第6話 一ノ砥若桜の征服宣言

「じゃあ、行きますか」

 

 浩介の横に隼人が並び、その後を紗耶香が追う。男二人がとりあえずの行き先を決めるために言葉を交わしているのに、紗耶香は口を挟まなかった。


 紗耶香の足取りは、荷物が減ったはずなのにどうにも鈍い。


 構内を進み、柱をいくつも通り過ぎる。自販機とコインロッカーを通り越した後、駅と外との境界で、紗耶香の歩みは完全に止まってしまった。


「佐谷?」

「移動で疲れちゃったか?」


 二人の問いかけに返事はない。駅の外へ出ることをためらう紗耶香に、先に外に出た彼らは同じように首を傾げる。


 急に立ち止まった彼女は、見えない壁に阻まれているようだった。

 公共の場であり、人通りのある場所で、いつまでもそうしているわけにはいかない。


 紗耶香は意を決して一歩を踏み出す。もちろん、ただの一歩、何かが特別なわけではない。


 地面が崩れるわけでも、空が落ちてくるわけでもない。彼女なりに覚悟を決めた行動ではあったが、友人らには、いや、誰から見ても、何が何だか分からない振る舞いだ。


「おい、紗耶香。マジで大丈夫かよ」

「……」

「その微妙な顔は何? 佐谷、アメリカで変なものでも食べたの?」

「……ええと」

「紗耶香?」


 紗耶香の表情は異変がないことが意外だ、と言わんばかりの顔だ。怪訝な顔できょろきょろとする少女に、隼人も浩介も奇行をからかうよりも心配が先んじる。


 沙耶香は二人からの見守る視線にも気付かない。満足いくまで外の景色の観察を終えた彼女は「何も、変わりないね」と声を絞り出した。驚いているような紗耶香に、友人二人はいよいよ彼女の異様さに顔を顰めた。


「はあ? 三か月じゃ、季節くらいしか変わらねーだろ」

「駅の二階のアイス屋は、たい焼き屋になったけどね」

「あー、確かに。戻ってたい焼き食ってく? うまいよ」

「俺、クリームがいいな」


 他愛ない会話、とは話題に目的を持たないからこそ続くものなのだろう。男二人の話はたい焼きの味から、学校の自販機の品ぞろえの話しに発展していく。


 紗耶香には駅ビルのテナントが変わったことも、自販機で黒酢を買う物好きも些細な問題だ。見当違いな問答に、彼女は地団駄を踏みそうな、悔しそうな顔で隼人の背中をどつく。


 八つ当たりと呼ばずして、なんと言おう。


 急な衝撃に間抜けな悲鳴をあげた隼人は、背中をさするように手を回す。なんとか手を伸ばすが、届くか届かないか微妙な位置だ。さすりたいのにさすることができず、隼人はくるくるとその場で回る。


 傍目には面白おかしい隼人を放って、紗耶香は真顔でもう一人の友人に詰め寄った。悶える隼人と真顔の紗耶香を前に、浩介はきょとんとして瞬く。


「……四条坂、治安悪化した?」

「治安? や、別に変わんねーと思うけど」


 浩介は僅かも彼女の言いたいことを理解できていない。

 それは背中に手を当てながら、うごめく隼人も同じだろう。しかし、それどころではない彼はどこから声を出しているのか、おおよそ人間とは思えないうめき声をあげて、とうとうしゃがみこんだ。


「でも、イチノトワカサの征服宣言は!?」

「……ああ。あれなぁ」


 浩介は遠い目で空を見上げてから、もしかして、と紗耶香を見る。おぼろげに答えが見えてきた。


「お前、四条坂が戦場にでもなってると思ってた?」


 現実味のない浩介の予測に、隼人はなんの冗談だと乾いた笑いを零す。しかし、その笑声も再びに与えられた紗耶香からの一撃で沈められた。


 隼人の嘲った浩介の推測が図星だったのだ。紗耶香は苦々しい顔で「うん」と小さく肯定をした。


「だって、第八境界って四条坂から一番近いし、SSDもあるし」


 不安要素が矢継ぎ早に提示される。不安がる彼女を尻目に、浩介は落ち着き払って「残念だけど――」と紗耶香の背後に回った。両肩を後ろから掴むと、紗耶香を駅から遠ざけるように誘導し、ある程度進んだところで一緒にその場でくるりと回転する。


