再会と遭遇

第5話 三か月で変わることなどない

 人が行き交う駅の構内。


 人が多いのは当たり前で、そこにいる人々の職業も服装も年代も様々であるのも、また当り前だ。それぞれの目的のために動く人波は、大きな一つの意志を持っているかのようだ。


 その波を裂くように、誰もが回避する空間が波の中に唐突に存在した。正確には、避けられている少女がいた。


 その顔はまさに瀕死。


 やけに大きなキャリーケースを引きずり、土産物が入っているのであろう大量の紙袋を両手にぶら下げている。足取りも重く、一歩踏み出すたびに、地面が沈むのではないかと錯覚するほどだ。


 少女は荷物をぶつけながら、なんとか改札を抜ける。


 四条坂駅。

 対魔神関連の主要機関が揃う四条坂都の交通網の要。

 魔神掃討機関のお膝元とはいっても、軍人が闊歩したり、研究者がところ構わずに実験をしているわけではない。他所では見受けられない特有の施設や条例はあるが、一般市民は住んでいるし、学校も映画館もスーパーもある。


 四条坂駅の構内を歩き始めた彼女は、すぐに「紗耶香っ」と名前で呼び止められた。


 佐谷さたに紗耶香さやかが声の方へと顔を向ければ、赤い制服でドリンクとハンバーガーを両手に掲げたアイドル――の広告があった。


 当然、声の主ではない。


 駅の柱に掲示されたファーストフードの広告の前。少年は恥ずかしげもなく、全力で大手を振っている。

 かなり目立っていた。

 周囲の人間はちらちらと彼を横目で観察している。紗耶香も冷静であれば、彼の無邪気な行動を制したが、三か月ぶりの再会という事実がそれすらも高揚感に変えていた。


「浩介!」


 久しぶりに会う級友に、先ほどまでの疲れが嘘だったかのように、紗耶香は駆け出していた。がたがたとキャリーケースのキャスターが不穏な音を奏でる。


「おかえり! 我らが優等生ちゃん」

「ただいま!」

「どうだったよ、小旅行は」


 勢い余って転倒しそうな紗耶香の両腕を取って支えると、浩介は危ないな、と困ったように笑った。


「もーいろいろ! たくさん話すことある! とりあえず、みんな元気だった。お父さんは食生活のせいでちょっと太ってた」

「おじさん細かったし、ちょっと太った方が健康的だろ」


 すっかりと生き返った紗耶香は、ハイテンションで浩介に次々と旅の思い出を連ねた。止まらない声に浩介は微笑ましくしながら「とりあえず、座れるとこ行こうぜ」と場所の移動を申し出た。


 人目を引く出迎えをした浩介に、再会に盛り上がる紗耶香は構内で一番に騒がしく、好奇の目を向けられていると言って間違いない。


 紗耶香は一も二もなく頷き、少年の意見に賛同した。


「……あれ?」

「どした?」


 きょろきょろと周囲を見回した後、浩介に視線を戻した紗耶香は「隼人は?」と尋ねた。事前連絡ではもう一人の友人も、迎えに来ると聞いていたのにその姿は見つけられない。


 久しく会っていない黒髪を探して、構内を見回しても、人、人、人。人はたくさんいるが、お目当ての人物は見受けられなかった。


 不思議そうにする紗耶香の肩を叩いた浩介は、くるくると人差し指を回しながら建物の外を指す。意地の悪い笑みで「いつものあれ」とだけ告げた。


 浩介の示した先は駅から出て、タクシープールへと続く階段の付近である。


 導かれるままに視線を流した紗耶香は「あ」と短く声を上げた。探していた少年が随分と離れた位置にいるのを発見する。そして、その隣には見慣れない女性の姿があった。


 スーツの女性と学生服風の装いの少年。並んで歩くには、接点がなさそうな二人は何かを話しているようで、向き合って口を動かしているのが紗耶香たちの場所からでも確認できた。


 女性は凛とした雰囲気で、一見の印象は堅苦しい。スーツだけで十分に形式張っているのに、すべて閉められたボタンと真っすぐに伸びた背筋が、余計に隙のなさを感じさせた。


 対する少年――隼人の外見を一言で言い表すなら、洒落た男の子、だ。


 他人から見た自分をよくわかっているのだろう。過不足なく飾られた彼の出で立ちは、流行と個性とが絶妙に混ざり合っていた。


 よくできた外装はさておき、隼人はなぜか女性に向かって必死に頭を下げていた。


「本当にすみません。知っている人にとてもよく似ていたから!」


 謝罪を述べる隼人は、下から見上げるように女性の顔を伺う。怒声に怯える幼子のように、情けなく顔を歪め、今にも泣き出しそうなくらいに瞳が潤んでいる。


 一生懸命な謝罪を繰り返している少年に 女性は「いいよ、そんなに謝らないで!」と手を振る。周囲を気にしてか、隼人と同じくらい必死に彼の謝罪行動を止めようとしていた。


