第9話 火曜②A
「飯倉君はSFが好きなんだね」
放課後になり、俺と飯倉君は時間になるまで教室で駄弁る事にした。
こちらの二人はいつもお互い読んだ小説の話をしているとの事だったのでそれにあやかる。
そういえば家に見た事がない本が数冊あったが、あれは飯倉君に勧められて購入したものだったのか。と話しているうちに気がついた。
その日、飯倉君が持っていた本は実写映画化もされた話題のSF小説だった。
「うん。母さんが好きだったみたいで、家にSF小説がいっぱいあったんだ。それを読んでるうちにね」
おっとりと笑って言ったが、確かこちらの飯倉君の両親は離婚してるんだったよな? とさっき音村さんが言っていた事を思い出す。
急に黙った俺を見てなにか察したのか、飯倉君は「大丈夫だよ」と笑った。
「母さんが出て行ったのって俺が小学生の時だから。今はもう何とも思ってないよ」
「じゃあ、パラレル? で離婚してない世界に移動した時はびっくりしただろ」
「うん。四日間不思議だらけで長い夢を見てるのかと思ってた。もし離婚してなかったらこんな生活だったのかなー。なんで今更こんな夢見てるんだろうなって」
確かに、音村さんに言われなければここがパラレルワールドだなんて考えもしなかった。
ちょっとだけ不思議な夢を見ている感覚。飯倉君にとってはこの別世界にいるという独特の違和感も不愉快ではなかったのかもしれない。
「まぁ、流石に月曜になって目が覚めても北高生のままだった時は冷や汗が出たけどね。あれ、いつこの夢から醒めるんだろうって」
本人は穏やかに笑っているが、笑い事じゃない。
なぜ音村さんはそこまでしてBの飯倉君に会いたかったんだろう。
そんなこんなで十七時になり、どんよりとした空の下、飯倉君とテニスコートの様子を窺いつつ校門を出た。
五時間目に降っていた雨はすぐに止み、教室で飯倉君と読書談議に花を咲かせているうちに地面も乾いたようだった。
結局、パラレルって何者なんだろうね? なんて会話をしつつ、愛車をひいて丘の上の公園へ続く緩やかな坂を上る。アスファルトはすっかり乾いていたが、土はまだしっとりと水を含んでいて、昨日のベンチはまだ濡れていた。
公園には俺達二人の他に、一人男性が居た。
何か探しているのか、中腰になって奥の草むらをかき分けている。体系はやせ型だが、暗くて顔は見えず歳はわからない。
「おまたせ!」
音村さんがパラレル片手に公園に現れたのは、俺達が公園についてから十分程経った頃だった。草むらの男はまだ何か探している。それに気がついた音村さんは「あ」と声を潜めた。
「あの人、この間もここにいた」
「何か探してるみたいだよ? あそこでずっとあんな感じ」
「草むらで?」
うん、と頷くと、音村さんは男に警戒の目線を送ったままパラレルを強く抱きしめた。
「よし、早くやろう。十七時半まで、あと五分か」
待つと長い五分間を持て余しつつ、その時が来るのを待つ。
ようやくあと三分を切ったあたりで、ガサガサ、と大きな音がした。思わず音のする方を見ると、草むらに居た男が俺達の元へまっすぐに歩いてきていた。
「それを、渡してくれないか」
やつれた男は、音村さんの抱くパラレルを指差して言った。
歳は親と同じ位……四十代~五十代くらいか。突然の声掛けに音村さんがびくっと肩を揺らす。
「い、嫌です」
「そいつの事は、よくわかってる。俺は、そいつを使った事がある。だから」
「
男の言葉を遮って、飯倉君がぽつりと呟いた。男は驚いて目を見開き、飯倉君を見る。
「君は、……!」
「飯倉君、知り合い?」
俺が聞くと、飯倉君もまた驚いた表情のまま小さく頷いた。
「母さんの、再婚相手。ですよね? 会うのはあの時ぶり、ですけど」
「えっ」
薄暗い公園に湿った風が吹き抜ける。何がどうなってるのかさっぱりわからない。
が、この人はさっきパラレルを使ったことがあると言った。
「
田辺と呼ばれた男は、頭痛が酷いのか時折こめかみを抑えながら、さっきより荒い口調でパラレルを指差した。
「パラレルで何をする気ですか」
