第38話 変人は変人にしか理解できない

 カトラルによって、ぼさぼさに乱された未来の頭は、髪色のせいも相まってまさに鳥の巣のようだった。


「で、俺を説得してまで、どうして任務を受けたいんですか?」

「僕、優秀かつ模範的な軍人だから」

「丸め込まれてあげるのは、一度までですよ。もう回数制限オーバーです」

「……長いものには巻かれとくのも、たまには必要でしょ」

「…………」


 未来の口元は綺麗な弧を描いている。手本のような笑顔であるが、白灰の瞳は誤魔化されなかった。

 カトラルは無言のままで、問い詰めるように未来をねめつける。造形が美しいせいで余計な迫力があった。均整の取れた顔であるからこそ、その表情を染める感情が歪むことなく伝わってくる。


「断る理由がないから、だよ。っていうか、普通に考えて断る方がおかしいんだから」


 未来は両手を挙げて降参を示した。

 しかし、一向にカトラルの無言の追及は止まらない。

 カトラルの気が変わらないうちに、元帥が戻ってくればいいけれど、という未来の要望は簡単に叶えられた。


 未来が柔らかな癖っ毛をいそいそと手櫛で直し終わる前に、一つしかない出入り口は再び開く。

「はは、随分とタイミングがよろしいようで」とカトラルは悠々自適な態度を隠しもせず、上官の帰還を迎えた。


「感謝しよう、須磨。心痛む行為をしなくてすんだ」


 本音なのか、建前なのか。

 カトラルには見向きもせず、相島は感情の欠如した顔で未来を褒める。

 赤服の秘書が開けた扉から、相島は退出前に座っていた席へと戻った。それから、開けられたままの扉に向かって「入ってくれ」と指示を下す。

 しかし、部屋の境界に立つ秘書は一歩も動かない。

 代わりに入室をしたのは、汚れのない白衣を着た中年の男と同じ色を翻す成人女性であった。


 二人の登場にぴくりと、カトラルの肩が揺れる。

 カトラルは反応してしまったことを誤魔化すように、無意識に長い足を組んだ。


「では、遠慮なく、失礼します」

「……」


 あいているソファーはあるものの、女は座ることをしなかった。腕を組んで壁に寄りかかれば、ゆらゆらと編まれた長い髪が揺れた。

 男は相島の横へと腰を降ろす。それから、ようやく秘書の女性軍人が応接室の扉を閉めた。


 ローテーブルを挟んで男が四人。輪に混ざらず、部屋の際に女が一人。

 そして、もう一人の女は、全員の目線が集められるスクリーンの前に立つと、ただでさえしゃんとしていた立ち姿を一層に正した。


「ここからの作戦会議の進行は私、情報課分析官の菱沢雅が努めます。僭越ながら、相島元帥の秘書も兼任させていただいております」


 バインダーを片手に挨拶を述べた雅は、参加者全員の顔を見渡して「よろしくお願いいたします」と付け加えた。


「各々ご存じかもしれませんが、ご紹介させていただきます」


 緩やかに伸ばされた手を使い、雅は自分から一番手近にいた男を示した。


「こちら、事務兵科学課所属、吉木博士。奥に立たれているのが、同所属、アクロイド博士」


 吉木は雅の声に合わせ、機動一班の二人へと会釈してみせる。

 イオンは我関せずの姿勢を崩すこともせず、更に瞳を閉じていていた。話が聞こえているのかも怪しい。


「続きまして、事務兵作戦課の須磨少佐、そして、戦闘兵メルトレイド部隊のカトラル少尉。お二方ともメルトレイド部隊機動第一班の所属です」


 探るような目線で人間観察に勤しむ未来の分も、カトラルが手を振って愛想を振りまく。しかしながら、それを受け取ろうとする相手はいない。


「アメリカ本部事務兵科学課所属、雛日博士と同所属、アクロイド科学課統括の両名も本作戦に参加予定でした。しかし、雛日博士は別件で動けず辞退。アクロイド科学課統括は娘にすべてを一任すると」