 許しの声に隼人はほっとしたような顔で、改めて彼女と向き合う。


「いきなり馴れ馴れしかったですよね」

「ええと、吃驚――そう、吃驚しただけ、だよ」

「貴女みたいに、ショートカットの黒髪で綺麗な人なんです。背丈も似ていたから」


 にこり、とする彼はそれなりに整った顔であったし、身なりも洒落ている。わざとか無意識かは知れないが、小型犬のような愛想もあった。


 典型的すぎるナンパの実例。

 女性からしてみれば、隼人は男の子と言っていい年代であるし、自分に比べて子供だ。しかし、年下特有の可愛らしさに絆され、少し話すくらいなら、とよこしまな考えが脳裏に過る。


 これから隼人の言う誘い文句にどう答えれば卑しく聞こえないか、と女性の頭では既にシュミレーションが始まっていた。


「あの」


 隼人は女性と視線を交わらせると、柔らかく表情を崩す。女性は緊張した面持ちで隼人の言葉を待った。


「それじゃあ、本当にすみませんでした」


 隼人はもう一度頭を下げ、颯爽とその場を後にした。

 彼女の表情と醸し出す雰囲気を無視したのか、気づいていないのか。確かなのは、隼人のせいで女性はいらぬ期待を抱かされたことと、隼人本人にナンパのつもりはなかったこと。

 彼女は完全にお誘いのきっかけで、話しかけられたのだと思っていた。先ほどまでは可愛らしかった少年が、一転、憎たらしく見える。


 勘違いをした自分への恥よりも、嵐のように現れて、愛想だけ振りまいて消えた少年への憤慨の方が大きいらしい。女性の視線は、駅に入っていく少年の後姿を恨みがましく追い続けていた。


「うう、懐かしい」


 一部始終、無言のままで見守っていた紗耶香は、たまらずに声を漏らした。距離的にも、物理的にも、会話が聞こえるはずなかったが、何があったかは明白である。


 初めてのことではないから尚更、簡単に現状を把握できた。


「隼人?」

「ううん。隼人の年上の女性に声をかけないと気が済まない病気」


 長々しい病名である。

 紗耶香の目は、立ち去る隼人をなんとも微妙な表情で見ている女性に引かれていた。不貞腐れているが、遠目に見ても魅力的な容姿であると分かる。


「好みもぶれないよねー。二十代後半から三十代くらいで黒髪、キツめの美人」

「ちょっと目つき鋭くて、キャリアウーマン系のいい女です、って感じの綺麗系な」


 紗耶香の無粋な推察に、続けて浩介が補足する。


 どうやら、三か月で変わることなど、多くはないらしい。少なくとも、紗耶香の友人二人にはこれといった変哲がないことは証明された。


 ゆるゆるとした歩き方で近づいてくる隼人に、紗耶香は荷物のぶら下がった手を少しだけ挙げて見せた。気付いた隼人が、彼女にならって右手を上げる。


 一人離れている彼が急ぐ様子はなく、マイペースに合流を果たした。


「おかえり、佐谷。長旅、お疲れ様」

「ただいま、隼人」

「遠めに見ただけだけど、改札通る時の顔、めっちゃ酷かったね。女の子なんだから、あんな顔で歩いたらダメだよ」


 再会の挨拶の直後であるのに、隼人の指摘は容赦もない。隼人の発作を伺っていた二人と似通った笑い方で、紗耶香をひやかす。


「隼人こそ、もっと女心を理解しなさいよね。あの女の人、可哀想すぎ」


 負けじと紗耶香は隼人の行動を咎めた。

 あの女の人、と言われて隼人は振り返って外を見たが、先ほどまでに話していた女性の姿は見つけられなかった。隼人は捜索を早々に諦め、紗耶香に視線を戻すと、肩をすくめた。何の反論もしない。


「大人になりなさいよね」

「おしとやかにしなよね」


 妙な言い合いを始めた彼らは、再会の喜びからの脱線などお構いなしで戦争を始める。

 友人らの親密さを十分に堪能した浩介が「お前らほんと仲良しな」と割って入るまで口論は続いた。


「ほらほら、移動しようぜ」

「だねー、俺はなんかもう疲れちゃったけど」

「こっちの台詞よ」


 ようやく落ち着いた頃には、遠巻きに三人組を窺う視線は確実に増えていた。


「ほれ、紗耶香」


 浩介は両手を紗耶香へと差し出す。隼人も遅れて同じような行動をとった。

 友人たちの行動の意味が分からず、紗耶香は二人の顔を見比べた。紗耶香が戸惑っているのが目に明らかで、浩介は苦笑混じりに「お姫様からお荷物頂戴しまーす」とふざけた物言いで親切を説明する。続いて、隼人も「しまーす」と語尾だけを真似た。


「……へへ、ありがと」


 両手どころか腕すら塞いでいた土産を預け、キャリーケースだけを手元に残した紗耶香は、やっと解放された重みにぐっと伸びをした。

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