第4話 不穏は足音を立てずに忍び寄る
魔神掃討機関――System of Sweep Devils。通称SSD。世界政府公認の対魔神用に設立された機関。掃討と捕縛を目的とした多国籍軍という一面と、魔神の生態や機能の研究をする研究組織の一面を持つ。
世界境界点を有する土地に配備されていて、この日本も例外ではない。
魔神掃討機関日本支部は、統括指令室と研究所本部が一つの構内に収まっている。美濃が今から離れようとしているこの広大な土地こそが日本支部の本拠地だ。
日本支部は市街地から少し離れた場所に土地を確保している。
美濃は窓枠に肘を預け、頬杖をつきながらずっと外を見ていた。面白いものがあるわけでもないが、他にすることもない。
日本支部の敷地を出てから、流れる景色には最初こそ緑が多かったが、離れるほどに建物が増えていく。大きな道路に合流すれば、隔離されていた感覚が薄れていった。
開店したばかりのコンビニ、違法駐車のトラック、似通った服装の集団。目の覚めるような原色の赤が過ったのは、美濃がすれ違った軽自動車の色の名前を思い出そうとしていた時だった。
原色の赤。
自然と目が鮮やかな色を追ってしまう。美濃の乗るタクシーを追い越していったのは真っ赤なバイクだった。
「……四条坂駅まででいい」
美濃は乗車してから、初めて声を漏らす。
「かしこまりました」
運転手も同じくだ。
それからは再び、静寂の世界。駅に着くまでどちらも言葉を発することはなかった。
駅のタクシープールに降りた美濃は、迷わずに一般車両用ロータリーへ足を向けた。休日であるからだろう、駅の周囲は人でごった返している。
そんな中でも誰とぶつかることもなく、美濃は易々とすり抜けていく。
美濃が足を止めたのは、先ほどタクシーを追い越して行った赤いバイクの前。
黒のライダージャケットを着た運転手が、フルフェイスのヘルメットをかぶったままで跨っていた。
すぐにでも発進できる、と言わんばかりでハンドルに手を置いていたが、美濃の姿を見て、右手をふわりとあげた。
「お疲れさま、美濃君」
声からして、年齢はバイクの免許をとれるギリギリだろう。性別は男で青年と言うよりは、少年に近い声色である。
少年は挨拶に上げた手を後部座席に回し、スタンバイしていたヘルメットを美濃へ差し出した。
「ああ、疲れた」
美濃は取り繕うことはせずに、重苦しいため息をついた。左目を隠す眼帯を取り払い、渡されたヘルメットをかぶると、少年の後ろに跨る。
「どっか寄る?」
「いや、いい」
「え? なら、仕事場まで送ってもらえばよかったのに」
「わざわざ迎えに来た犬っころの言うセリフか?」
「運転手が俺だからって、スルーされたらどうしようかと思ったよ」
美濃は少年の戯言を鼻で笑った。
出発を促すように、美濃の右足が前にある少年の足を蹴る。少年は急かされるようにエンジンを入れると、まるで教習所であるかのようにきっちりと安全確認してから、目的地へ向けて発進した。
手順ばかりは丁寧だが、運転は少しだけ不安定だ。
安全運転、と言えないことはないが、安心できるか、と言われればいまいちな気もする。
運転中に会話はなく、少年は運転だけに集中していて、美濃は流れる景色を興味なさ気に瞳に映していた。
美濃の職場まで十数分。厳かに構えた門を越え、客用の駐車場も通過して、社員用の駐車場に乗り込む。停車するなり、美濃は「六十八点」と言いながらバイクを離れた。
「うーん、前より点上がった?」
「下がった」
「なんで!」
「右左折が命の危機」
「……嘘!」
美濃は外したヘルメットを少年に押し付け、スーツに寄ったしわを伸ばしていく。少年は渡されたヘルメットを両手で包むと、視線を合わせるように持ち上げ、見つめあいながら沈黙を続ける。
美濃が身だしなみを整えたところで、少年は「でも六十八点ってことは、右左折以外は満点だった?」とポジティブな思考で美濃に伺いを立てた。
「じゃ、ご苦労さん」
相手にもされやしない。
さっさと社員用の入り口へと姿を消そうとする青年の背に「待って待って!」と慌てて声をかける。
「あ?」
面倒くさそうに声を上げ、美濃は顔だけで振り返った。
「バイク、ここに置いてってもいい?」
いつの間にかヘルメットを外した少年――雛日隼人は、短い黒髪を揺らしている。バイクから降りると、にこにこと人好きのする笑みで小首を傾げた。
「駄目だ。俺の家に置いてこい」
「えー」
「透明人間がここまで乗ってきたのか?」
「……免許取ってよ、美濃君」
「やだね」
どちらもまるで拗ねた子供だ。美濃の言葉に隼人はもごもごと何かを言いたそうにするが、明朗な言葉にはならなかった。諦めも切れないのだろう、隼人はバイクに跨ろうとはしない。
「ヒナ」
「はい?」
無意識的に返事をすれば、美濃は身体の向きをきちんと隼人に向けて、茶封筒を揺らしていた。ぱちぱちと瞬きをする少年は、それが何かを理解できていない。
「駄賃だ」
質素な茶封筒が、突然に生々しく見え始める。透視能力もない隼人に、中身を当てることはできないが、駄賃、と称するには多すぎるだろうことは察しがついた。
