第11話 ためらい 8



「あぶないッ!」


 ハッとして、アシの速足をつきとばしたときには、一瞬おそかった。馬の長の銀のツノ飾りが、アシの速足の背中をつらぬいていた。

 だが、ディアディンのとっさの行動で狙いがそれ、アシの速足は重傷ながら、一命をとりとめた。


「お……長、なぜ、こんな……」


 血のあわをふいて失神する。


「月のしずく。おまえのおかげで、しとめそこなった。まあいい。どうせ、これでは動けないからな。アシの速足は、あとでゆっくり始末してやる」


 その声をきいて、ディアディンはこわばった。

 まちがいない。

 魔道だ。


「やはり、刃向かう魂胆だったな。月のしずくよ」


 にやにや笑って、魔道は近づいてくる。


「あなたが魔道だったのですね。アシの速足に正体がばれては困るので、こんなことを……」

「残念だよ。月のしずく。おまえは美しい女だから、私の花よめにしたかったのだが。正体を知られたからには殺さなければなるまい」


(そうか。地下にあった長たちの死体。あれは人質の価値がなくなったからというより、正体を見やぶられたから殺したのか。こいつの魔力は強いが、魔神というほどではない。良きものの長という立場を利用して、自分の実力以上のことをしようとしてるんだ)


 良きものになりたい一心で、悪しきものから良きものになった、ニョロの例もある。良きものが悪しきものに変わることも、ときにはあるだろう。彼のなかで何が起こって、こうなったのかは誰にも知りえないが。


 魔道は銀のツノ飾りをふりたてて襲いかかってきた。

 ディアディンはテーブルを盾にしてよけた。テーブルは魔道のひづめにかかって、もろくも真っ二つになる。


 魔道の姿はさきほどから、じょじょに大きくなっていた。もともと大きな馬だが、今では広間をいっぱいに埋めつくす巨大さだ。逃げようにも、逃げ場がない。


「かんねんしろ! 月のしずく」


 壁ぎわに追いつめられたディアディンの身に、魔道がせまる。

 ナイフは魔道の影武者の背中に刺さったままだ。長姫に変装するため、剣もはずしてきた。反撃の手段はない。


(ここまでか)


 それもいいか。

 初めから、おれは死ぬために砦に来たんだ。

 やっと死ねる。むしろ、喜ぶべきこと……。


(本当にそうか? これでいいのか? 二度と長姫に会えなくても……?)


 かくごを決めたつもりでも、最後の瞬間には惑う。

 それが、人間。


 ディアディンは目をとじた。

 その耳もとに熱風のような息吹を感じる。

 すべては、このひとつきで終わる。

 次の一瞬で、ディアディンの後悔だらけの人生が……。


 しかし、そのときだ。


「ディアディンさま! しっかりしてください!」


 広間に長姫の声がひびきわたった。


 ディアディンが目をあけると、白い竜巻に乗った長姫が広間にとびこんできた。

 その姿は月光のように光りかがやく、長姫自身の姿にもどっていた。


 かえりみた魔道が、つかのま、ひるんだ。


「なぜ、長姫が二人も……」


 その一瞬のすきをついて、白い竜巻が魔道に体あたりした。ぐうぜんにも、ふりかえった魔道の右目に、白い竜巻の前足がささった。

 魔道は身の毛のよだつ悲鳴をあげて、かききえた。


「ディアディンさま。おケガはありませんか?」

「おれより、アシの速足が」


 アシの速足にはまだ息がある。長姫が傷口に手をあてると、急速にふさがっていった。


「これで安心です」

「魔道を追わなければ」

「今夜はもうムリです。塔のなかから魔道のけはいが消えました。現実の世界へ逃げたのでしょう」


 ならば、あとは現実の世界で、ことたりる。


(助かってしまったな。どうやら、おれはこれからも生きていかなければならないらしい)


 ためいきをついて、ディアディンはランタンを長姫にさしだした。


「なんで、もどってきたんだ。あんたはさきに帰れと言っといたのに」


 とうぜん、長姫が涙ぐんだので、ディアディンはギョッとした。女に泣かれるのは、どうしても慣れない。

 ただの海水なら、しょっぱいだけなのに、同じような塩水が美しい女の目もとにあるだけで、なぜ、この世のほかの何より澄んだものに見えるのだろう。


「そんなにわたくしがジャマですか?」

「おれはただ……あんたを危険にさらしたくなかった」

「わたくしだって、泣きます。あなたに、もしものことがあれば」


 たのむから、そんなことは言わないでくれ。おれは、あんたにふさわしい人間じゃないんだ……。


 ディアディンは長姫のほそい肩を抱きしめた。

 ふれると消える神聖なもの。

 ふれてはならないもの。


 なにかを伝えたかったけれど、言葉にならなかった。


 ディアディンの意識は、夢の世界から遠くなっていった。

 長姫の不安げなおもてが遠のき、砦の自分の部屋でめざめる。


 ディアディンは剣を手に馬屋へ走った。砦には何千頭もの馬がいるが、目的の馬はわかっている。馬小屋にとびこむと、右目のつぶれた白い馬をさがす。

 馬屋番の兵士にも手伝わせると、その馬はじきに見つかった。


「きさまが魔道だな」


 ディアディンを見て逃げだそうとする馬を討った。

 その日から、馬の消失はピタリとやんだ。

 かわりに、兵士たちのあいだに一時、変なウワサがひろまった。

 満月の夜、本丸の一室で、古い木馬がホンモノの馬になって、窓から天空へかけさっていった——と。

 その姿は、まるで白い竜巻のようだったと。


(おちこぼれでなくなったから、自由にかけていけるようになったのか)


 おれも自由になろう。

 もう自分の気持ちにウソはつけない。

 今こそ真実をうけとめ、過去の足枷あしかせを断ち切らなければ……。




 了

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