第9話 まぼろしの海 7



「今日は楽しかったな、番人。また来るぞ」


 手をふって、洞くつの外へふみだす。

 ディアディンが一歩、外へ出ると、くるりと番人は、きびすをかえした。洞くつの奥へもどっていく。


「ちょっと、ちょっと、どうして白しっぽは泣いてるんですか? なんであそこから出てこないんです?」

「まさか、つかまっちゃったんじゃないでしょうね?」

「だいたい、なんで白しっぽが洞くつのなかに?」

「小隊長がつれていったんじゃ?」

「ええッ、なのに白しっぽを見すてるのか! なんてヒドイ。人非人だ。極悪人だ」


 見物人は大さわぎを始めるし、白しっぽは涙ながらに、

「お父さーん、お母さーん、さきだつ不幸をおゆるしくださーい」

 などと叫んでいる。


 それらの声が岩壁に反響して、もう何がなんだかわからないほど騒々しい。


 番人は立ちつくした白しっぽには見向きもせず、騒音のなか、悠然ゆうぜんと遠ざかっていく。

 白しっぽが魔法の力に阻まれて、自力では外へ出られないことを承知しているのだろう。


 見物人に槍玉やりだまにあげられながら、ディアディンは遠くなっていく番人の背中を見つめた。


 白しっぽのよこを通りすぎ、さらに奥へ地ひびきをたてながら進んでいく、黄金色の怪物——


(いまだッ!)


 ディアディンはいっきにダッシュをかけて、洞くつにとびこんだ。


 ディアディンと白しっぽは同じ香水をつけている。匂いでは気づかれない。さらに、足音は見物人のわめき声でかきけされた。ディアディンが洞くつに入ってきたことに、宝の番人はまだ気づいていない。


「あれっ? 小隊長? なんでもどってきたの?」


 ぽかんとしている白しっぽをかかえあげ、ディアディンは入口へ引きかえした。

 異変を察した番人がふりかえったときには、もうディアディンは洞くつの外だ。


「たしかに貰ったよ。おまえの宝」


 くえェーッと声をあげて、番人がかけもどってきた。でも、ディアディンは洞くつを出てしまっているから、手の打ちようがない。


「クルゥ……」

「やられたぁ、と言っております」

「だから、また来るぞと言ったろ。おれの二度めの挑戦になるのかな。戦利品は、白しっぽと魔法の石うすだ」

「魔法のチーズもです」


 りっぱに最後までにぎって離さなかったチーズをかかげて、白しっぽは、はしゃいでいる。さっきまで自分が死んでしまったかのように、泣きさけんでいたくせに。


「それにしても、ヒドイよ。ぼくを見すてようとしましたね。小隊長」


「あれは、そういう作戦だったんだ。おまえが失敗するかもしれないって可能性は、計算のうちに入ってた」

「じゃあ、なんで、そう言っといてくれなかったんですか。おかげで、ぼく、すごく怖かったよ」


「おまえたちはウソがつけないだろ。事前に告げてたら、番人に見ぬかれて、うまくいくわけがない」

「そんなことないよ。ぼくだって、ちゃんと……」


 ゴソゴソとポケットに手を入れていた白しっぽは、またまた青い顔になった。


「あれ……? ない」

「ないって、おまえ、まさか……」

「石うすがありません。どっかで落っことしちゃったみたい。あ、たぶん、チーズを追いかけてたときだ。なんか、コロンといったような……」


 ディアディンのため息が、あばら骨まで出てきそうになるのもムリはあるまい。


「ほんとに手のかかるヤツらだな! 夜明けまで、あとどのくらいある?」


 オーディエンスにたずねる。


「半刻ほどですね」

「それだけあれば充分だ」


 ディアディンは洞くつの入口に立ちはだかり、番人を見あげた。


「おれの三度めの挑戦だ。今度はサシで勝負だ。ただし、勝負はカードで。おれが勝ったら、魔法の石うすをくれ。おまえが勝ったら、このカードをやるよ」


 カード中毒寸前の番人が、イヤだと言うはずがない。

 ディアディンは三たび、洞くつへ入り、数分後には外に出てきた。もちろん、その手には魔法の石うすをもって。


 こうして、ディアディンは一晩に三度、宝の洞くつに挑んだ勇者として、長姫の眷族のあいだで長く語りつがれることとなった。

 この記録は少なくとも、ディアディンが知るかぎり、ぬりかえられたことはない。


「今回はほんとに、たいへんムリなお願いをしてしまい、もうしわけありません」


 夜明けを前に、長姫のもとへ帰り、石うすをさしだした。

 長姫の清らかな笑顔を見ると、ようやく苦労がむくわれた気がする。


「これで、お客さまにぶじにお帰りいただけます」


 そのあと急速に、ディアディンの意識は遠くなっていった。が、完全に現実世界で覚醒するまでに、夢を見た。


 月光の反射する、あの地下で、長姫が石うすをまわすと、石のあいだから、みるみる海水があふれだす。


 新鮮な海水につかった客の姿は、弱々しい小魚ではなくなっていた。

 銀のしっぽをもつ人魚だ。

 両手をとりもどした人魚は、長姫から石うすをうけとり、自分でまわし続ける。


 海水は満ちあふれ、こつぜんと地下に海が出現した。

 人魚は波に乗り、故郷の海へ帰っていった。人魚が波間に消えると、またたくまに潮が引き、幻の海も消えていく。


 けれど、その後も、あの客はときおり、遊びに来るらしい。

 やはり夏になると、砦では今でも、潮騒が聞こえる。




 了

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