第8話 月のしずく 2



「そうと決まれば、今日は帰ったほうがいいな。家はどこだ?」


 ところが、少女はまだ納得しない。


「エルフの丘へ行ってみたいの。この森のまんなかにあるんですって。そこは月光の差すとてもキレイな場所で、満月の夜にはエルフたちが輪になって踊るんだって、昔から言われてるの。ああ、でも、こんなこと、妖精のあなたには説明する必要もなかったわね」


「おれは妖精では……」

「ウソ。そんな変わった服をきてるのは妖精だけよ。中世のお芝居みたい」


 ここは時代が違うから、どうも服の流行が異なるようだ。


(ということは、迂闊うかつにこのカッコで街を歩けば、とんだ笑い者か)


 言語の違いはさしてないのか、それとも長老の魔法で補われているのか。

 時間旅行というのは、はなはだ、めんどうなことが多いらしい。


「まあ、それについては深く聞かないでくれ。こっちにもいろいろ事情があるんだ」


 すると、少女は目を輝かせた。


「わかってるわ。正体が人間にバレたらいけないのね。わたし、もう言わないから。じゃ、あなたのことは、通りすがりの王子さまだと思っておくから。ねえ、王子さまは白馬に乗ってないの? わたしをエルフの丘までつれてってよ。つれてってくれるまで、おうちには帰らない」


「強情なやつだな。しょうがない。また一人で行こうとして倒れられても困る」


 ディアディンは少女のかぼそい体をかかえあげた。

 七つか八つか、あるいは十さいくらい?

 病弱な少女は悲しいほど軽い。


「エルフの丘はどっちだ?」

「この奥よ」


 少女の指さすほうへ歩いていくと、ほどなく森のなかのひらけた場所にでた。ゆるやかで小さな丘が中心にあって、ここも季節の花が咲きみだれていた。

 子猫がうずくまったような丘の形を見て、ふっとディアディンは疑問をいだく。


(なんだか、ここの形、砦の裏庭にある丘に似てるな)


 そんなはずはない。

 砦のある国境の森は、何千年も前から人間の立ち入ることのできない魔の森だった。 数百年前までは、それこそ原生林だ。

 決して、こんな少女が一人で歩いてこられるような場所ではなかった。


(森の景色なんて、どこも似てるしな)


 似てるだけの別の場所だろうと、ディアディンは考えた。


「さあ、ついたぞ。もう満足だろ? 家に帰ろう」


 少女は、ほっぺたをふくらませる。


「せっかく来たんだから、もっとよく見てみたい。あそこにおろして」

「やれやれ。わがままなお姫さまだなあ」


 言われたとおりに、丘の頂上に少女をおろした。

 少女はそこに寝ころんで空をあおいだ。


「気持ちいい。あんなに早く雲がながれてく。ここなら晴れた日には、いつでも月が見えるわね」


 ディアディンもマネして、少女のとなりにあおむけになった。


「いい風が吹いてる。妖精が踊るかどうかは知らないが、月光のなかでは神秘的だろうな」

「よかった。ここなら、よく眠れそう」

「おいおい、昼寝に来たのか?」


 少女は答えず笑っていたが、急に別のことを話しだした。


「大好きなお話があるの。病気の女の子が花の精になって、冒険する物語よ。最後には、妖精の国の王子さまと結ばれるの」


 それで、ディアディンを妖精の王子だとか言いだしたわけだ。運動規制されてるから、そのぶん想像力が豊かなのだろう。


「だから、自分も冒険したくなったのか?」

「うん。そしたら、ほんとに王子さまが来てくれた」


 おずおずと、ディアディンの手をにぎってくる。


 ディアディンは小さな手をにぎりかえした。

 初対面の男に、こんなになついて、無防備だなとは思うが、したわれれば悪い気はしない。

 ずっと昔、元気だったころのミュルトを思いだす。


(治る見込みのない病気にむしばまれた少女。この子は、いずれ近いうちに死ぬのか……)


 これ以上、愛着がわく前に別れておくべきだ。

 でなければ、忘れられなくなる。

 悲しい思いをするのは、もうたくさんだ。

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