと」
「この作戦に鍵は必要ない」
相島から返ってきた返答は、青年が予想していたものではない。
カトラルは鍵の紛失さえ、元帥の企みの一部ではないかと疑っていた。しかし、どうやら違うらしい。
相島の能面が崩され、少しばかり滲んだ感情が、孫娘の不在が本当であると知らせている。
「鍵の回収は境界点を沈黙させてからで遅くはない」
「じゃあなんで捜索活動なんてやらせるんですか。俺も街中を練り歩きましたよ」
「゛いない゛ことを一ノ砥に感付かせるためだ。一ノ砥は境界圏内から動いていないが、外に情報網を張らせている」
それにはカトラルも納得であった。
定例放送を繰り返す若桜は、視聴者に気を使っているのか、多彩な情報を元に、日替わりで話題を提供する器用さを見せていた。
どこから仕入れているのかは知れないが、毎日と桜の森を越えて、圏外に出て行くのは容易ではないだろう。となれば、外に伝があると推察するのは当然だ。
「じゃあ、気になっちゃうのは、どうしてお孫さんに自由を許したか、なんですけど」
「これ以上は今、話せるものではない」
会議室や休憩室の事務室を通り越し、建物と建物をつなぐ渡り廊下を越えた。メルトレイドの格納庫まで来たところで、すれ違う人の数がぐんと減る。
この先に用がある者と言えば、メルトレイドに搭乗するパイロットか、その機体を整備の技術士か。決まった職種の者だけだ。
「――ああ、カトラルは情報開示には興味ないんだったな」
ふん、と鼻で笑う相島に、カトラルはむすりと口を噤んだ。
「……俺と須磨君とで、態度違いすぎません?」
「そっくり返そう」
メルトレイドの格納庫は、作戦班毎に格納庫が設けられていた。
廊下の両脇には班名の書かれたシャッターが並んでいる。その中には、それぞれの班で使用する機体が格納されていた。
メルトレイドを使った任務は掃討任務と捕縛任務に分けられる。班名は担当作戦と通番で振り分けられ、数字が小さいほど、高度な任務に対応できるような配属が決められていた。
例えば、カトラルが属する機動一班は、掃討作戦担当で一番有能なチームである。だからこそ、他の班よりも出撃回数が多い。ゆえに、機動一班の格納庫は格納庫に入ってすぐの一番良い場所を与えられていた。
機動一班用の格納庫を通りすぎ、二人はどんどん奥に進んでいく。
シャッターに書かれた数字が増えれば増えるほど、格納庫の奥に進むことになる。カトラルは格納庫をこんなに進んだことはなかった。
結局、二人の足が止まったのは、すべての格納庫を越えた最奥のシャッターの前。
カトラルは目の前の扉の上に掲げられたプレートに、目を見開かずにはいられなかった。どんなに瞬こうと、見間違えではない。
”零番格納庫”の文字。
「ここって……」
――話には知っているが、自分には関係ないものだと思っていた。
動揺に戸惑うカトラルに「どうした? 入れ」と相島はそそくさと扉の先へと進んでいく。必要物資を搬入する為に、大きく設計されたシャッターは、特別なキーがなければ開かない。
カトラル一人では、侵入を許されない領域。
「嘘でしょう? だって、ここにあるのって――」
カトラルは見慣れない格納庫の中に息をのんだ。
彼がいつも出入りをしている機動一番格納庫とは、内装からしてまったく違った。一機、一機、格納される区画が分かれていて、それぞれが丁重な扱いのもとに管理されていることが分かる。
そして、その並び立つメルトレイドたちは、カトラルが乗っているものと明確に違う点が一つあった。
「これ全部、専有機なんですか」
専有機――、魔神の異能を操るメルトレイド。
魔神をエネルギーに動く機械人形を汎用機とするなら、魔神が機械人形を肉体にしているのが専有機だ。
「そうだ。レプリカに上級魔神一体のみを組み入れ、メルトレイドを限りなく魔神の身体として扱うための”専有機”」
カトラルは自分の心臓が歓喜に鼓動を打つのが分かった。
「……俺が使って良いんですか」
「そのための機体だ」
零番格納庫に収まるメルトレイドは、どれ一つをとっても特別である。
そのため、零番格納庫へと足を踏み入れられるのは、上級軍人である緑服の中でも一握りしかいない。
それ以外には選ばれたパイロットだけだ。
ここには常在の技術士は一人もいない。そもそも、いる必要がないのだ。
もし破損や故障をしても、機体自身が己の治癒能力を持って回復を図る。大破すれば話は別だが、そんなこと多発することではない。
メンテナンスが必要だとすれば、魔神の自我を殺す為の制御装置の整備くらいのもので、それを担当できるのは技術士ではなく科学者だ。
今回、めでたく選ばれた一人に名を連ねることになったカトラルは、未だに突き出された現実を掴み切れていなかった。
相島は零番格納庫の中で、四番の数字の前で止まる。
「専有四番機、
メルトレイドを照射する灯りがつけられ、魔神の命を持つ機械人形は姿を露わにする。
白い外装、丸みを帯びた人型のフォルム。機動していないメルトレイドは、汎用機と寸分なく変わりない姿だ。
安全柵の向こう側、ケージの中の機体にカトラルは限界まで近寄る。勝手に動きはしないが、漏れだす生気を感じて、身が震えた。
機械の体ではあるが、確かに命が息づいている。
汎用機とは違う。生命の存在感。
カトラルの心をを揺らすのは、恐怖ではない。
「能力は?」
「血液摂取による速度強化」
「……なるほど、俺向きですね」
「能力の行使については君と須磨の判断に任せる。汎用機の機体スペックでは、彼に太刀打ちできないだろうから用意したものだ。活用してくれ」
それだけを言うと、相島はメルトレイドのキーをカトラルへ投げつけた。ぱしん、とカトラルは片手でそれを受けとる。
硬貨ほどの大きさのキーレプリカは、メルトレイドを動かすために必要なもの。パイロットと機体を繋ぐための、魔神の世界の技術で作られた鍵だ。
「ここには君のIDで出入りできる。必要があれば須磨にも権限をつけよう」
相島はカトラルだけを残して、遠ざかって行く。一定のリズムで鳴る足音はシャッターの向こうへ消えた。
残された青年は手のひらの上、鮮血に似た赤色のキーを眺めた。それから、機動をすれば、同じ赤色のラインを身体に走らせるだろうメルトレイドとそれを見比べる。
メルトレイドという宿主を得た魔神。
生存本能だけを残され、自由意思を持つことを許されない命。
「……彼に太刀打ちできない、ね」
カトラルは手の中のキーを指で宙へと弾いた。
加えられた力で飛ぶことのできる頂点まで到達したレプリカは、きらきらと赤い輝きを散らしながら落ちていく。
カトラルは手元まできたそれを握り取ると、おもむろに手すりを掴み、床を蹴り上げた。
青年は自分と機体とを隔てる柵の上に立つ。
細い手すりの上、ふらつきもせずに仁王立ちするカトラルは、鮮麗絶唱を見上げた。
機械の瞳に視線を合わせる。
「キミの言葉を聞く日は来ないと思いますが、せいぜい俺の手足として頑張ってくださいね」
カトラルは柵の上から機体に飛び移った。
自分の機体に乗るならば、正規の手順で乗ればいいものを、彼は磨かれた外装に粗雑に足をかけた。
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