第7話 約束 4



 老人は無反応だが、ネールとすごしたころの他愛ない幸福な思い出の数々が、波のように静かにあたりに満ちた。


「そうだな。砦に人間は山といるが、あんたたちに声をかけるやつはそうはいない。あんたにとって、ネールは本当に大切な友人だったんだ。

 だが、あんたは知らないだろう。ネールが去ったのは、実家の父が急死したからだ。ネールは長男で跡取りだから、残りの兵役は免除されて帰省した。それがいけなかったんだ。急ぎの文には死因まで書いてなかったが、ネールの父は悪性の流行性感冒インフルエンザで死亡した。ネールが帰りついたときには、一家全員が感染していた。ネールは家族の病気をもらって……死んだんだ」


 ディアディンは苦い思いを奥歯のあいだにかみしめた。


「待っても、もう、ネールは来ない。あんたが強情をはる必要はない」


 ところが長老はかすかに首をふった。

 ディアディンはカッとなって、言葉をたたきつけた。


「わかってるのか? 人間は死んだら生き返らないんだぞ。ネールとの約束は永遠に果たされない。ネールを待つのは、死んだネールに殉じて、あんたも死ぬってことなんだ!」


 老人の枕元をこぶしでたたくディアディンを、老人の思念が静かに包みこむ。



 ——それでもいいんじゃよ。これは、わしとネールとの男と男の約束じゃからな。



「ばかやろう!」


 ディアディンが涙をながしたのは、自分と同年代のネールの不幸な死のせいでもなく、老人の決意のさきにあるものでもなく、それらをもたらした残酷な運命のせいでもない。


 運命は残酷なものだ。

 そんなことはとっくに知っている。


 雨が降る。激しい雨が。

 ディアディンの心の奥底で、いつまでも、ふりやまぬ雨が。


 リック。リック。

 あと少しで手が届いた。

 くずれた橋とともに流されていったリック——


(リック。おれたちの友情が終わったのは、いったい、いつだったんだろう? おまえがミュルトを守れなかった十二のとき? それとも、おれがおまえを救えなかった十六のとき?)


 もうずっと前から、おれたちの友情はとっくに腐ってたのかもしれない。


 おまえが悪いんじゃない、おまえがわざとしたわけじゃないと、自分に言いきかせながら、おれは心の奥では、ずっと、おまえを許せなかった。


 それでも、おまえと友情ごっこを続けたのは、おまえが貴族で金をもってたからだ。

 ミュルトの薬を買ってきてくれたり、屋敷から持ちだしてくる高価な品々が、ミュルトの看病のため働きにいけない、家族の生活に必要だったから……。


 なんて汚いんだろう。

 こんなのは友情じゃない。


 それなのに、この時計のバケモノは、友情のために死んでもいいと言う。


 それではあんまり、おれがみじめじゃないか?


 だから、涙があふれて、止まらない。


 ディアディンは立ちあがった。

 目をとざしたままの、おだやかな長老の顔。その胸の上に、ふところから出したものをほうりなげる。


 ネールが残した、あの歯車。


 その瞬間だった。

 ふわりと影のようなものが立ち、あわく光を発する青年の姿になる。



 ——遅くなって悪かったね。なおしてあげるよ。約束……だからね。



 青年の姿はつかのま輝いて、やがて消えた。


 いつのまにか、歯車は長老の体のなかに吸いこまれている。


 歯車に残るネールの思いと、ネールを信じ続ける長老の気持ちが符合して、そんな奇跡をおこしたのかもしれない。


 長老は目をひらき、ゆっくりと起きあがった。


「信じておったよ。きっと来ると。ネール、最後に会えて嬉しかった」


 めざめた長老を喜びで迎える時の精霊たちの群れから、ディアディンはそっと離れた。


 やつらは種族をこえて、友情をつらぬいた。

 どうして、あいつらは、あんなにキレイなんだ?

 どうして、おれだけが汚いんだ?


 廊下を歩く足は、しぜんと長姫のもとへ向かっていた。


 長姫はどこまでも清らかな笑みで、ディアディンを迎えてくれる。


「おれだって、なくしたくて、なくしたわけじゃないさ」


 長姫の足もとにすがりつき、ひざまくらに顔をうずめた。


「今だけ、こうしてくれ。少しのあいだ……」


 長姫の指が、優しく、ディアディンの髪をなでる。




 了

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