第8話 月曜③A→火曜①A

*A世界 月曜夕方18時


 俺の発言に、クラスメイトの音村おとむらさんは動揺していた。

 一緒に居る男子も驚いている。


「あ、えっと、雨野あめの君、だよね?」

「え? ああ、俺は雨野和也あめのかずや。君は、初めましてだよね」


 そう返すと、男子は困って音村さんに目をやった。

 遠くでカラスが鳴いている。よく見たらここは高校近くの公園だと気がついた。


「雨野君、は、南高生だよね」

 音村さんが恐る恐る聞くので、俺は「ああ」と頷いた。


「音村さんは同じクラスじゃないか」

「じゃあこの人は? 飯倉いいくら君。出席番号二番! 君の後ろで私の前!」

「出席番号二番は音村さんだろ?」


 そこまで聞くと、音村さんは真っ青になって頭を抱えた。


「ごめんね、雨野君。今すぐ元に戻すから」

「なんだかわからんが、元に戻るなら戻してほしい」

「パラレル、雨野君を元に戻して」


 音村さんは抱えていた謎の物体に声をかけた。

 って、今更だが何だあれ。ボール?


『移動できません。二十四時間後に再試行して下さい』


 喋った。


「え!? なんで!?」


 俺含む音村さん以外の三人は、その半透明のボールから突然、機械的音声が流れた事にびっくりして思わずボールを凝視した。

 が、音村さんは構わずボールに話しかけ続ける。


「二十四時間後って、どうして。壊れちゃったの?」


『分岐移動は一日一度の制限がかけられています。明日、の、十七時二十八分、以降に再試行して下さい』


「嘘でしょ」

 音村さんが絶句する。そして、申し訳なさそうに俺を見た。


「ごめん、雨野君。明日にならないと帰れないみたい。仕方ないけど今日はこっちの家に帰ってくれる?」


 そう言われても、こっちは何が何だかさっぱりである。


「こっちの家、とか、戻れない、とか、一体何なんだ。大体、俺はいつ、どうやってここに来たんだ? それに、それは何?」

「だよね、そりゃ、そうなるよね。なんでこんな事になっちゃったのかは私にもわからないんだけど、とにかく、明日の夕方必ず戻すから。一日だけ我慢して」

「何を?」

「うーんと、違和感? あるよね? 知ってる場所だけど、なんか違う、みたいな」


 音村さんの言う事は抽象的過ぎてピンとこなかったが、言われてみれば確かに、なんとなくいつもいる空気とは違う、気がする。

 っていうか、音村さんってこんなにハツラツと話せる人なんだな。もっと大人しい人だと思っていたけど。


「とにかく、今日は帰ろう。ずいぶん暗くなっちゃった、ごめん! 神田さんは後日また謝ります。飯倉君と雨野君は、明日学校で。パラレルは私が持って帰ります。以上、解散!!」 