 博士の称号を持つ四人の名前は、研究所を歩き回ることがないカトラルでも知っている名前だった。

 カトラルは組んだ足の上に肘をつき、頬杖を作るとにこにこと雅を見上げる。


「学会でも開くんですか? すごい面子ですね」


 一人だけの戦闘兵であるカトラルは、参加予定であった二人を含め、全員が集合したこの部屋を想像してみた。

 白衣ばかりの中、堅苦しい言葉遣いで難しい単語が行き交う。未来ならば会話にもついていくだろうが、自分は早々に両手を上げるだろう。

 今でさえ、居心地の悪さに落ち着かないのだ。


「須磨に聞いただろう? 我々が行うのは、学会ではない」


 どうでもいいようなカトラルの冗談を潰したのは、相島の嘲笑であった。表情筋は動いていないが、薄い感情の起伏が耳で聞き取れる。


「第八境界線――一ノ砥若桜の掃討作戦だ」


 男の声は威圧感と嫌悪感に満ちていた。

 心底から昇ってくるような憤りを含んだ低音に視線が集まる。相島はどの視線にも応じずに、まるで演説かのように言葉を続けた。


「この作戦は実質、ここにいる六名でのみ情報の共有を許し、準備から遂行、作戦を全うすることになる」


 世界境界線の掃討。

 驚きを見せる人間はいないが、室内の雰囲気は正常ではない。


 吉木はにやにやと至極満面の笑みであり、カトラルはむすっとして頬杖をつく悪態ぶりだ。この部屋で感情という感情を表に出しているのは、この二人だけである。

 未来は仮面をつけたように眉一つ動かさず、口を結んだ雅はちらりちらり、と眼球だけで周囲の反応を見る。イオンにいたっては無関心を継続中であった。


 少しの間をおいて、雅はすう、と音がするほどに空気を吸う。


「作戦上の問題で、雛日博士の代役は立てます。しかし、吉木博士とのみコンタクトをとり、作戦会議には不参加、直接的に作戦参加もしないことが条件だそうです」


 進行を務める彼女の手にしているバインダーはお飾りのようだ。

 脳内に叩きこんである内容を、狂いなく説明する雅。彼女のこの部屋での仕事は、相島からの作戦説明に補足をすることらしい。

 二人は交互に声を発する。


「手始めに、須磨とカトラルにはフロプトを名乗るレジスタンスの、メルトレイドのパイロットの捕縛に当たってもらう」

「……その話は普通に興味ありますね」


 手のひらに頬を預け、カトラルは無体なまま元帥に顔を向ける。不遜すぎる態度は誰のの目にも明らかである。

 しかしながら、誰一人それを非難しない。誰か以前に、最高権力が咎めることをしないのだから当然だろうか。


 規律正しく、統制された教育を受けている軍人がいれば、カトラルを相手に発狂していることだろう。

 この作戦会議は、我が強い変人の集会とも言えるかもしれない。それぞれがそれぞれの思惑を持って話は進んでいく。


「現行機のパイロットは殺していい。旧機のパイロットは殺さずに生け捕りしろ」

「殺していいなんて、簡単に言いますよねぇ。あの氷雪魔神を? どう見積もっても上級魔神ですよ?」

「言葉が足りなかったな。殺せないなら、相手にしなくてもいい。逃げたっていい」

「……」


 金糸を揺らす青年の、張り付けていた笑顔にひびが入る。

 ひくつく口元が、売り言葉に買い言葉を返す前に「自称竜の女帝を捕らえれば、いいんですね?」と最年少が口を挟む。余計な横やりで話が逸れることを許さなかった。

 未来の確認言動に、雅が「はい」と首肯する。


「ただし、少し訂正があります。旧機のパイロットだけでなく、現行機のパイロットが゛竜の女帝゛を名乗ることもあるようです」

「ふうん、錯乱目的かな。じゃあ、名前じゃなくてメルトレイドで判別すべきってことだね」

「絶対に殺さず、生きたままアクロイド博士に引き渡すのが、お二方の最初の仕事です」

「……了解」


 反抗的な目で相島を威嚇するカトラルと、涼しい顔でそれを受け流す相島。その二人を眺めて音もなく笑う吉木に、無音どころか不動のイオン。

 雅を唯一の話ができる相手と認定した未来は「捕縛までの作戦は僕が立てていいの?」と首を傾げた。


「いえ、雛日博士の代理人が既に計画準備しております」


 雅の手にあるバインダーがようやく仕事をする。挟まれていた幾枚かの紙面が、少年に手渡された。


 未来は受け取った紙の中心に指を立て、一定の速度で紙の上部から下部へと、見えない直線を引いた。

 文字の量は決して少なくはない。

 場所の指定から、陽動の方法、敵機の対応パターン別に細かな作戦の指示が、図式込みで詳細に書かれている。紙束をぺらぺらとめくる未来は、すべての紙上で同じ動作を繰り返した。

 最後の一枚を弾くと、未来は紙束を横で燻ぶるパイロットに押し付ける。


「……その雛日博士の代理人って、何者? 竜の女帝を知ってる、ってレベルじゃないでしょ」

「……読み終わられたんですか?」

「当り前を聞かないで」


 同じ作戦会議に参加しているはずのメンバーを外野に置き、雅と未来は二人だけで話を煮詰めて行く。未来は頭にインプットされた情報に疑問はなかったが、さらに細分化した情報を求めて質問を繰り返した。


 二枚目で読むのを諦めたカトラルが紙束を放るのと、未来の息継ぎが重なったタイミングで雅は無理やりに「この任務の成功なくして、本作戦は成立しませんので、お二方、よろしくお願いします」と話を締めた。

 一方的に続く完全戦略のマシンガントークを止めるには、強制的に話をまとめるしかなかった。


「雅さんのお願いなら、喜んで」


 質問したりないのか、まだまだ引き出せる情報があると思っているのか、未来は不服そうである。代わりに機嫌を取り戻した優男は、美しく笑みを作った。

 顔だけは彫刻のような完璧な比率とバランスの造形であるが、人間である彼は黙ってはいられないのだ。

 呑気な返答は場違いに響いた。

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