第6話 一緒に連れて行って

 夕食の味は、あまり良く覚えていない。「ごちそうさま」の言葉は言ったが……気づいた時にはもう、部屋のベッドに寝そべっていた。

 真面目な顔で、部屋の天井を見上げる。僕はベッドの上から上半身を起し、部屋の壁に目をやって、その壁にティレスさんの顔を重ならせた。


「妖精、か」


 ティレスさんの話では、妖精は「人間と敵対関係にある」と言う。その思想や、生活領域から言って。妖精は人間よりも自然に近く、そして、その自然を守る存在だった。人間が自然の領域を侵さないように。

 彼らは(必要以上に)人間が森を侵すと、その知略と数をもって、人間の武器を壊し、森の中から人間達を追い出した。

 

 人間達は、「それ」に頭を抱えた。森は貴重な、人間にとっては必要な資源なのに。その使用を制限されたのであれば、自分達の生活に支障をきたす。もっと言えば、経済の衰退さえ招きかねない事態だった。

 森の資源は商人達に金をもたらし、領主達にも税収と言う名の財をもたらす。彼らの経済活動には、森は絶対に必要だった。森の資源があるからこそ、彼らはまともな生活を送る事ができる。自然の恩恵を廃した封土は(微々たる違いはあっても)、ほとんどの場合、破滅の一途を辿った。

 

 人間達は、その破滅を恐れた。ただでさえ、危険が溢れる世界なのに。森如きに、自分達の生活を壊されるなんて。森を私物と考えていた彼らには、その現実がどうしても許せなかった。

 彼らは森の守護神……つまり、妖精達に戦いを仕掛けた。森の主導権を取り戻すために。森の主導権さえ取り戻せば、その利益は増大。人間の世界に莫大な利益をもたらす。

 

 人間達はその利益を得るために(腕力は、人間の方が勝っていた)、彼らの国を襲って、その国から王妃を奪い取り、辺境の地に彼女を閉じ込めた。教会の周りに強力な結界を張って、その王妃が決して逃げられないように。

 彼らは教会の司祭(あの人、本当は凄く偉い人だった)に王妃の監視を任せると、それぞれの故郷に戻って、森の木々を削り、その財を早速増やしはじめた。

 

 僕は、その話に胸を痛めた。この世界は……怪物が悪者で、人間が正義だと思っていたのに。妖精に限っては、その法則(僕が勝手に思っただけだが)が違っていたようだ。

 ベッドの上にまた、寝そべる。僕は妖精の事を色々考えたが、二時間ほど経った所で、両目の瞼が重くなってしまった。


 

 朝の気配で目を覚ます。僕はベッドの中から出ると、いつもの部屋に行って、家の二人に「お早うございます」と挨拶し、いつもの椅子に座って、今日の朝食を平らげた。


「ごちそうさまでした」

 

 僕は自分の使った食器を片付けると、いつもの荷物を持って、町の教会に走った。教会の前では(やっぱり)、ティレスさんが僕の事を待っていた。修道服の中に羽を隠して。その頭にも(今日も前髪が、風に靡いていた)、フードを被っていた。

 