 高層ビルに、その隙間の車線を埋める色とりどりの車。夏を先取りしてのサマーバーゲンを掲げたショッピングビル。街路樹も夏を前に緑を色濃くしている。


 三百六十度、異変などない。周り終わると、終点では隼人が待ち構えていた。


「平和でーす」


 痛みから復活した隼人が、両手を広げて身体を傾ける。見てくれ、とばかりに手を広げる彼の背後では、驚きも発見もない日常が流れていた。


「隼人、すげえアホっぽい! 写真撮っていい?」

「クリーム買ってね」


 紗耶香の肩から携帯に手を移した浩介は、笑いを堪えきれていない。連写しまーす、と宣告する浩介に、ご丁寧に動かずに待つ隼人。


 友人の愚行を前に、紗耶香は不安の数々が自分の杞憂であったと確信した。


「――私はあんこでいいや」

「隼人の隣に並んで、アホ二号やってくれたら考える」

「無理! 隼人じゃないんだから、こんなこと人前できない」

「俺も紗耶香じゃないから、あんな顔じゃお外歩けない」


 ああ言えば、こう言う。本気でなじりあっているのではない、単なるじゃれ合いに浩介は苦笑を洩らす。


 結局、紗耶香は浩介の提案は受け入れず、隼人も飽きたのか、モデルでいることを止めて撮影会を終わらせた。


 長い迂回であった。彼らは、ようやく本来の目的――、座れる場所で紗耶香の話を聞く、という予定に戻る。


「なんだ。空を見ればメルトレイドが飛んでて、歩けばマグス同士が喧嘩してるのかと思ってた」


 すっかり気を取り戻した紗耶香は、心配ごとであったことを冗談として吐き出す。


「はは、佐谷ってば夢見すぎでしょ」


 習性なのだろうか。紗耶香の言葉に、隼人は余計なひと言を返せずにいられない。


 間髪入れずに隼人は彼女を馬鹿にした。彼は素直に思ったことを言ったのだろうが、あまりに心と声が直結しすぎている。悪気のない笑顔が癪に障ったのか、紗耶香は隼人の額を中指で弾かずにはいられなかった。


 隼人は額を抑えて浩介の影に隠れる。


 紗耶香が暴力的なのか、隼人が人の癇に障るのが得意なのか。どちらにせよ、二人はある意味で相性の良さを発揮していた。


 それも日常的で、紗耶香のいなかった三か月など空白でもなんでもなかったことを彼女に再確認させた。


「つーか、今更すぎだろ」


 浩介も隼人よりの意見を口にすると、紗耶香を元気づけるように背を叩く。


 隼人と浩介が横に並び、紗耶香はその後ろにつくようにして歩きだした。行き先は駅の方向、どうやらたい焼きを食べに戻るらしい。


「魔神なんて、俺たちが生まれる前からこの世界にいるんだよ?」

「それは知ってるけど」

「世界境界点が機能してるって言われても、実害は今のところねーし」

「それもニュースで見たけど」


 二人と一人、意見の食い違い。認識の差を感じるのは、一つの出来事が原因だと全員が分かっている。


 征服宣言。


 発信地である日本にいた二人と、報道と友人らとの通信だけを頼りに想像するしかできなかった一人とでは、事実との差異も出てくるというものだ。


 浩介と隼人の背中についていくだけで、紗耶香は自分の意志を持たずに歩いていた。前行く背中が突然に動かなくなれば、激突するに決まっている。


 足を止めたのは浩介で、隼人も隣にならって立ち止まる。

 紗耶香は止まれなかった。


「ぶっ」

「……佐谷は俺の背中が嫌いなの?」

「わざとじゃないって」


 ごめん、と続くはずだった紗耶香の謝罪は「ひとつだけあった。すげー変わったこと」と言う、浩介の言葉に阻まれた。


 浩介は時計を確認してから、不思議そうにする紗耶香の手を引いた。今来た道をまた戻るらしい。時間を確認する動作で、浩介が何のことを言っているのか察したらしい隼人はほんのり表情を曇らせる。


 四条坂駅の構造上、メインとなる出入り口は地面と同一上ではない。バスの停留所やタクシープールを一階とするならば、隼人たちのいる駅の中央口の位置は二階に当たった。


 そこから東に進むと、ビルに設置された街頭ビジョンが見えてくる。駅から延びる街路は特等席の場所に相当した。


 ビジョンの前はすでに人で埋められていた。集団がビジョンの真下を陣取っていて、整列して待機している。

 全員がお揃いの白い法被。

 隼人たちは彼らから少し離れてビジョンを見上げた。隼人は忘れもしない昨日の事件に、微妙な顔で更に二歩、白法被たちから遠ざかる。不可抗力だ。


「そろそろ始まるぜ」


 清涼飲料水のCMが流れている巨大なスクリーン。


 画面の向こうでアイドルスマイルを振りまく少女に、なんだか見覚えがあるな、と紗耶香が思うのも無理はなかった。駅中で紗耶香を待っていた浩介が立っていたのは、彼女の笑顔が売りのファーストフードの広告前。


 紗耶香が日本にいない三か月の間にデビューした彼女は、今や国民的アイドルだ。よく見る顔だなあ、と紗耶香がぼんやりしていると、映像にぶれが生じる。


 ノイズが見えた、と思えば、すぐにそれは消え去り、CMも終わっていた。


『よ、っと。はーい、こーんにちはー』


 スクリーンに流れているのは、突如として始まった番組。画面右上にはLIVEの文字。


『今日はいい天気だね』


 慈愛に満ちた笑顔で、定番な世間話を投げかける。唐突に画面に現れた青年に、紗耶香は表情が固まっていくのを感じた。

 急激に身体を寒気が襲い、鳥肌が立つ。


『皆様、御機嫌よう!』


 不自然に右側が長いアシンメトリーの髪型、前髪は眉毛よりも短く、顔が良く見えた。未成年にも成年にも見え、青年の正確な年代を言い当てるのは難しそうだ。

 カメラや照明などの技術的な要因のせいなのか、髪の色はどこかに忘れられてしまっているようで、陽の光を透かしている。


『一ノ砥若桜ですよー』


 何よりも目を引くのは、鮮やかなペリドットの瞳。

 きらきらと輝く黄緑の宝石のような瞳は、彼が特殊な人間――世界境界線である証拠であった。

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