「え、と、あー」
「なんだ、小遣いの催促に来たんじゃなかったのか?」
「うっ……」
無言は肯定。しかし、それを認めるのもばつが悪く、隼人は俯く。素直に手を伸ばせず、唸るだけで受け取ることはしない。
美濃は決して気の長い方ではなく、うだうだとする隼人をじとりとした半眼で急かすが、その表情は少年の目には映っていない。
「……え?」
美濃の手に握られていた封筒が隼人の視界を塞ぐように飛んできた。美濃の足元辺りを見ていた隼人は、急に目前に現れ、揺れるそれに驚いて顔を上げる。
封筒を掴むのは細く白い、少しだけ先が荒れている指。
指先から腕、顔と徐々に視線を上げていくと、ふんわりと笑う女性がいた。
「! 雅さん」
「貰っておいたら?」
「え、あ」
隼人のすぐ近くに立っていた彼女は、少年の手に封筒を握らせると満足そうに頷いた。
明るい茶色で染められた長髪は、さらりと彼女の肩を滑っている。たれ目のせいか、ただでさえ緩やかな表情が更に柔らかく見えた。
控えめな花の匂いを纏う雅は、たおやかな動作で隼人からバイクを取り上げた。華美な薔薇や甘いダリアとは違う、優しい桜の香りが空気を染める。
「どうせ私のバイクだし」
「でも――」
「私の代わりに、美濃を迎えに行ってくれた報酬。美濃からはそれ、私はこれ」
茶封筒とバイクとを見比べ、隼人は観念したように両手を挙げた。雅の心遣いに降参らしい。
「これもお願いします」
どうせ世話になるなら、と隼人は着ていたジャケットを脱いでおずおずと雅に差し出す。きょとんとした雅はすぐに目尻を下げて微笑むと、隼人には荷物にしかならない上着を受け取った。
「ふふ、預かるわね」
「ごめんね」
「あと、はいこれ。隼人の荷物」
「持ってきてくれたの? 何から何まで、ほんとありがと」
隼人はジャケットと引き換えに、雅からぱんぱんに膨れているバックを受け取る。
そこから抜き出したカーディガンを羽織ると、服装から受ける印象がからりと変わった。学生らしい雰囲気を色濃くし、隼人は開き直ったように雅と美濃に笑いかける。背後には飛び交う花が見えるようだ。
「今日、遅くなるかも」
「はい。いってらっしゃい」
「うん、いってきます。美濃君、雅さん、ありがとう」
ぶんぶんと大きく手を振りながら、隼人は前を見ずに後ろ足で遠ざかっていく。危うい足取りなのが気になるが、転びそうで転ばない。見送る二人はまるで幼い我が子が、初めてのお使いへと行くのを見送る親のようだ。
途中で身体の向きを進行方向に変え、隼人は軽い足取りで走っていく。
「変に真面目よね、隼人」
「受け取るだけは嫌なんだろ。黙って受けとりゃいいのに」
美濃は隼人の姿が見えなくなって、改まって表情を引き締める。鋭い目つきは真剣な眼差しで、雅もへらりとしていた雰囲気を消した。
「それで、私が呼び出された理由は?」
「昨日の件でフロプトを名乗った奴の名前と経歴、拾える情報全部欲しい」
「了解、頭領」
雅は恭しく敬礼をする。美濃は「頼んだ」と返すだけだ。
――余計な警告は必要ない。隼人も雅も少しばかり能天気なところがあるが、どちらとも美濃の期待は裏切らない。それは彼が一番よく知っていた。
「そうだ、検査はどうだったの?」
「異常なし」
バイクに寄りかかり、素っ気なく返す美濃は、自分の健診結果であるというのにあまり興味はなさそうだ。
胸に手を当ててほっとする雅に、美濃はわざとらしく肩をすくめた。
――異常などでるはずもない。そもそも異常の塊のような自分であって、異常など何もない自分でもある。何が正常かなど、判断できる基準があるのかも分からない。
「雅」
「ん?」
「お前、相島を一人で置いてきたのか?」
「大丈夫よ。あの部屋の鍵は閉めてあるし、外には行かないでしょう?」
「どうだか」
駄目かなあ、と首をかしげる結婚適齢期の女に、美濃は深くため息をついた。
雅は美濃の二つ上、青年と同じくもうすぐ三十路だという年齢だ。呆れたような美濃の表情には、いい年で可愛い子ぶるのはどうなのだろうか、という心境が透けている。
「ところで、追悼式のことなんだけど」
雅は昨日起こった事件の話題を持ち出す。今日の新聞にも飾られていた見出しの一つだ。
フロプト、一ノ砥組、魔神の宿主。キーワードだけ拾っても、何とも不穏な響きしかない。巻き込まれた隼人の証言もあり、何が起こったかを二人はほとんど把握していた。
「一ノ砥組、って名乗った人間は皆マグスだったみたい」
「……へえ」
美濃は興味深そうに声を漏らした。
マグスなど有り触れた存在ではないはずなのに、どうしてそれが群れをなしたのか。それとも、群れをなした後にその特殊を与えられたのか。
「そっちの情報も頼む」
「そう言うと思った」
雅はにこにこと笑いながら、ロムを美濃へと差し出した。
雅の仕事の技術の高さはもちろんだが、美濃の意を汲むことに長けていることも、彼女の優秀さの一つだと青年は認めていた。
心の中で褒めることはしても、口には出さないが。
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