 彼女は、嬉しそうに笑った。


「おはよう」


「おはよう」と、応える僕。「今日も、僕の調査を見ているの?」


 僕は真剣な顔で、彼女の答えを待った。


 彼女は、僕の目を見つめ返した。


「……うん。あなたと一緒にいれば、人間に虐められないで済むから」


「そう。なら」


「……うん」


 僕達は並んで、教会の書庫に向かった。


 僕は書庫の中に入ると、書棚の前に行って、その中から資料を取り出した。


「こんなに調べて置いてなんだけど。ティレスさん」


「はい?」


「ティレスさんは……その、ティレスさんも探したの? ここの資料を読んで」


 ティレスさんは、僕の隣に並んだ。


「……調べた。ここの資料を全部。でも」


「でも?」


「私では、見つけられなかった」


 僕は、その言葉に肩を落とした。全部調べても見つからなかったなんて。それじゃ今、僕のやっている事は。僕は憂鬱な顔で、テーブルの椅子に座った。


「本当に無駄な事だったね」


「うんう」の声が、ティレスさんの声が聞こえた。「無駄じゃない」


 ティレスさんは、僕の真向かいに座った。


「あなたの行為は、無駄じゃない」


「はっ」と、彼女の言葉を笑った。「無駄じゃないって? ティレスさんも、ここの資料を調べたんでしょう?」


「うん。それで……。私では、そのヒントを見つけられなかった」


「僕なら、そのヒントを見つけられるって事?」


「うん」


「ティレスさん」


 僕は、椅子の上から立ち上がった。


「先輩の君が見つけられなかったのに。後から来た僕が、何を見つけられるって言うの?」


 ティレスさんも、椅子の上から立ち上がった。


「後から来た人だからこそ、分かる事もある」


 彼女は、僕の目から視線を逸らした。


「私の頭は、先入観で固まっているから」


 僕はその言葉に反論しようとしたが、「それ」を言おうとした瞬間に、その言葉自体を飲み込んでしまった。暗い顔で、テーブルの椅子に座り直す。僕は「無駄だ」と思いながらも、資料の頁を開き、その内容を黙々と読みはじめた。


 

 それから数時間後、腹の虫が鳴った。書庫の静寂を破るように。僕はその音に驚いたが、ティレスさんは「クスクス」と笑った。


「お腹、空いたの?」


「う、うん。そうみたい。でも」


「でも?」


「今は、食べたくないんだ」


 ティレスさんは僕の顔をしばらく眺めたが……何を思ったのか? 僕に「待っていて」と行って、書庫の中から出て行った。


 僕は(驚きながらも)、ティレスさんの背中を見送った。


 ティレスさんは、二十分くらいで戻ってきた。その両手に丸いお盆を持って。お盆の上には……何だろう? 野菜を挟んだパン(黒パンじゃない)が乗せられていた。テーブルの上にお盆を置く。


 彼女は優しげな顔で、僕に「食べて」と微笑んだ。


「お腹、空いているでしょう?」


 僕は、目の前のパンをまじまじと見た。


「これ、君が作ったの?」


「……うん」


 彼女は上目遣いで、僕の顔を覗き込んだ。


「嫌、だった?」


「う、うんう! そんな事はないよ! ただ」


「ただ?」


「女の子に……その、食事を作って貰うのは初めてで」


「そう」と、彼女の顔が赤らんだ。「私も、男の子に作るのは初めて」


 僕達は、互いの目をしばらく見合った。


 僕は慌てて、彼女の目から視線を逸らした。


「そ、そうなんだ!」


「……うん」


 僕は彼女の顔を二、三度見、それから彼女の作った料理を食べた。彼女の作った料理は……美味しいとまでは行かないまでも、不味くはなかった。

「毎日食べたい」と聞かれたら、「週に三回くらいは食べたい」と答えるくらいに。彼女の料理には、「味」に勝る「愛情」が込められていた。

 

 僕は、その愛情に温かくなった。


「ありがとう」


 彼女の顔が華やいだ。彼女は嬉しそうに笑い、そして、テーブルのお盆を持つと、書庫の中から出て行って、ここにまた戻ってきた。


 僕はテーブルの資料に意識を戻し、その内容を読みつづけたが、「特別な資格」に関する情報は、残念ながら見つけられなかった。書庫の棚に資料を戻す。その後は、彼女と連れ立って書庫の中から出て行った。


 僕達は、教会の出入り口まで行った。


「本当、ぜんぜん見つけられないね」


 彼女の無言が憎たらしかった。


「ティレスさんの言った通りだ。どんなに調べてみても」


「まだ、諦めるのは早い」


 ティレスさんは、僕の目を見つめた。


「ヒントは、絶対に見つかる。あなたがまだ、見つけていないだけで」


「チッ」と、思わず舌打ちしてしまった。「先入観が無くっても、資格の情報は見つけられない。あれだけ資料を調べたんだ。書庫に残っている資料も」


 それに……。


「僕にはもう、時間が無いしね。こうなったら、次の町を探すしかない」


 僕は彼女の前から歩き出そうとしたが、彼女に「それ」を阻まれてしまった。


 ティレスさんは、僕の腕を掴んだ。


「……待って、お願い。私を一人にしないで」


「ティレス、さん」


「……次の町に移るなら、私も一緒に連れて行って」


 彼女は悲しげな目で、僕の顔を見つめつづけた。

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