第八話 月のしずく
第8話 月のしずく 1
前回と同じ木作りの人形みたいな子どもが迎えにきた。
ふしぎに思っていると、長姫の前には、白髪が滝のように流れた時計の精の長老が待っていた。
「また、あんたのとこに問題が起きたのか? あんたのとこは
ぶすりとして、ディアディンが言いはなつと、長老は「ひゃひゃひゃ」と、いささか威厳にかける笑い声をたてた。
「そう言うじゃろうと思って、今夜はおまえさんに
前回、いじめられて帰ってきた子どもみたいに、長姫に泣きついたことがバレているのかと思うと、ディアディンは赤面する思いだ。ますます口調はぶっきらぼうになる。
「べつに気にしてなんかない。いずれ礼をもらう約束でやってるんだから、ほっといてくれ。そんなつまらん用なら帰るからな」
「まあ、そう言うでない。誤解させたようじゃが、わしゃ、おまえさんの気持ちが嬉しかったんじゃ。わしを生かすために必死になってくれたじゃろう。感謝しとるよ」
「おれはあんたたちに礼を言われるためにやってるんじゃない」
「うんうん。おまえさんも、わしに負けずおとらず、なかなか頑固じゃのう。いいから、こう来て、長とならぶがよい。いいものを見せてやろうて」
長姫の肩に手をかけて、ならんで立つよう指示される。ディアディンはしぶしぶ従った。
「こんなことして、どうなるんだ?」
長老をふりかえったときには、ディアディンの周囲の景色は飛ぶように遠ざかっていた。
とつぜん、自分だけ時の運行から切りはなされて、置いてきぼりにされたように、まわりのすべてのものが、すさまじい速さで通りすぎていく。
ディアディンはめまいをおぼえた。が、どこからか、長姫の声が聞こえてきた。
「おちついて。長老は時間魔法が使えるのです。今、わたしたちは時の流れをさかのぼっています」
初めて長姫の眷族が使う魔法を目にして、正直、めんくらった。
彼らが魔物だということは承知していた。が、人間の力をかりなければ暮らしていけないほど、弱い魔物の集まりだ。どうせ魔法なんて使えないと思いこんでいた。
「長老はわれら一門のなかでも、強い力の持ちぬしです。安心して長老にまかせてください」
そう言ったあと、かすかに長姫は戸惑った。
気配は感じるが姿が見えないので、ディアディンは不安になった。
「どうしたんだ?」
「いいえ。ただ……」
それっきり、長姫は口をつぐんでしまう。
長姫が消えてしまったような気がして、あわてて声をかけた。
「長姫? いるなら姿をみせてくれ」
だが、返事はなく、ディアディンはいずことも知れぬ景色のなかへ、とつじょ、一人で投げだされた。
そこは森だった。
森とは言っても、ディアディンたちの砦のある、魔族の住む暗い森ではない。金色の陽光が帯のように木の間から差す。心地よい風。樹木と花のかおりがとける明るい森だ。
のどかな鳥のなき声さえ聞こえ、ディアディンはぼうぜんとした。あまりにも砦とは環境がちがいすぎる。
長姫は時をさかのぼっていると言ったが、ほんとに同じ場所なのだろうか。
それとも、時代とともに、場所も移ったのだろうか。
いや、というより、長姫の世界と同じ、夢とも
「長姫、どこにいるんだ?」
見まわしても、長姫の姿はない。
かわりに、もっと幼い子どもの声がした。
声のしたほうへ歩いていくと、たしかに子どもはいた。女の子だ。豪華な子ども服を着ている。きっと、貴族の娘だ。
くりくりした黒髪にふちどられた顔は、なかなかカワイイ。が、惜しむらくは、少女が虫の息なことだ。くちびるから血の気が失せ、紫色になっている。
心臓が悪いのだ。
こんな病気の子どもが、なぜ、たった一人で森のなかに倒れているのか。
いかにディアディンのキライな貴族でも、相手は子どもだ。ほうってはおけなくて、ディアディンは砦でおぼえた心肺蘇生法をこころみた。
少女の小さな心臓を圧迫しながら、人工呼吸をくりかえしていると、少女の頰に赤みがもどってきた。少女の水色の瞳がひらき、ディアディンを見つめる。
そのとき、ふと、ディアディンはその子どもをどこかで見たような気がした。
この少女、誰かに似ている。
「白雪姫が王子さまのキスでめざめるって、ほんとね」
少女は無邪気に微笑んで、ディアディンの首にしがみついてきた。甘いお菓子の匂いがする。
「たすけてくれて、ありがとう」
「礼はいいんだが、お姫さま。あんたはどうして、こんなところに一人でころがってたんだ? 継母に家を追いだされたのか?」
ころころと少女は笑う。
さっきまで死にかけていたとは思えない。
「残念だけど、わたしは白雪姫じゃないの。あ、でも、どこにも行かないでね。あなたはわたしの王子さまでしょ? わたし、エルフの丘まで行くところなのよ。パパとママが絶対ダメって言うから、おうちをぬけだしてきちゃった」
それは、こんな病の娘を両親が外に出すはずがない。今ごろ、きっと大さわぎだ。
「見かけによらず、オテンバ姫だな。悪いことは言わないから、両親の言うとおり、おうちでおとなしくしてるんだ。しょうがないから、家までおれが送ってやる」
とたんに少女は白い目で、ディアディンをにらむ。
「近ごろの妖精はリアリストなのね。こんなとき妖精なら、いっしょにダンスしましょうとか言うんじゃないの?」
「バカを言うな。ダンスなんか踊ったら、おまえは……」
言いかけて、少女の顔をみて、くちごもる。
「ダンス、したいのか?」
「うん。ずっと、あこがれてたの。わたしも物語のお姫さまみたいに、すてきな王子さまと踊ってみたい。ね、いいでしょ?」
元気に見えても、心臓のやまいは外からではわからない。
激しい運動を禁じられ、きっと、この子は健康な子どもをうらやみながら、静かでタイクツな毎日を送っているのだろう。
「今はダメだ。おまえがもう少し元気になったらな」
言うが、このやまいが治ることはないと、ディアディンは知っていた。ディアディンの時代では心臓病は不治のやまいだ。
この時代でも同じらしい。
少女のおもてに悲しみがよぎる。
自分が元気になるはずがないことを知っている顔だ。
だが、少女はつとめて明るく笑った。
いつも、こうして、まわりの大人に心配をかけまいとしているのだと感じて、ディアディンは胸がしめつけられる気がした。
「じゃあ、約束よ。いつか、かならずダンスを踊ってね」
「ああ」
果たされないと、初めからわかっている約束をかわす。
それは気やすめにすぎないが、ここで少女をつっぱねられる人間はいないだろう。
少なくとも、ディアディンにはできない。
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