 パン、と手を叩いて音村さんは皆を帰るよう促した。

 俺は訳が分からないまま公園の隅に停められていた愛車にまたがると、よく知らない人達に別れを告げて家に帰った。



 母の作った夕飯を食べ、テレビを見て、風呂に入り、布団に入ったあたりで、音村さんの言っていた事を実感してきた。


 家も、母も、父も、部屋も、見慣れた景色、人、場所なはずなのに、何か違う。

まるで、俺の家そっくりに作ったセットの中にいるような、落ち着かない感じ。


 本棚には買った覚えのない小説が数冊あった。ここは、俺の知る俺の家ではないのか。


 まぁ、明日音村さんに聞いてみよう。

 パラレル? とかいうボールが使えるようになるのも明日の夕方らしいし。

 よくわからないけど。






 翌日火曜、厚い黒い雲に覆われてどんよりとした空にうんざりしつつ、俺はいつも通りの時間に登校した。

 後ろの席には音村さんではなく昨日公園に居た大人しそうな男子が既に登校しており、俺と目が合うと「おはよう」と挨拶してきた。


「おはよう、えっと」

「飯倉だよ。よく眠れた?」


 そうだ、飯倉君だ。音村さんが昨日そう言ってた。が、しかし。


「うん。あ、そこは音村さんの席だよ? 君はこのクラスじゃないよね?」

「飯倉君の席で合ってるよ。おはよう、雨野君、飯倉君」


 後ろから女子の声がして振り返ると、音村さんがさっと飯倉君の後ろの席に座った。

 聞きたい事が山ほどあったが、音村さんは鞄を置くとすぐに友人の女子の元へ行ってしまった。


 そして数分後、音村さんから「昼休み、昼ご飯持参で社会科準備室に集合」とメールが送られてきた。いつの間に音村さんと連絡先を交換したんだろうか。


 同じメールが飯倉君にも送られてきたようで、彼もまた音村さんのアドレスが登録されている事に驚いていた。一体、彼女は何者なんだろう。




 昼休みになって、飯倉君と共に社会科準備室へ向かう。教室を出る時、既に音村さんの姿はなかったので先に行ったのだろう。


 社会科準備室は一般教室からは少し離れた所にあり、普段は各学年の社会科の先生達が誰かしら滞在している。

 鍵はかかっておらず、ノックして中に入ると、先に着いて待っていたらしい音村さんが「適当に座って」とパイプ椅子を指差してから窓を開けた。


「なんでここの鍵持ってんの? 先生は?」

「今、職員会議中。テニス部のミーティングでたまにこの部屋使うから鍵預かってたの」


 って、そんな事はどうでもいい。

 軋むパイプ椅子に座って本題に入る。


「説明してくれ。何が起きてるんだ」

「簡潔に言うと、雨野君。君は今、パラレルワールドにいます」


 音村さんはサンドイッチ片手に飯倉君を指差した。


「そして、飯倉君は昨日までパラレルワールドにいました」

「ま、待て待て待て。なに、パラレルワールド? この世界が?」

「そう。あ、雨野君の鞄の中に一番の資料があると思うよ。こっちの雨野君がつけてたノート」

「こっちの俺? ノート?」


 疑いつつも鞄の中を漁ると、見覚えのないノートが出てきた。

 開くと、飯倉君、B倉君、平行移動、神田さん、と言った単語が飛び交っている。筆跡は間違いなく俺のものだった。


「飯倉君もよくわかってないだろうから、ここ数日で起きた出来事を全部話すね。お弁当食べながら聞いて。多分、昼休み終わっちゃうから」


 それから音村さんは、木曜の放課後に飯倉君が入れ替わった事、翌日から飯倉君の友人である俺が調査を始めた事、飯倉君の彼女である神田さんも移動してきていた事、そしてその原因は、音村さんがパラレル、という昨日持っていたボールみたいなやつを使って引き起こした事だった、という一連の騒動を話してくれた。


 俺は時折、こちらの俺とやらが書いたらしいノートと照らし合わせながらその話を聞いていた。


「つまり、飯倉君の両親が離婚したこのA世界と、離婚していないB世界、この二つに世界は分岐していて、俺はBの住人だけどパラレルの力でAに来てしまったと」

「その通りです」


 音村さんがサンドイッチを食べ終えて頷くと、飯倉君が「そういう事だったのかぁ」と苦笑した。


「びっくりしたよ。木曜の放課後、家に居たら突然外になって、知らない女子と手繋いで歩いてるんだもん。相手の子も訳わかってなさそうだし、何故か北高の制服着てるし、家には母さんが居るし」


「それについては本当にごめんなさい。B倉君、あ、B世界の飯倉君の事ね、そのB倉君にどうしてももう一度会いたくて、飯倉君に多大なるご迷惑をおかけしました」


「いや、無事帰ってこれたからいいよ」

 やんわりと笑う飯倉君に音村さんが深く頭を下げている。


「で、なんだか知らないが今度は俺が移動してしまったと」


 卵焼きを口に放り込んで呟くと、音村さんは「その通り」と頭を上げて苦笑した。


「パラレルを使えるようなるのが今日の十七時半。そしたらすぐに元に戻すよ。今日、私、十七時まで一時間だけ部活あるから、それが終わり次第、昨日の公園に集合で」

「わかった」

「じゃあ、俺も行くよ。雨野君、十七時半まで一人じゃ暇でしょ」


 飯倉君がにっこりと笑ってそう言うので、思わず「ありがとう」とお礼を言った。

 出会って数時間だが、飯倉君がすごくいい人だという事はわかった。こっちの俺にはこんな良い友達がいるのか。羨ましい。



 あっという間に昼休みは終わり、俺達は教室へと戻った。


 午後の授業が始まっても、俺は頭の片隅でパラレルワールドの事を考えていた。と言っても、今までの俺とこっちの俺はあまり差はないように思えた。

 同じような人生を送り、南高に進学し、二年二組の出席番号一番として生活している平々凡々な高校生。家庭環境をはじめ、身長、体重、視力も普段の俺と何も変わらない。唯一違うのは、クラスメイトに飯倉君がいるという事だけだ。


 B世界に行ってしまったこちらの俺も、今頃同じような事を考えているんだろうか、なんて考えていたら先生に当てられた。


 思わず窓の外を見ると、どんよりとした重そうな雲からいつの間にか細い雨が降っていて、俺はため息をついて席を立ち黒板へ向かった。

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