最終話 月は満ちて

最終話 月は満ちて 1



 ディアディンは決意した。


 長姫たちと出会ってからのこの一年、とても幸せだった。

 自分がこんなふうに笑える日が、もう一度来ると、かつては思っていなかった。

 でも、だからこそ、近ごろはつらい。彼らがあんまり純粋で、美しくて。自分が彼らの世界にふさわしくないと痛いほどわかる。


 その夜の長姫からの使者は、ハツカネズミの精の白しっぽだった。


「小隊長、急いでください。あるじの一大事なんですゥ!」

「長姫に何かあったのか?」

「あったというか、これからあるんです。たぶん……いえ、きっと」


 わけがわからない。


 なぜか、白しっぽは悲しげな顔をした。

「小隊長……」と言いかけて、涙ぐむ。


「なんだ? 気味が悪いな。永遠の別れみたいな顔して」

「まあ、その……チーズ食べます?」


 以前、とりもどした魔法のチーズのかけらを、ポケットからとりだす。白しっぽは悲しくなると、食べたくなる性分のようだ。


「いや、いい。でも、まあ、気持ちはありがとう」


 メソメソしながらチーズをかじる白しっぽにつれられて、長姫の待つ部屋へ行った。

 あいかわらず、長姫は美しい。 が、ディアディンを見て、うれい顔を見せたのは初めてだ。

 おかげで、こっちの用件を言えるふんいきじゃない。


「お待ちしていました。ディアディンさま——白しっぽや、おまえはさがっておいで」


 早々に白しっぽを追いだして、ディアディンと二人きりになる。こんなことも今までなかった。


「白しっぽはあるじの一大事と言ってたが、内密にしなければならないほど深刻な問題なのか?」


 問うと、ほんのりと長姫は笑う。


「その問題は、のちほど。その前に確認しておきたいのですが、以前、トレジャー族から、魔法の石うすをとりもどしてもらいましたね。あのとき、絵筆をもっていかれましたか?」


 図星をさされると、なんとなくバツが悪い。


「かくしてたわけじゃない。あのときはバタバタしたまま帰ってしまったから。トレジャー族の宝は持ちだしに成功すれば、好きなだけ持っていっていいと言ってただろ?」


 カードゲームをするとき、机を運ぶふりをして、手近にあった魔法具らしき絵筆をポケットに入れた。手クセの悪さを指摘されたようで、いごこちが悪い。


「なにしろ育ちが悪いからな。いろんな特技をもってるんだよ」

「責めているのではありません。あなたはあの絵筆の使いかたをごぞんじないでしょうから」

「魔法具だろうとは思ったが」


「魔法具は使いかたしだいで、持ちぬしを幸せにも不幸せにもします。人間は欲にかられて、あやまった使いかたをすることが多いので、あなたにはそんなふうになってもらいたくないのです」

「ありがたい忠告だよ」


 たぶん、長姫は真実、ディアディンを心配してくれたのだろう。が、そのとき、ディアディンがイラだったのは、前述の理由で卑屈になっていたからだ。


 長姫のおもてに、ますますうれいが深くなる。


「……おせっかいでしたね。すみませんでした」


 しおれた花のように、うつむかれると、ディアディンの胸も痛む。

 なんだか今夜は二人の心が遠いなと、ディアディンは感じた。


「いや、おれこそ、すまない。あの絵筆はどうやって使うんだ? 誰でも天才的に絵がうまくなるとか、そんなものか?」


「あの絵筆で描いたものは、どんなものでも本物になります。食べものでも、家具でも、お城のように大きなものでもです。絵に描かれたとおり、現実になるのです。あんまりヘタクソですと、それなりのものになりますが」


「えッ? 金でも宝石でも、なんでも?」

「はい」


 もしそうなら、すごい魔法具だ。コインを入れて叩くと倍に増えるという袋より、はるかにいい。そのつど必要なものが手に入る。


(おれは絵はヘタじゃないってていどだが、ちょっとした静物のデッサンくらいなら、まあ、そこそこ描けるかな。むずかしいものを描くときは、とちゅうまで画家に描かせてもいいんだし。いや、そんな、すごい魔法が使えるんなら、今から油絵をならっても遅くはない。画家になるなら絵心がいるが、そっくりに描くだけなら、技術さえ身につければいいんだ)


 日ごろ、それほど富や名誉に執着しないディアディンが、しばらく本気で絵筆の利用法を模索したくらいだ。

 魔法具には、たしかに人間の欲望をかりたてる恐ろしいまでの魔力がある。その魔力にとりつかれれば、破滅するだろう。


 ふと、われにかえって、ディアディンはそう思った。


(なるほどな。長姫の言うとおり、おれは今、われを忘れかけてた。おれのほんとの願いはそんなものじゃないのに)


 ディアディンが望むのは、過去のあやまちを正すこと。

 もう二度と後悔しないために。


(もし、死んでしまった人を生き返らせることができるなら……)


 もし、おれに、記憶のなかにあるリックの姿を写しとるだけの技量があれば、どうだろう?


 誰もがふりかえって見るほどの美少年だったリック。

 もし、あの姿を本物そっくりに描いたら、どうなるだろう?

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