「何もしない。ぶっ壊すだけだ」
ぶっ壊す。とは穏やかでないな。
音村さんはぶんぶんと首を横に振って、パラレルを放そうとしない。
「はやく、早くしないと俺は戻されてしまう。俺はここで生きたいんだ。
「あなたはもしかして、B世界の人、ですか?」
俺の問いかけに、田辺さんは「B世界?」と首を傾げた。
「俺は、二十五年前にこいつの力を使って移動してきた、別世界の人間だ」
二十五年前、といえば俺達が産まれるより十年近く前だ。
飯倉君の両親が離婚するよりずっと前。この人はそんな長い間この違和感と共に生きてきたというのか。
「あ、あなたは、どんな世界からここに来たんですか。帰りたくないほど、違う人生だったんですか」
音村さんが意を決して聞くと、田辺さんはこめかみを抑えたまま深いため息をついた。
「俺は、高校受験に失敗した世界からやってきた。こっちの世界での俺は受験に成功して
「明英学園……母さんの母校だ」
飯倉君がぽろりと呟いた。
明英学園は県内一の私立進学校だ。
あそこに受かれば親戚までもが鼻が高い。と聞く。実際、合格の門は狭く、俺の中学の同級生には受けた者すらいない様なレベルの高い高校だ。
「凄いな、飯倉君のお母さん、明英出身なんだ」
「あぁ、美春とはそこで出会った」
さっきから言ってるミハルって、飯倉君のお母さんの事だったのか。高校受験に成功したこのA世界では明英でミハルさんと知り合いになったけど、じゃあ、失敗したB世界は。
「そうか、B世界では田辺さんと飯倉君のお母さんは知り合いですらない。だから離婚しなかったんだ」
「じゃあ、AとBが分岐したのは飯倉家の離婚じゃなくて、それより前の、この、田辺さんが明英に合格したか、落ちたか、だったって事?」
音村さんがそう言って驚いたので俺は頷いた。
「離婚しない、ってのはどういう事だ?」
田辺さんはこめかみを抑えたまま、まだ湿っているベンチに腰かけた。よっぽど頭痛が酷いらしい。
「B世界、つまりあなたが元々いた世界では、飯倉君の両親は離婚していない生活を送っています。現在でも」
「そんな」
俺の言葉に田辺さんはショックを受けたようで、余計頭を抱えた。
「美春のいない世界なんて行きたくない。戻りたくない。頼む、そいつを渡してくれ」
懇願する田辺さんは言葉とは裏腹に、パラレルをきつくにらみつける。
「早くそいつをぶっ壊さないと、この世界に居られなくなる」
「そうなの……? パラレル」
『長期間の移動行為は推奨されません。記憶と肉体はオリジナル同士でないと定着できず、いずれオリジナルの元に戻ります。肉体ごと移動する場合はマシンと接続してください』
「は、お前、喋るのかよ」
知らなかったんだ。
田辺さんはイライラとした口調で吐き捨てると砂を蹴った。
じゃあ、もし俺が今B世界に戻れなかったとしても、いずれは強制的に戻るって事なのか?
それは二十五年後とかなのかもしれないけど。それと、マシンってなんだ?
「なぁ、裕也君」
依然としてパラレルを渡そうとしない音村さんに嫌気がさしたのか、田辺さんは飯倉君に目をやった。
「入れ替わってこっちに来るもう一人の俺は、美春の存在を知らない。記憶がおかしい俺を美春は心配するし、恐れるだろう。可哀想だと思わないか」
「別に、どうでもいいです。母がどうなろうと」
切実に訴える田辺さんを、飯倉君は容赦なく切り捨てた。
「あなたと暮らそうが、別世界のあなたと暮らそうが、この世界の母が俺と父をいらないと判断した事に変わりはありませんから」
柔和な飯倉君の口から出たとは思えない拒絶の言葉に俺は驚いた。今はもう何とも思ってないよ、と言った数時間前の飯倉君が重なる。
田辺さんは数秒頭を抱えて黙った後、ふらりと無言で音村さんの前に立った。
「頼む、そいつをよこせ」
「い、嫌です」
音村さんが怯えながら断った瞬間、田辺さんは足元に落ちていた三十センチ程の枝を拾い、振り上げた。
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