第8話 月のしずく 4



 今度はもっと深刻な場面だった。


 以前と同じ少女の家だが、家のなかの空気が重い。少女の寝室に大ぜいの人間が集まり、涙をながしている。


 少女の母らしい女が男にすがりついて、

「この子を助けてください。あなたは都一の名医ではありませんか」

 などと泣きさけんでいた。


 少女の顔を窓の外から見たディアディンは、この子はもう助からないと思った。今夜か明日が峠だろう。


(だから、イヤだったんだ。こんなふうになると、わかってたのに)


 少女が死ぬところは見たくない。だが、今さら、この場を立ち去ることもできない。


 ディアディンは窓の外に立ちつくし、そのときを待った。

 眠ったまま逝くのかと思ったが、少女は一度だけ意識をとりもどした。

 ディアディンを見て、青ざめたおもてに笑みをうかべる。


「来てくれたんだ」


 吐息のような声が、なぜか、ディアディンの耳にはハッキリと聞こえた。


「こっちへ来て。あたしの手をにぎってよ」


 少女の目はディアディンだけを見ている。が、まわりの大人たちには、ディアディンの姿は見えていないようだ。少女が幻を見て、うわごとを言っていると思うらしく、しのび泣きが増した。


 ディアディンは窓をあけ、室内にすべりこんだ。以前より、さらに細くなった少女の手をにぎる。


「お願いがあるの。前に約束したよね。あの約束をいま、叶えて」

「うん。なんだ?」

「あたしをもう一度、あの場所へつれていって。その本を読めば、わかるから」


 少女の好きだった本は、まだ枕もとにあった。

 ディアディンがそれに手をのばしかけたとき、少女の容体ようだいが急変した。少女の意識は深い闇におちていき、それきり、息をひきとった。


 少女の母は気を失い、父はそれを支えて部屋を出ていく。医者を見送って使用人も出ていく。

 つかのま、室内はディアディンと少女の二人きりになった。


 ディアディンは眠る少女のかたわらで、その本を手にとった。

 最初の一ページを読んで、なぜ少女が病気の体をおして、あんな森へ行ったのかわかった。

 少女がディアディンに何をたのみたかったのか。



『あるところに、小さな女の子がいました。女の子は生まれつき体が弱く、大人になるまでは生きられないと、お医者さまに言われていました。もう次の春はむかえられないと言われ、なげき悲しむ両親に、少女はこう言いました。


「わたしが死んだら、月光のあたる丘に埋めてください。月の女神さまにお願いして、わたしはかならず、帰ってきますから」


 それで、その年の冬、死んだ女の子を、両親は言われたとおり、月光のふりそそぐ丘の上に埋めました。はたして、女の子をうずめたあとには、見なれない植物が生えてきました——』



 花ひらく前に死ぬという、自分の運命を知る少女の、それが願いだった。

 月の魔力をかりて、美しい花に生まれ変わること……。


 ディアディンは少女を死の床から抱きあげた。


 その夜は満月だった。

 静まりかえった森のなかで、ディアディンは孤独で残酷な作業をひたすら続けた。

 わが子の死をなげく両親のもとから、少女のなきがらを盗み、永遠に隠してしまうという作業。


 だが、誰に止められただろう?

 薄幸に死した少女の最期のたのみをかなえることを。


 満月の光をあびるように受ける丘のいただきに、ろくな道具もなく、少女のための永劫の寝床をつくるには難儀した。

 が、これくらい苦痛をともなうほうがいい。心の痛みをまぎらわすためには。


 夜中までかかって、野犬やオオカミにも荒らされないほど深い穴をほった。ディアディンはそこへ少女をよこたえた。


 泥だらけになった手で、少女の髪をととのえると、少女の白いひたいも、うっすらと泥でよごれる。どうせ土をかぶせてしまうのに、それがひどく、ディアディンは気になった。よごれた自分の手が、少女の神聖をけがしてしまったように思えた。


(おまえはけがれを知らないまま死に、おれは汚辱おじょくにまみれて生き続ける。いったい、どっちが幸せなんだろう?)


 全身に泥をかぶっていたが、比較的キレイな服の内側で、少女のひたいの汚れを神経質にふく。


 そして、ディアディンは少女にお別れした。


 月光のしずくを受けて、少女のおもては、あでやかなほどに輝いている。


「ダメじゃないか。まだダンスも踊っていなかったのに。お姫さまがいなくなってしまうなんて」


 さよなら——


 死ぬなと泣いてすがっても、人は死んでしまうもの。


 またひとつ、ディアディンの胸に、消えない烙印らくいんのような記憶が残る。


 少女のおもてが土の下に隠れると、ひとすじ、涙がこぼれおちた。

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