最終話 月は満ちて 7



 次の満月に、ディアディンは夢をみた。

 その夢はいつもにくらべて少しぼんやりしていた。かすみがかかったように、あわく儚い。


「もう会えないかと思ってた。長姫」

「あなたに約束のお礼をしなければ。これまで、われらを助けてくださったのですから」

「そうか。ちょうどよかった」


 ディアディンは心に決めていたことを告げた。


「以前、死んだ人間を生き返らせる力はないと言ってたろう? でも、それなら、おれの命をリックに捧げる。だから、あいつを生き返らせてくれ」


 長姫は泣いたようだ。


「ディアディンさまはそれでいいのですか?」

「やっと決心がついたよ。あんたたちといると、あんまり楽しくて、幸せで、できれば、このままずっと、いっしょにいたかった。でも、それじゃいけないんだ。今のままじゃ、おれは前に進めないから」


 かすみのなかににじむような、長姫のさみしげな笑み。


「時の長老をよびましょう。長老の時間魔法なら、すぎた時をやりなおせます。そこでどうするかは、あなたしだい。でも、気をつけて。あなたの今の記憶がたもてるのは数日が限度ですよ」


 忘れる。おれは長姫を忘れてしまうのか。

 それが自然の法則にさからって、死んだ人間を生き返らせる代償なのか。

 これは罰か?

 親友をうらぎって死なせてしまった、おれへの。

 これほど愛しいのに、この思いさえ、失ってしまう……。


 でも、もう、立ちどまってはいけない。

 でなければ、けっきょくは愛しい人にふさわしくない、汚れた自分のまま、深い苦悩の底に沈んでいるだけだ。


「長老をよんでくれ」

「わかりました。それが、あなたの意思ならば」


 長姫の気配が遠くなる。


 ほんとうは離したくない。

 このまま、ずっと、今夜のこの満月のなかに時を止めてしまいたい。


「月のしずく……」


 愛していると言葉にしなくても、二人の心はつながっていた。


 二人はその夜、とても幸福だった。


 いつかまた、この人と会えるだろうか。

 いつかまた、満月のときに……?


 気づいたとき、ディアディンはふるさとの街に立っていた。体も子どもに戻っている。


 帰ってきたのだ。

 この場所に。


(でも、なぜだ? おれが戻りたかったのは、十六のあの嵐の日。だけど、これじゃ、もっと昔の……)


 ディアディンの体は十さいかそこらになっている。いや、もう少し上だろうか。十一か、十二——


 そう考えて、ハッとした。


 わかった。

 これは、あの日だ。

 ミュルトが木から落ちて、歩けなくなる日。


 時刻はわからない。

 でも、日の高さから言って真昼だ。

 これなら、もしかして、まだまにあう!


 ディアディンは走った。

 塾の友だちに呼びとめられたが、無視して走った。家にもよらず、ひたすら街外れの丘をめざす。


「ディアディン! たすけて! ミュルトが——」


 かつて一度見た光景が、そこにあった。


 ディアディンは必死に木をのぼった。


 まにあって。

 今度こそ、まにあって……。


 そして——


 ディアディンは救われた。

 今度はもう悲しいことは、なにも起きない。

 ミュルトはディアディンにつかまれ、リックと二人で枝の上にひきあげられた。


「よかった……ほんとによかった……」


 ミュルトは助かった。

 ミュルトが助かれば、リックが望まぬ結婚をしなければならない理由もなくなる。

 あの嵐の日、リックがディアディンをたずねてくることもない。もし、たずねてきたとしても、今度はディアディンが全力でリックを助ける。


 だが……そのかわりに失ったものもある。

 とても大きな代償……。


(長姫。月のしずく……)


 過去に戻った自分は、数日しか、未来の記憶をおぼえていられない。

 砦であったことはすべて忘れる。


 小さいけれど、大きな勇気をもったジャイアント族。

 人なつこい白しっぽと、その一族。

 ニョロニョロで悩まされた白ヘビたち。

 バラの精。

 カラスの精。

 あの美しい長姫のことも……。


 ぶじに木からおりて抱きあうリックとミュルトを見ながら、ディアディンは涙をながした。

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