第三話 絵空事

第3話 絵空事 1



 満月の夜の招きが三度めになった。

 その日、ノックの音でめざめたディアディンは、扉をあけて言葉を失った。


 これまでも迎えの使者は風変わりだったが、それにしても、今ドアの外に立っているようなものを想像してはいなかった。


 誘いのぬしが魔物だから、魔物が立っていることには驚かない。

 しかし、そこにいたのは、ゴテゴテと飾りつけて、コルセットで腰を細くしたドレスをまとう、貴族風の女だったのだ。

 周囲に人間より魔物の数のほうが多い辺境の砦では、一生涯、見るとは思っていなかった風体だ。


「今夜は仮装パーティーか?」


 毒舌をふるっても、女はニコリともムスリともしない。さあ、ついてまいれと言わんばかり、無言で歩きだす。


「くそ。無視か」


 ディアディンは貴族が嫌いだ。

 セオドリックのことは好きだったが、十二のときのあの事件以来、貴族は嫌いだ。


 一度は生死の境をさまよい、意識をとりもどしても、半身が不自由になってしまったミュルトに対して、領主の見せた態度はゆるせなかった。

 謝罪どころか、息子のセオドリックを危険にさらしたと言って、ケガ人のミュルトをムチ打ちの刑にすると言いだしたのだ。


 それはセオドリックが言いくるめて、どうにか中止になったが、あのときの怒りと絶望は忘れられない。


(そうだ。もとはと言えば、リックが止めるのも聞かず、一人で勝手に木にのぼっていったミュルトが悪い。だからって……)


 ミュルトは今年十六になる。かつての活発なおもかげはどこにもない。母の望みどおり、一日、椅子に座って、裁縫や料理の下ごしらえをしている。


 が、そんなものをおぼえたってなんの役にも立ちはしないのだ。

 農村では畑で働けない嫁なんてほしがる家はない。ミュルトは一生、結婚できない。

 兄のディアディンが命をけずって得た給料で、このさき、ずっと、ひっそり生きていくしかない。


 ディアディンが死んだら、どうなるのだろうか。

 いや、それ以前に両親が死んだら、自分の足でベッドまで歩いてさえいけないミュルトは生活できない。


 こんなことなら、あの話、受けておくべきだったろうか。

 四年前、セオドリックが言いだしたあの話……。


 でも、あのときはとても許せなかった。


 リックだけは、平民の上に、のうのうとアグラをかいて当然の顔をしている貴族連中とは違うと思っていた。

 なのに、けっきょく、リックもその貴族の一員にすぎなかったと思い知らされた。


(貴族は嫌いだ。こんな連中、この世から消えさればいい)


 ムカムカしながらついていくと、いつもとは違うサロンめいた一室についた。調度は豪華だが、室内は暗い。

 なかに、ずらりと貴族風の男女がいて、思い思いのポーズで立ったり、すわったりしている。


「長姫がいないな」


 美しい長姫の姿がないことに落胆する自分を、ディアディンは感じた。


「もはや事情に通じておいでだから、長からの挨拶あいさつはぬきにしてもらおうと思ってね。それに、長はあの部屋から動けない」


 髪の長い、すました男が言った。雪のように白い肌と黒髪の人形のようにキレイな男だ。

 どこかで見た顔だと思った。


 今回の連中は美しいことは、みな美しく、姿形だけなら、これまででもっとも人間に近い。しかし、一番、ムカっ腹のたつ連中ではあった。


「まあ、遠慮せず、かけたまえ」


 男が指さきで、彼の向かいの椅子をさす。


 サロンに入ったディアディンは、とたんに全身の骨をビリビリふるわせるほどの音を感じた。

 地獄の底からとどろくような低いうめき声が、どこか深いところから、部屋じゅうに響きわたっている。


 黒髪の男が憂鬱ゆううつそうに、片手でこめかみをおさえた。


「そう。これなのだ。われわれの悩みのタネは。これは数ヶ月前から行方知れずの、われらの一族の一人。おそらく、どこかで苦しい思いをしているのだろう。彼も苦しかろうが、われわれも苦しい。毎夜、これなので、われらはすっかり気鬱でね。眠れもしない。小隊長、どうか彼を救いだし、われらを安心させてはくれないか」


 男の言葉と同時に、ここまで案内をしてきた青いドレスの女が、宝石の指輪をはめた手で、ぎゅッとディアディンの手をにぎってくる。

 美しい女でも貴族は好かないので、ディアディンは女の手をふりほどいた。


「わかった。長姫との約束だ。やってみよう。それにしても話があいまいすぎる。少し時間を食うかもしれない」


 男は急に嬉しげになって、女のようにあでやかに笑った。

「よろしく頼んだよ。小隊長」


 話は終わりらしい。

 ディアディンは立ちあがった。不親切にも誰も、もとの場所まで案内してくれない。


 しかめっつらでサロンを出て、うしろ手にドアをしめる。すると、なかから話し声が聞こえてきた。


「うんと若いね。小隊長は。顔立ちは、まあまあ。でも、あの若さは魅力的だ。われらの仲間にしたいくらい」

「お兄さま。わたくし、あのかたが気に入ったわ」


 クスクスと笑い声。

 なんとなくイヤな感じがする。

 だが、考えているまもなく、ディアディンは足もとから巨大なケモノに飲みこまれるような感覚におちいり、気を失った。

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